第17話 第一幕 裏路地にて ②

〈女統領視点〉

 

 神樹教の神官服を着た美少年が、

 カツンと、魔杖の先で床を叩く。

 

 次の瞬間、その先端を起点に体内魔力オドを凝縮した少年の魔力が噴き出して、周囲の外部魔力マナを呑み込み、侵食。術者の魂に上書きされた高濃度の魔素力場が、瞬く間に酒場を埋め尽した。


(なんだい、この馬鹿みたいな魔力量は……っ!?)


 世界に生きる者ならば、

 誰でも有している魔力。


 その変換元となる、体内の魔素。

 それらの発生源である魂。


 しかしその性質や多寡は個体差が大きく、一般的に魔素の保有量に優れ魔力への変換効率が高いとされる人間種においてすら、それを実用的な魔法と呼べる領域にまで昇華できるのは、せいぜい五人に一人といったところ。冒険者クラスの実践的なものとなるとさらに数は絞られ、その上位として認定される魔法士はおそよ、三百人に一人程度だと言われている。


 だがいま目の前で吹き荒れる魔力は、

 その上澄みすらも優に上回っていた。

 

 仮にも貴族の血筋に生まれ、こうして王国の闇に身を堕とす前は、Bランクの冒険者としても活動していた女統領――ガルマには、そのことがはっきりと理解できてしまう。


 人は、生物とは、決して平等ではない。


 才能、血統、努力、天運、そうした何らかの要素によって一線を画した存在は、確かに存在する。間違いなくこの少年は、そちら側の人間だ。生物としての格が違う。


(この坊ちゃん……まさか、『超人』かい!?)


 ガルマの胸中を絶望が覆う。


 なにせ超人とは生まれ持った天凛に加え、数多の試練を乗り越え、教会が管理する天聖樹の『存在進化アンクアップ』などを経て、通常の人間種が生まれ持つ能力限界の、その壁を乗り越えた者のこと。


 わかりやすい外見の変化の他に、性質の変化、特殊な魔法の習得など、各々で超人に至った際に獲得する要素が異なるため、一見でその真偽を見抜くことは難しいが、もし仮にガルマの見立て通りなら、冒険者においては一流とそれ以下の境界線とされる線引きは、この場において、彼女たちがどう足掻いても敵わない絶対強者の証明となっていた。


 それを肯定するかのように。

 空間を満たす魔力が蠢く。

 

 酒場を埋め尽くした魔力が流動して、術者の意に沿った波を作る。波は凝縮されて線と成り、線は折り重なって記号を生み、無数の記号が編み込まれてついには魔法陣を形成。術式に沿った魔法が発動すると、外界と内界が切り離された。


「これは……結界魔法!?」「んな馬鹿な!」「この規模を、たった一人で!?」「あり得ない!」


 魔法の檻に囚われた、

 無法者たちが恐慌する。


 常識として、範囲を絞った簡易結界ならともかく、ひとつの建物全てを包み込む規模の結界魔法を発動するとなれば、事前の準備や人員の調達、魔法具の使用や呪文の詠唱は不可欠だ。


 それらの過程をすっ飛ばして魔法を成立させるためには、常軌を逸した膨大な魔力と、常人では想像もできない繊細な魔力操作が求められる。その二つを持ち合わせた者を、人は天才、あるいは怪物と呼ぶ。ガルマは己の推測が正しいことを確信した。


(ふ、ふざけるな! こんなバケモノ、相手にしていられるかい!)


 何故このような事態に陥ったのか。

 理由などもはや二の次。

 本能が訴える。


 勝てない。逃げろ。

 とにかくこの場を離れなけば。


 それはガルマが積み重ねてきた経験値からの警鐘であり、生物として正しい判断であるのだが――


「――おっと、動かない方がいいっスよ」


 足が、止まる。

 

「というかもう、『動けない』でしょ?」


「……っ!?」


 捕食者の笑みを浮かべた銀髪の少女が告げるように、肉体が、意思に反して動かない。動かせない。指の一本に至るまでが見えない『何か』に絡め取られたかのように硬直しており、視線だけ必死に泳がせば、自らの足元に伸びる、不自然な黒線を発見した。


「か、身体が、動かない!」「ま、麻痺毒か!?」「ち、違うよ馬鹿あ! 下したシタあ!」「えっ、影え!?」「こ、これ、は、束縛魔法バインドっ!?」「いつの間にっ!?」


 酒場に満ちる悲鳴と混乱。

 

 ガルマと同様に、身体の自由を奪われた無法者たち。


 彼女らの足元に繋がる黒線は、たったひとりの足元から伸びる、無数の『影』だった。


「これぞ〈影縛り〉の術〜、ニンニン! とか言えば、お館サマ笑ってくれるっスかね? どう思います?」


「知る、か。だ、れの、ことだ、よ……っ!」


「うわあお館サマのことを知らないとかマジ哀れ。生きてる価値ないっスよ、ホント」

 

 軽蔑の視線を向ける少女の足元で、

 影が波打ち、歪み、伸縮する。


 あたかも獲物を捕食する軟体魔獣スライムのように四方八方に伸びたそれらが、酒場にいる者たちを拘束する魔法の正体であった。


(ま、まさかこいつも、超人なのかよ……っ!?)


 有り得ない。

 悪夢だ。

 これが現実ならば酷すぎる。


 超人とはつまり、一流とされるAランク以上の冒険者と同義。そんな者たちが唐突に二人もやってきて、自分たちと敵対するとか、理不尽が過ぎる。天災に見舞われる以上の不幸だ。何故自分が、どうしてこうなったと、いつもいつも自分ばかり……と、己の不運を嘆くガルマの瞳に、涙が滲む。


(……い、いや、まだだ。諦めるのはまだ早い! たしかにこいつらはバケモノだけど、王国の法を犯しているっていう点は変わらないんだ。何とかこの場を乗り切ることさえできれば、打てる手はいくつか――)


「――いやそれは、現実逃避が過ぎるでしょ?」


「……っ!?」


 的確に内心を見透かした少女の言葉に、

 心臓が跳ねた。


 遅れて思い出す。


(そうだ、この悪魔は――)


「――人の心を読む、リディア族ちゃんでっス。いえっい」


「……」


 両手の二本指を立て、

 鬼牙きばめいた八重歯を覗かせて。

 

 陽気に微笑む黒精人にもはや、絶望しか感じない。


(……そうかい。この影で繋がっていれば、相手の心を読めるのかい)


 少なくともガルマが知るリディア族とは、直接的な肉体の接触がなければ、相手の心を読み取ることができなかったはずだ。


 それほどまでに生物という『器』、

 体内と体外を隔てる『境界』の、

 存在は大きい。


 ゆえに生物が生まれながらに有している魔力抵抗を貫通するのは並大抵のことではないのだが、相手が超人であるというなら、話は別だ。


 理を超越した者たちに、

 凡人の常識は通用しない。


「貴方たちから『聴きたい』ことは、色々とありますが……」


 戦うことさえ許されず。


 心を根本からへし折られたガルマに、

 もうひとりの超人が宣告する。

 

「……まずは悔いなさい、下郎」


 魔杖を握る反対の手には、漆黒の眼帯。

 

 露わとなった左目は、

 怪しい虹彩を帯びていた。


(魔眼……か。もう驚く気力もありゃしないねえ……)


 多様性に富んだ只人ヒュームを除き、その他の人族……獣人、鬼人、精人らは、それぞれが先天的に得意とされる、種族魔法を有している。


 肉体に優れた獣人ライカンであれば、身体がより戦闘向きに特化する〈細胞変異セルフィルム〉。


 魔道具の扱いに秀でた鬼人オーガンなら、性能を最大限に引き出す〈解放魂魄シンクロギア〉。


 そして魔力の扱いに秀でた精人アルヴにおいてもっとも有名なのが、この〈妖精魔眼グラムサイト〉だ。


 少年の右目に宿った黄金の魔眼が、

 残るガルマの心を粉砕した。


「クロイアさん、拘束の一部解除を。このままでは謝罪すらままなりません」


「ほいほ〜い」


「くっ……はっ」


 不可視の拘束が緩むことで、

 口周りに自由が戻った。


 本音では喋る気力もないが、求められたので、思いつくままに謝罪の言葉を吐き出しておく。


「す、すまない。オレ……わ、私たちが悪かった。もう二度と、悪事は働かない。アンタらに手出しはしない。だから許して――」


「――そんなことは、どうでも良いのです」


 謝罪の言葉を遮るのは、硬質な怒り。

 左の碧眼に宿る、断罪の視線。

 美しき執行官が告げる。


「貴方がたが今までどんな罪を犯していようが、僕たちにはどんな感情を抱こうが、関係ありません。そんなものに欠片も興味はありません。僕たちが求める謝罪は、貴方が悔いるべき過ちは、ただひとつ――人の男に、手を出したことです!」


「……」


 その罪状に、被告人ガルマはまるで心当たりがなかった。



 

【作者の呟き】


獣人の種族魔法〈細胞変異セルフィルム

鬼人の種族魔法〈宝珠解封シンクロギア

精人の種族魔法〈妖精魔眼グラムサイト


作者の厨二マインドが、小躍りしております。


またこれにて無事第一幕が終わりましたので、次話から第二幕へと移ります。少しペースを落として日に二話ほど更新する予定ですが、続きが気になるという読者様は、評価やコメント、あと星をポチッとしていただけると、小躍りした作者がまたペースアップするかもしれません(笑)


よろしくお願いします。


m(_ _)m

 

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