第11話 第一幕 城塞都市 ③

〈エルクリフ視点〉

 

「さあ、拙者とともに、征こう!」


 その言葉を贈られた感動と、感激は、

 十五年経った今でも鮮明に覚えている。


 決して色褪せることのない思い出。

 自分と、ライヤとの出会い。

 運命との邂逅。


 ガタゴトと揺れる、幌馬車の荷台にて。


 思い出に花を咲かせるライヤの傍でその体温を感じ、長耳に伝わる声音に至福を覚えながら、白皙はくせきの美貌を有する白精人エルフの少年――エルクリフは、当時の記憶に想いを馳せる。


 あの日の自分は、豚女の餌として集められた、奴隷のひとりだった。

 

 いつから奴隷だったのか、それはエルクリフ自身にもわからない。

 

 物心ついた頃には、そのような身分として扱われていた。


 ただし原因だけは、容易に推察がつく。


 普段は眼帯で覆っているエルクリフの左目は、翡翠の右目と異なる虹彩異色症ヘテロクロミアであった。


 そして排他的な因習が根強い白精人の部族においては、左右に異なる虹彩を持つ子を『忌子』と見做して隔離、あるいは排斥することは、珍しくない。


 おそらく自分もそうして売られた子なのだろうと、寝台のなかで、何度目かの主人が楽しげに語っていたことを、幼い時分のエルクリフは記憶している。


 だとしても……


(……ぜんぶ、どうでもいい)


 自分を捨てたであろう肉親も、

 自分を買い取った奴隷商人も、

 自分を好き勝手に愛でるご主人様も、

 ぜんぶ、何もかもが、どうでもいい。


 どうせ自分の抵抗など、

 聞き届けてはくれないのだから。

 

 何を叫んでも相手は自分の意見など、

 顧みてはくれないのだから。

 

 この世界は残酷なまでに、徹底して、

 自分という存在に興味はないのだから。


 ただただ、愛でられるだけの愛玩動物。勝手気ままに弄ばれて、飽きたら捨てられる消耗品。ならば抵抗など無意味。自我など不要。ただ流れるままに、流されればいい。


 たとえその先に、果てなき闇しか待ち受けていないとしても……


(……ぜんぶ、どうでもいいのです)

 

 そうした時間が、およそ三十年ほど。

 

 只人ヒュームの体感に置き換えると十年程度の人生で、エルクリフが形成した人生観だった。


 きっと自分は、

 このまま終わってしまうのだろう。

 

 一度も陽の光を浴びることなく、

 暗闇の中で朽ちるのだろう。

 

 何事も成さず、何者にも成れずに、

 泡沫のように消えていく存在。

 

 そんな諦観を抱いて、

 暗がりを歩いてきた少年の人生に――

 

 突如として差し込んできた閃光は、

 あまりに刺激が強過ぎた。


(……っ!)


 あたかもその姿は、曇天を貫く雷光が如く、鮮烈に映えて。


 与えられた言葉は、

 さながら雷鳴の力強さを以て。


 エルクリフの長耳を貫いた。


……?)


 ああ、あゝ、嗚呼……

 それは、自分に向かって告げているのか。


 彼は、自分のことを、同じ人間として見ているのか。


(あのひとは、この世界で、ぼくのことを、見つけてくれた……っ!)


 予想外の歓喜カミナリに打たれた身体は、ビリビリと甘く痺れ、その意思に反して動いてくれない。それは他の奴隷少年たちも同じだった。ただ茫然と、差し出された手を見つめること数秒。伸ばされていた手が引き戻され、望外の幸運が掌から零れ落ちてしまう恐怖にエルクリフが息を詰まらせた次の瞬間、ツカツカと歩み寄ってきた黒髪の少年が、迷うことなくその手を掴んだ。


「往くぞ」


「……っ、はいっ!」


 今度はちゃんと、答えることができた。

 

 そして最初のひとりが動けば、

 あとの者たちが続く。


 結局その日、その場所にいた奴隷少年たち全員が、ライヤの背中に追随した。


 そうやって、エルクリフたちはようやく……深い暗闇の中から、這い出ることが叶ったのであった。


      ⚫︎


「――とまあそういう訳で、勢いでその場の者たちを引き連れ、豚畜生の屋敷から脱出したまでは良かったのだが……その後が、また難儀してのう」


 いよいよ外壁が近づいてきたので幌馬車を降り、ここまで自分たちを運んできた旅業者と別れたのちに、徒歩で番兵たちが詰める検問所に向かう道中も、ライヤの昔日語せきじつがたりは続く。


 ちなみにライヤが前世の記憶を有する『転生者』であることは、寝食をともにするライヅ一門においては周知されているものの、世間には伏せられている。


 何せボトルニア大陸における歴史上、何度か確認されている異界からの『転生者』あるいは『転移者』は、その全てが史実に名を残す偉人であり、その功績や発明、文化や文明は、アルメリア王国を含む大陸諸国に、今もなお深く根付いている。


 ゆえにライヤの素性が知れ渡れば、

 貴族や王族に囲われることは必定。


 当人はそれでも構わないかもしれないが、ライヤという光を失うことは、エルクリフをはじめ彼に依存する者たちにとって、死刑宣告に等しい。そうした者たちの心情を斟酌した結果、最終的には本人の意向で、自身のそうした情報は公には伏せることと相成った。


 無論そうした判断が、彼を神の如く奉る者たちに、一層の信心を与えたことは、想像に難くない。


 ともあれ。


「ハルは『奴隷紋』というまじないを、存じておるか?」


「あ、はい、えと、えっとお……たしか、じゅ、呪印の一種で、奴隷の人たちが、主人に危害を加えたりしないように刻まれる、刻印魔法のこと、ですよね?」


「うむ、正解だ。しかしそれだけでは不十分。精進せよ」


「あ、あううう〜……」


 肩を落とすハルジオの頭をポンポンと叩きつつ、ライヤが視線を落とすと、待ち構えていた紅瞳が即座に食いついた。


「ではクロよ、残り半分は?」


「うっス! それは逃亡防止用の、探知機能っスね! 奴隷紋の主な役割は、歯向かう奴隷に罰を与える精神魔法と、逃げた奴隷の足取りを追うための探知魔法の、その起点となることっス!」


「よし、正解だ。よく勉強しておるな。偉いぞ」


「うへへへへへ〜」


 大男であるライヤとほとんど同じ背丈の大鬼人オーガと比べ、頭数個ぶんは背の低い闇精人オルヴの頭をガシガシと撫でると、ライヤを『お館サマ』と呼んで慕う少女、クロイアは、途端に表情を蕩けさせた。


「あへあ〜……キクう〜……」


「……」


 正直こういうときは、人目を憚らずに欲しいものをねだれる、彼女の性格が羨ましい。


 けれど仮にも自分は、ライヤの義弟を名乗る身の上。一門においては当主である彼の次に置かれた兄役としても、外様そとさまにさもしい姿は見せられない。


 ナデナデは、次の機会を窺おう。


 そして少なくとも今日の二人ぶんよりは、

 多くしっかりと撫でてもらおう。


 そのために髪の手入れは入念にしておかなければと、エルクリフは静かに対抗心を燃やす。


(兄さんの役に一番立てるのは、僕なのですから……っ!)


 そうした義弟の、湿度が高い視線を気にすることもなく、ライヤは話を再開する。

 

 良くも悪くも、そうした義弟たちの反応に、慣れきってしまっている義兄であった。

 

「兎に角、そうした奴隷紋の『探知』が曲者でな。街中ではどれだけ上手く隠れようとも、結局は追っ手に見つかってしまうのよ。それらを撃退することは容易いが、如何せん、その頃のエルたちは皆貧弱でな。体力はもとより、気力が保たぬ。ゆえに我らは一度、街を離れ、近場の森に身を潜めたのだ」


 などと、当の本人は簡単に宣うが。


 この城塞都市における近隣の森といえば、『魔樹区域』が設けられた西の森がそれに当たる。


 管理された魔生樹が繁茂する森は、当然ながら通常のそれよりも魔獣の比率が高く、新米の冒険者がそこで一晩を過ごすのをギルドから禁止される程度には、危険な場所である。


 言わんや、栄養失調で今にも倒れそうな奴隷の少年たちを連れての逃避行など、控えめに言って自殺行為だ。正気の沙汰ではない。


「う、うわあ……それは、大変でしたねえ……」


「ええ。今思い返してみても、あれはとても……充実した、楽しい日々でした」


「……あ、あれ? エル兄さんだけ、別のお話していらっしゃいますか?」


 一般的な感性の持ち主であれば、

 泣いて許しを乞う局面であれど。


 ライヤがそこにいるだけで、同じ時間を過ごす少年たちは満たされていた。


(本当に……素敵な、時間でした……)


 ろくな準備もなく、武器すら持たずに、

 魔獣の蔓延る森で、幼い少年たちが、

 隠遁生活を送る……


 事実そうした生活に、苦労は絶えなかった。

 

 それでもなお、そのときの自分たちには、

 笑顔が絶えなかった。


 ――猪を狩ってきたぞ、今宵は鍋じゃ!


 ライヤが仕留めた魔獣を、

 皆で必死に解体して。


 ――雨風さえ凌げれば人は眠れる。草を敷き詰めよ!


 懸命に集めた草で寝所を整え、

 獣の皮を毛布として。


 ――ふはは見よ、お手柄じゃ! これで味気ない食事に彩りがつく!


 ときに森を通行する商人などを魔獣から助け、見返りを頂戴したりして。


 ――歌え! 踊れ! 笑みを忘れるな!

 ――人はただ、生きるのみに非ず!

 ――生を楽しめ! 謳歌せよ!


 動物の骨で簡単な楽器を拵え、草笛を吹きながら、意味もなくただ笑う日々。


 楽しかった。嬉しかった。

 幸せだった。満たされていた。


 たとえどれだけの美食を口にしても、

 あの日の鍋を忘れることはない。

 

 たとえどれほどの贅を尽くしたところで、

 あの日々の充足感には及ばない。


 自分だけではない。きっとあの日々の苦楽を共にした仲間であれば、誰しもがその幸福に感謝を捧げ、不満など抱く者はいないと断言できる。叶うことならいつまでも、ああして皆んなで暮らしたかった。今よりももっとライヤに近い立ち位置で、彼に身も心も捧げたかった。それはエルクリフの、紛れもない本心である。


 けれど、楽園は永遠には続かない。

 始まりと同様に、終わりは唐突に訪れる。


 ――……かはっ。

 ――……けほけほっ。ごほっ。

 ――……うう、ライヤ兄さん、苦しいです……。


 魔力災害の一種である、

 その土地特有の風土病。


 それが、幼い少年たちを襲ったのだった。



【作者の呟き】


 精人族、黒精人オルヴの少女、クロイア。

 

 銀髪ショートちっぱいロリなメスガキ風味お館サマ大好きっ娘。


 属性の過剰搭載が、止まることを知りません。

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