第3話:お受験勉強は厳しいざます

 夢見が悪く口走ってしまったやりたいこと。

 その結果、

「いろは、じゃろ?」

「ABCD」

「えー、べー、しー、でー?」

「ビー、ディー」

「べー、でー」

「……ワシちゃん、ふざけないでね」

「わしふざけとらんぞ!」

 心優しき甘々ママ上から教育ママにジョブチェンジした母の指導の下、まずは読み書きから教育的指導が始まる。

 やるからには武士に二言はない。男アハト、本気で取り組む。

 ただ、

「1+1は?」

「ふっ、わしを甘く見るでない。ええと」

「指禁止」

「ぴょ!? そ、それでどうやって数を数えればいいんじゃ!?」

「そこからかぁ」

「ちょ、ちょっと呆れとらんか?」

「そんなことないわ」

「笑顔が怖い!」

 生涯一剣豪、世界各地を放浪し、ただひたすらに剣のみに生きてきた男にとって、第二の人生は微塵もアドバンテージにならなかった。別に以前の世界からできていたかと言うとそんなことはない。基本学問の学の字もなく生きてきた男である。

「そう言えばワシちゃんにとって別世界の言語なのよね?」

「うむ。何となく聞き馴染みはあるが、地元の言葉とはまるで異なるの」

「実はママと会話するの大変だったりする?」

「んにゃ。わし唯一の特技での、郷に入らば郷に従う。世界中を放浪する内に現地でひと月も過ごせば大体言葉が通じるようになったのじゃ。どこに行ってもなんぞ訛って聞こえるらしいのが玉に瑕じゃが、些細なことじゃの、がっはっは!」

「て、天才じゃない! 読み書きは出来ないけど」

「むふふ、もっと褒めてよいぞ」

「でも、結構前の大戦でね、公用語の統一化が世界中で行われちゃって、しかもモンスターたちの親玉とのやり取りも、今習っている言語でやっているから、そのワシちゃんの特技を生かす場はあまりないわ」

「なんとォ!?」

 唯一の特技である異文化交流スキルも、この地に降り立った赤子の才に発揮できたきり、その後ほとんど活用されることはなかった。

 さらに、

「健全な精神は健全な体に宿る! 良質な学習をするためには学習机に向かうだけじゃダメ! 体も健康的に鍛えましょう!」

「任せよ!」

 教育ママと化した母は体育の指導も行う。

 ただまあ、

「ワシちゃんすごーい!」

「ふんふんふんふんふんふんふん!」

 それに関しては釈迦に説法。今も母を背中に座らせ、片腕で腕立て伏せをすさまじい速さかつ、揺らがずに胸へしっかり効かせたフォームを維持しながら連続で行う。幼少期からコソ練していただけあって見事な技前であった。

 凄過ぎて、

「見よ、この力こぶを。この胸の張りを!」

「……ワシちゃん」

「なんじゃ?」

「アウターマッスルはほどほどにしましょう」

「何故じゃ!?」

「きゃわいくなくなるから」

「……」

 禁止令が下るほどに。ただ、母としても息子に肩車されてスクワットされたり、息子の背中に支えられて腕立てされたり、それ自体は楽しいようで、週に何回か取り決めて、母荷重であれば筋トレが許可されるようになった。

 そんなこともありつつ、

「この筆算っちゅうのは凄いのぉ」

「一桁の計算を行うだけで何桁でも数えられちゃうからね」

「ははぁ……わし、これで目標たっ――」

「九九!」

「は、八十一!」

「そう、その瞬発力よ。次は二桁の掛け算も暗算できるようにしましょ」

「へ?」

「計算力は数学の基礎! 大丈夫、学校で学ぶ程度の数学はね、処理力がものを言うの。ショートカットのテクニックは積み得だから。ね?」

「……わし、たまには釣りとかしたいんじゃが」

「ワシちゃん?」

「っすぅ」

 母の教育方針は徹底的な詰め込み教育であった。たかが受験勉強、どの科目も全部暗記。詰め込めば勝てる、負ける奴は努力不足。

 ゆとりなど言語道断。吐くまで詰め込め。

 吐いたら飲み込め。

「スペルミスよ、ワシちゃん」

「わし、よぉわからんとこにあるhとかkが嫌いじゃあ」

「黙字はね、疑問に思っちゃ駄目。理だから。本当に中身を知りたい時は言語学のくくりになるから……何語から派生したとか、勉強する?」

「……嫌じゃ、しとうない」

「うふふのふ」

 日に百の単語を飲み込み、

「歴史はツリー式で、時系列をただ暗記するのではなく、重要なのはなぜそうなったか、その流れを掴むこと。単語や年表だけ暗記するよりも圧倒的に記憶の定着率が上がります。暗記しなければ話にならないけれど、暗記も効率的にね」

「ははぁ……なんぞ剣にも当てはまるのぉ」

 月に千の、万の学を修める。

 そうしてほぼ白紙の状態から、

「何故こやつらは家を同時に出ぬのだ!? そんなんじゃから要らん計算をする羽目になろうに! 許さんぞ、叩き切ってくれる!」

「ワシちゃん、これはそういう問題だから」

「たかしィ!」

 何だかんだと二年が経過した。

 二年間、教育ママの超詰め込み教育を受けたのだ。

「……負ける気がせぬ。今わしは、三千世界一のすーぱーぱわーを手に入れたのじゃ! ぶわっはっはっは!」

 アハト・オーテヤーデ十二歳、今まさに絶頂期(学力の)を迎えていた。

 負ける気がしない。最強の学力を手に入れた。

「すごいわ、ワシちゃん」

「じゃろ?」

「見事に井戸の中の蛙ちゃんになっているわね」

「ほげ⁉」

 つもりであったが、母曰く必要最低限を叩き込んだに過ぎない。たった二年しか勉強してねーんだから舐めんなガキ(意訳)、とのこと。

 とは言え、学を得たことは事実。

「でもよく頑張りました。ママ、感動しちゃった」

「……ママ上ぇ」

「パパも天国で喜んでいるわ」

「うむ」

 なんだかんだと学びを得ると言うことは楽しかった。挑戦の連続、至らぬ自分と向き合う日々は新鮮であった。

 そう、楽しかったのだ。

(悪くないかもしれんのぉ、寺子屋も)

 自分がいた世界では、少なくとも自分が戦に明け暮れていた時代は寺社が子どもに教える余裕もなかった。たまに教育熱心な、子供の将来を憂いて教鞭をとる僧侶もいたが、そういう者に限って早死にする時代でもあった。

 そんな悲劇を何度も見てきた。

 そう思えばよい世界、よい時代である。

 無論、父のような犠牲があり、平和を勝ち取ったからこそ、安心して学問に注力できる世界であり、時代なのだろう。

 もしかしたら自分が知らぬだけで、元居た世界でも学問が盛んになっていた可能性はある。今更、その価値の一端を知る。

「願書は提出しました」

「そう言えば、この辺の寺はどこにあるんじゃ?」

「寺? 寺院のこと?」

「うむ」

「なんで?」

「学校とは話を聞くに寺子屋であろう。なら、僧侶が教鞭をとるはずじゃ」

「……確かに宗教絡みの教育機関は少なくないけれど、基本的に教師や学校と宗教はイコールじゃないわ」

「……は~、そりゃあ知らんかった。坊主どもに教えを乞うと思っておったわ」

(坊主? ハゲ? なんで?)

 文化の違いに両者、首をかしげる。

 これだけ年月を経ても、ふとした時に違いが見えるのが異文化交流であった。

「では、学校とはどこにある?」

「ここ」

 母は世界地図を広げる。地理も勉強済み、アハトは母が指し示す場所を見て、

「指をさす場所を間違えておるぞ、ママ上。それは異国じゃ」

 母の誤りを指摘する。

「ええ、そうよ」

「……む?」

「せっかく受けるなら世界最大の学校よ! と言っても帝国に比べると格はワンランク落ちるのだけど……あっちは帝国民だけだしね」

 だが、間違ってはいなかった。

「わし、異国の学校とやらに行くのか? それは、その」

「ワシちゃん、寂しいの?」

 母、アハトの様子ににっこにこ。

「寂しいと言うか、自らが生涯を賭し守らねばならぬ者を残し、近場ならともかく異国まで行くのはどうかと思うのじゃ」

 くだらぬ妄執に囚われ、息子の人生を奪った者として、子の代わりに自らの力を振るい、守り抜く気概に変わりはない。

 ゆえに異国まで行くのはどうにも気乗りしなかった。

「ふふふ、ママは大丈夫よ。それに――」

 母、


「十中八九落ちるもの」


 真顔。

「……へ?」

 今の、すーぱーなわしぞ、とアハトは首をかしげる。

「学生数ナンバーワン! そして偏差値もとっても高いみたい」

「……へ、へんさち?」

「だから大丈夫! 本命はご近所の、国立の中高一貫校よ! おうちから通えるし、実力を出し切ったら今のワシちゃんでも絶対に受かるわ!」

 母の言葉に少し安心するが、それはそれとして――

(わしはただの一度も、勝負事を負けるつもりで臨んだことはないんじゃがのぉ)

 負けを見込み戦う、その姿勢はどうにも承服しかねるものであった。生涯無敗、まるで別の道とは言え、負けず嫌いには違いないのだ。

「……片道二時間だけど」

 母、ぼそりと重要事項をつぶやく。

「む? すまぬ、よく聞いておらんかった」

「独り言だから大丈夫よ」

 おほほほ、と誤魔化して、

「ワシちゃんは模試も受けていない、つまり初陣なの。今回は勝負勘を培うため、本命の勝負に勝つための布石よ! ママ、策士!」

 今回のお試し受験が必要な理由を述べる。絶対に息子を学校へ通わせたい教育ママが捻り出した必勝の策。ノリはともかく理には適っている。

「初陣、わしがのぉ。そう聞くと、ふむ、場数も必要ではある。納得じゃ」

 さりとて、

(まあ、やるからには勝ちに行くがの)

 根っからの勝負師、全力で勝ちに行くつもりではあるが。

「勝つぞー!」

「えいえい」

「「おー!」」

 親子の想い一つに、いざ尋常に勝負。

 二年間の積み重ねを外の世界に試す時が来たのだ。


     ○


 母が一緒に行くとゴネたが、試しのお受験に無駄足を踏ませるのもあれなので固辞。行く行かせない、で三日ほどバトルを繰り広げ――

「うう、ママは、ママはぁ」

「では行って参る」

「馬車、乗り間違えちゃ駄目よ。嗚呼、やっぱり心配! ママも行く!」

「童扱いするでない。わしゃあ旅慣れとる」

「ママの子なの~!」

「まあしばしの別れじゃ。結果如何にかかわらず必ず戻る。約束である」

「う“う”……わ“がっだぁ」

 どちらが子どもかわからぬ母の泣き顔を見てアハトは苦笑し、

「わしの留守は任せたぞ」

「御意!」

 子分(村長ら元助平組)らに母の守りを命じる。ちなみに何かあった場合、五体バラバラにして海に沈めると脅してあるので大丈夫であろう。村長からはこの前借りた剣を護身用として再び借り受けた。

 なまくら過ぎて無手と大差ないが、まあ気分が出るので腰から提げている。

「頑張ってね~!」

「うむ」

「もう一度だけ振り向いて~」

「……キリがないのぉ」

「出来ればはにかんで。きゃわいく」

「さらば!」

 最後は脱兎のごとく駆け出し、母の視界から逃げ出した。あれはたぶん、足で引き離さねば一生ごね続けていたはず。

 母の絶叫が旅日和の蒼天に響き渡る。

 それを聞き流し、

「一人じゃ」

 村の外れにある馬車の停留所にて、御者にアハトは運賃を手渡した。母から預かった路銀、大事に、間違いなく使わせてもらう。

「いくつだい、坊や」

「十二じゃ」

「なら、子ども運賃だよ」

「……なんと。割引があるんか。童に優しい世の中じゃのぉ」

 子ども割を適用し、アハトは馬車へ乗り込んだ。

 幌のない馬車は見晴らしがよく、ゆったりと進む景色はアハトの胸を躍らせる。旅はいくつになっても悪くない。しかも挑戦が待ち受けるのだ。

 おそらく四十を過ぎて以降、最大の挑戦であろう。

(久方ぶりじゃのお、この沸き立つ感じは)

 流れる風が髪を撫で、良い日旅立ち。

 アハト・オーテヤーデ、八十八と十二才。剣の通じぬ戦いへいざ参らん。

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