鏡は閉じて

自分の顔が嫌い。私は自分の体型が嫌い。


とにかく自分自身の見た目が自分の好みとかけ離れている。自分の容姿がどうやってもいいと思えなくて、鏡を見た時に不細工だと思うのが当たり前になった。今まで妹から、姉妹特有のノリで「ブサイク」という言葉はかけられたことがあるが、他の人から容姿に対する悪口を言われた覚えはなくむしろ褒めてもらえた記憶ばかり。それでも私は私の容姿が嫌いだ。


街中にあるガラスなどの反射するもので自分の姿を何度も確認する。顔も姿勢も服装も、目に入るものはできるだけ。自転車に乗っている時に多くの車とすれ違うけれど、私の顔が車に乗っている人の視界に入るのが嫌だからまっすぐ前を向いて走れない。ずっと、若干下を向いたまま。駅や学校のトイレにある鏡は見ない。隣にいる人にも私の顔が見えてしまうから。だからといって手鏡での確認をする訳でもないが。お前みたいな顔の人が鏡を見て何かを整えたとしても変わらないだろう、と思われるのが嫌だから人前で鏡は見たくない。見れない。しない行動の理由は被害妄想みたいなものばかりだ。でもスマホの画面が黒いときはそこに反射した顔を見て、今の自分の顔を確認する。周りの人から見た時に、顔を見ているのではなく携帯の画面を見ているように見えるから。そこでしか安心して顔を確認できない。


もっと言うと私は会話をしている時に人と目を合わせるのが苦手だ。目が合うこと自体は嬉しいのだが相手に自分の顔がどう映っているのだろうと考えてしまって少し苦しくなる。笑顔はもっと気になって余計変になる。笑っている時の自分の顔は信じられないくらい気持ち悪いから人に見せられないし、見られたくない。


他の人から顔を褒めてもらうのはもちろん嬉しいし、ありがたいことだ。だけど褒めてもらえた日に嬉しくて鏡を見たら、そこにはお世辞にも可愛いと思えない顔があって泣けてくる。褒めてもらえたからという期待で、理想と現実の乖離が余計に加速する。鏡を見るたびに可愛くないじゃないか、と思う。これが繰り返されて、褒め言葉をお世辞だろうと思うことが増えた。本音か嘘か、自分の顔に対する評価がいまいち分からなくて、話している時にどう思われるのかが気になってうまく目を合わせられないのだと気付いた。


未だに人から顔だけでなくスタイルを褒めてもらえることもありその度にとても喜ぶのだが、その度に自分自身を見て失望する。何一つ良いところは見つからない。でも自己愛は強くてほんとうに気持ち悪いと思う。


現実はこんなで、ネットでも加工か本物か分からないがとにかく可愛い顔ばかり流れてくる。しかも最近は

明らかにビジュの良し悪しに焦点を当てた歌が増えた。そのような曲がよく流行る。アイドルがかわいいのはすでに分かっていて、言わなくても分かることなのに「かわいい」という単語ばかりが耳に入って曲を聞いてる時でも現実がちらつく。アイドルは可愛い顔で声で、泥臭い努力をした歌とダンスを見せてくれるだけで良い。私は乃木坂46の「夜明けまで強がらなくていい」しか聞きたくない。


自分の容姿を嫌う要因となった出来事がないのにこんなにも認められないなら、私は何を乗り越えれば良いのでしょうか。


もうその時は来ません。



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ありふれた感情と詩と死 青葉羽琉 @gtw38

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