第10話 あんなに楽しそうにして。私に勝ててよかったわね。




 家の玄関をくぐり、ひより、ただいま戻りました。と他のメイドたちへ声をかける。


 帰って服を着替え、身支度をして部屋を出る。

 夕食の手伝いをしようと、厨房に向かう途中、部屋から出てきたお嬢様とばったりと会う。


「こんばんは、お嬢様。」


 私から声をかけるものの、お嬢様は何も言わない。

 お互いたっぷり10秒ほど沈黙し、どうしたものか、と考えていると、お嬢様口を開いた。


「テストはどうだったの?」


 私が今、一番聞かれたくない相手に、一番聞かれたくないことをきかれる。


「いつも通りでございます。」


 たまたま成績が上がったと予防線を張っておこうか迷ったが、素直な感想を答える。


「そう。一位は取れた?」


 私は言葉に詰まったが、事実は事実なので答えるしかなく。


「…はい、僭越せんえつながら…。」


「そう、よかったわね。」


 お嬢様の返事は無機質なトーンで、言葉に感情が乗ってない。


「お勉強会は楽しかった?」


「っ。」


 知られてしまっていたか、と思う。帰るのが遅くなっていたから、気づかれている可能性はあったが、毎回人気のない場所を選んでいたし、可能性は低いと思っていた。でも、そんなことはなかったらしい。しかも、この前名前が上がっていた二人と、だからいいことでないのは明白だ。私らしくはないけれど、できれば隠しておきたかった。


「申し訳ありません。」


 とりあえず何も言わないよりはマシと、謝罪を口にする。


「何が?」


 お嬢様の目が細まる。


「お友達とお勉強なんて、いいことじゃない。何に対して謝っているの?」


 お嬢様は明らかに不機嫌になっている。


「申し訳ございません。」


 お嬢様の目がさらに細まり、謝罪が逆効果だったことを悟る。


「というか、私の質問に答えてくれない? 楽しかったかって聞いてるの。」


「楽しかったです…。」


 謝罪も逆効果なら、私も打つ手が無く、素直に感想を吐くしかない。


「そうでしょうね。抱きついたり抱きつかれたりしながら遊んでする勉強は、良いリフレッシュにでもなってさぞ捗ることでしょうね。」


 無感情のようでいて、所々に怒りを感じる。

 少なくとも勉強会はしっかり見られていた。私からは抱きついていないので、それは否定させて欲しい、なんて的外れな考えが浮かぶが、そんなことを言える雰囲気ではない。

 今回、勉強なんてしなければよかった。そうしたら怒りも買わずに済んだのかもしれない。


「どう? 一位になった感想は?」


「…。」


 私には何も言えない。

 それにお嬢様はさらに腹を立てた様子で。


「きいているの。

 どう?

 あんなに楽しそうにして、余裕たっぷりで私に勝った感覚は。さぞ気持ちいことでしょう?」


 目尻に熱が籠るのを感じて、口の内側で頬を噛む。


「私は六位だった。あなたの圧勝。」


 鼻が当たりそうなくらい近くで強くそう告げて、彼女は去って行ってしまった。


 残された私は、その場でスカートを握りしめて、ただ立っているだけで精一杯だった。感情がぐるぐると渦巻いて体の中をうねりながら回っていく。


 お嬢様に声を荒げられたのは、初めてだった。それ故に、多くを言われずとも足が震えるほどにショックは大きかった。

 以前服を脱げとすごまれたことはことはあったが、今回のように私に対して明確に怒って敵対的にされたことはなかった。


 目の前が真っ暗になったようだった。実際に目の前はぼやけて何も見えない。

 でもここから離れないとお嬢様が戻ってきてしまう。そうしたらもっと彼女を怒らせてしまうだろう。

 ひくっ、と声が漏れる。こんなところを他のメイドに見られたらまずい。理由を聞かれても、今の私には口にできる良い考えが浮かばない。その余裕がない。

 私はおぼつかない足取りで、夕食の手伝いを諦めて自分の部屋へと戻った。



 ◆◆◆



 しばらくベットに閉じこもって泣いていたけれど、いつまでもそうしている訳にはいかない。私には最低限、メイドととしてやらなければいけないことがある。


 ベットメイクをするためにお嬢様の部屋へと向かう。


 扉を低めにコン、とノックし、「お嬢様、ひよりです。」、「いらっしゃいますでしょうか?」とドア越しにきくと、しばらく間があって、入ってもいいよ、とお嬢様の声が届く。


「失礼いたします。」


 そう言って扉を開くと、ベットにちょこんと座っていた寝間着姿ねまきすがたのお嬢様が、すっと立ち上がって私を見る。目があって体が緊張で強張ったが、いつも通りを心がけて言葉を紡ぐ。


「敷物を交換いたします。」


「お願い。」


 お嬢様が壁に寄りかかりながらそう言う。

 お互い無言のまま作業を終える。


「……お勉強会は本当に楽しかったの?」


「?はい。とても楽しかったです。」


 不意に話しかけられて、思い浮かんだ感想をそのまま口にする。


「そう。」


 そっけない返答。不味かっただろうか。熱くなりかけた目尻に力を込める。あの二人のどちらか、もしくはどちらとも、お嬢様が何か思うところがあるのは間違い無いだろう。


 私はその回答、少なくてもヒントが知りたくて、立ち止まって続きを待つが、その先の言葉が紡がれることはなかった。その代わりに、お嬢様がゆっくりとこっちに近づいてきて、右手で私の左手首を握る。彼女は握った手首をじっと見つめて、力を加えていく。私は訳が分からず、お嬢様の手と顔を交互に見るが、起きている事の理由を計り知ることはできない。やがて手が痺れたと錯覚するほどに力が加えられ、その痛みに耐えていると、ふっ、と手の力が抜かれて手首を離される。


 お嬢様の顔を見ようとするけれど、彼女はすでに背を背けて整えられたベットに入ろうとしていた。私はこれ以上何も無いことを悟り、お嬢様の気分を害しないよう部屋を出る。


「お邪魔いたしました。おやすみなさいませ、お嬢様。

 素敵な夢が見られますように。」


 私はいつもの言葉で締めくくって。扉を閉めた。

 腕を見たが、吸血鬼の体に跡は残らなかった。




「…一位おめでとう、勉強頑張ったね。えらいわ。」


 そんな声が扉越に小さく発されたが、自分の手首と睨めっこをしていた私の耳には届かなかった。

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