第30話 第三幕 異変 ①

〈トルクト視点〉


 ライヤが常識外な方法で魔生樹を『斬り』倒したあとは、その身に纏う神官服からもわかるように、神樹教での教育を受けているというエルクリフが、のちの作業を引き継いだ。


 魔獣の死骸によって溢れかえった森の広場に、朗々と、少年の美声が響き渡る。


「……創造主様、貴方が与え賜うた試練と、恵みに、感謝を捧げます……」


 恭しき祈祷によって、自らが斃した命を悼み、そうして得られる糧に感謝を祷じる美少年の姿に、獣人騎士たちの頬が緩む。


「可憐だ……」「ふつくしい……」「でもあの子だって、連中の仲間なんだよな……」「丁寧な態度とは裏腹に、冷たい言葉の刃が容赦ないんだ、これが」「ばっか、それがいいんじゃねえか!」「おうよ、ゾクゾクしてたまんないよなあ!」「……あっ(察し)」「……そっとしといてやれよ」「あいつら見事に散った、勇者だから……」


「…………」


 群がる騎士たちの視線に眉根を寄せつつも、エルクリフは手慣れた様子で、魔生樹の根本に埋まった琥珀色の水晶体――『魔晶石』を回収。核である宝珠を失った樹は見る間に枯れ落ち、朽ち果てて、大いなる霊脈の流れへと還元していった。


 そうした一連の流れを終えた後で。


「いっよっしゃあ!」「今度はアタイらの番だぜ!」「今度こそエルクリフくんに、カッコいいとこ見せるんだ……っ!」「……おまえまだ、諦めてないのかよ……」


 相談通りに手番を入れ替え、

 今度は獣人騎士団が魔生樹刈りを担当。


 クロイアたちの三倍近い時間をかけながらも無事にこれを討伐すると、またライヅ一味、騎士団と、手番を交代していくうちに日を跨ぎ、現在はこうして騎士団の順番が回ってきている。


(ああ……はやく街に戻って、アルくんに癒されたい……)


 魔生樹討伐の二日目。


 じきに紅く染まった太陽が、

 森の地平へと沈む頃合いである。

 

 本日最後となる、

 魔生樹の討伐を前にして。


 体力もだが、何よりも精神的に疲れ果ててしまっているトルクトは、そんな気の抜けたことを考えていた。


(まずは駆けつけでエールを煽って、たらふく香味焼きの肉を頬張って、味の濃いスープでお腹を温めてから、アルくんの膝上で、いっぱい頭を撫でてもらうんだ……っ!)


 直視したくない現実の最中、街の酒場で働いている平民の恋人を想うことで、散々に常識と誇りをへし折られたトルクトは、それでもなんとか最低限の士気を保っていた。


「……そういえば」

 

 いちおう、気を遣ってくれているのか。

 

 疲労困憊な様子のトルクトに、元凶である大男も、たびたび戦いから離れた話題を振ってくれている。


「貴殿の妹君……たしか、ミルクト殿で御座ったな。彼女は無事、見つかったので御座ろうか?」


「ああ、チビミルのこと、ご存知でしたか」


 話題は先日から……正確には領主邸の訓練場にて敗北を喫した、翌日に。

 

 領主邸から姿をくらました、

 馬鹿な末妹のことである。


「いやはや、お恥ずかしい。身内の恥を晒してしまいましたね。どうせ大見得を切った手前、無様を晒したのが忍びなくて、ほとぼとりが冷めるまで友人のところにでも逃げ込んでいるのでしょう」


 まああのあと騎士団や姉妹で「やいチビミル」「お漏らし見る」「バブちゃんにはまだオシメが必要でちゅか〜?」などと散々イジり散らかしたことも無関係ではあるまいが、それはそれ、自業自得だ。


 非番の騎士たちも街に降りた際に気をかけてくれているようなので、じきに居場所の見当もつくことだろう。


「それよりも、あのときはライヤ殿のお召し物を汚してしまい、申し訳ありませんでした。愚妹の発言も合わせて、お詫び申し上げます」


「なんのなんの、お気に召されるな。戦場での粗相など、誰もが通る道で御座る」


 言いながら。


 ライヤは懐かしそうに、目を細めた。

 

「むしろ拙者の主君など、初見の際は糞便まで漏らされておりましたわい」


「え? クソ漏らし?」


 一瞬、下品な冗談かと思ったが、

 それを語る大男の目はマジであった。


(……いやー、ないわー。うちの騎士団でも戦場でクソ漏らしたヤツはいねーわー)


 ましてやそんな糞漏らしを主君などと、皮肉めいた冗談かと思ったが、しかしそう語る般若面の大男は、どこまでも誇らしげである。


「……それは……その、なんとも、剛毅な? 主君殿で、あらせられますね?」


「然り。常識などに囚われぬ、最高の主君で御座る」


 迷った末に絞り出した答えは、

 どうやら正解であったらしい。


 見るからに気をよくしたライヤに、胸を撫で下ろしつつ、その感性に一抹の不安を覚えてしまうトルクトであった。


(……まあ性癖なんて、人それぞれか。オレだって、おぎゃるの大好きだし)


 先日は実妹を赤子扱いしておいて、じつは休日、恋人にたびたび赤子扱いしてもらっては悦に浸る、業の深い領主騎士エリートだった。


「……あー、ダメにゃー。心が折れたにゃー」


 などと、世間話に花を咲かせていれば。

 

 哀れに尻尾を萎びらせた、同僚の猫人騎士が、冴えない表情を浮かべてトボトボと歩いてくる。


「なんだ、ネルコも玉砕かよ。ざまあー」


「うっさいにゃ。トールだってフラれてるだから、人のこと笑うにゃ」


 そばかす顔の猫人騎士も袖にされたことを察して、悪友である牛人騎士が、人の悪い笑みを浮かべる。


 とはいえこの両名に限らず、じつのところ今回の討伐作戦に参加している獣人騎士の大半がすでに、ここにはいない神官服の超絶美少年に隙を見つけてはアプローチをかけて、その都度冷たくあしらわれていたのであった。

 

「ははっ。ああ見えてエルは、身持ちが固いですからなあ。お二方とも、お気になされるな」


 騎士たちの空気を察して大男が朗らかに笑うが、その泰然とした態度にむしろ、トルクトは引っ掛かりを覚えてしまう。


「……あのお〜、今更なんですが、ライヤ殿は我々がエルクリフくんにちょっかいかけることについて、何も思われないので?」


「ん? まあ家などの事情が絡まないのであれば、色恋沙汰などは個人の好きにすれば良いのでは御座らんか?」


「うにゃー。でもエルクリフくんは、その、ライヤ殿のことを……」


「懐かれていることは存じておりまする。しかし拙者は未熟者ゆえ、まだ世帯を持つ気は御座らぬ。なれば他の者がエルに言い寄ろうとも、それに口出しする道理は御座らぬと考えておりますが、相違ありますかな?」


「う〜ん……」


「それはまあ、そうにゃんにゃけど……」


 違う、とは言わない。

 

 むしろ正しい考え方ではあるのだろう。


 ただしそれは合理的な理性に則った結論であって、そこに人間としての情は感じられない。


(何というか……この御仁はたまに、独特な感性を垣間見せるよなあ……)


 無情な冷血漢ではないのだろう。


 でなければ己を犠牲にしてまで、

 他人を助けることなど出来はしない。


 けれど優しい人間なのかと問われれば、

 素直に是とは言い難い。


 細やかな気遣いを見せることがあれば、

 大胆に常識を踏みにじることがある。


 計り知れない懐の深さを匂わせることもあれば、狭量と疑いかねない頑迷さを示すこともある。


 基本的には善人なのだが、ふとしたときに、その内側に常人では理解し難い『ズレ』の存在を感じさせる、そういう奇妙な人物であった。


(……まあ飛び抜けた才能を持つ人って、だいたいどこかぶっ壊れてるからな。オレみたいな凡人に理解できるわけないか)


 少なくとも彼のこうしたスタンスは、

 自分たちにとっては都合がいい。


 ならばわざわざ違を唱える必要もないかと結論づけて、トルクトは胸に湧いた小さな違和感を切り捨てた。


「んで次は、フーリーの番だっけ? アイツ今どこよ?」


「にゃんか時間も押してるから、偵察のついでに、エルクリフくんをデートに誘い出すって言ってたにゃん」


「おいおい馬鹿かよアイツ」


 嗅覚などの五感に優れ、

 相応に経験も積んでいる犬人騎士だ。


 流石にこの近辺の魔獣に不意を突かれることはないだろうが、それでも魔獣が潜む森において、繊細な男性を連れ回すのは感心しない。


 いや、むしろそうした適度な緊張下における吊り橋効果を狙っているのかもしれないが、それでも部隊を率いる隊長として、彼の身内である大男の前では叱責の態度を浮かべざるを得ないトルクトである。


「ふむ、確かにそろそろ、野営の準備も考えなければならぬ頃合いですな。我々も先を急ぎましょう」


 気を回して場をとりなしてくれたライヤに感謝しつつ、トルクトも休憩していた騎士団に指示を飛ばして、行進を再開。


 しばらくして、周辺の警戒に出ていたという蛮族娘二人組が、主人の元へと駆け寄ってきた。


「ぬ、どうした二人とも」


「すいませんお館サマ、なんかちょっと、森の様子が変っス」


「あ、あの、えっと、森の、魔獣が? 少なく、なっているような……?」


「ほう」


 彼女たちの報告に頷く大男の横で、会話を漏れ聴いたトルクトもまた、周囲の異変に気が付いた。


(そういえばたしかに……だいぶ魔生樹に近づいているのに、魔獣の気配を感じないような……?)


 魔獣とは、生来の性質として、母体である魔生樹に近づくほど、その分布密度を増していくものだ。しかし今の時点で周辺に、魔獣の気配を感じられない。


 当初は先行している部隊がそれらを間引いたのかと思っていたが、それにしてもここまで気配が薄いのは異常だ。


「……おい、ネルコ。どう思う?」


「たしかに不自然な状況にゃけど、だとすれば逆に、先行している部隊が心配なのにゃ」


「だよなあ。ならやっぱり、このまま進むしかな――っ!?」


 そこで嗅覚に秀でた獣人騎士たちは、風に乗って漂ってきた『臭い』を嗅ぎ取った。

 

 彼女たちにとっては慣れ親しんだ、

 しかし歓迎できない『臭い』である。


(これは……血の匂いっ!)


 同時に客人たちも、それに気づいた様子であった。


「……へえ。これはちょお〜っと、面白くなりそうっスね」


 不穏の気配に、少女が頬の白蛇を歪ませた。



【作者の呟き】


〈悲報〉ジュリくん風評被害に遭う。

   

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