第2話:やりたいこと
「昨夜は醜態をさらしてもうた。すまぬ、ママ上」
「いいのよ、ワシちゃん」
完全に勘違い。自信満々に剣を極めたと思っていた自分が恥ずかしい。何よりも、それを無念と思い、下手するとそれが原因で転生したとすればなお申し訳なさしかなかった。様々な感情が乱れ舞い、号泣する羽目になったのだ。
「「いただきます」」
母の用意した朝食に舌鼓を打ちながら、いつもと変わらぬ様子の母を横目にアハトは複雑な思いを抱いていた。ケジメと思い全てをカミングアウトしたが、結局自分は何処にも到達しておらず、自らの愚かさを証明しただけに終わった。
残ったのは愛しい我が子の中にジジイが入っている、その事実のみ。
「ママ上よ」
「なぁに?」
「その、わしは、結局勘違いじゃったが、自身のすべきことを終えた。これからの人生、わしはこの子の人生を奪った償いのためにも、十年を賭して育ててくれたママ上を支えるべく生きようと思う。無論、わしと共に暮らすのは気色悪かろう。住む場所は別に用意して――」
「ストップ!」
立て板に水、怒涛の勢いで話すアハトの言葉を母の一声が止めた。
「まず、ママはワシちゃんを気色悪いなどと思いません。こんなに可愛いのに、変なこと言わないでちょうだい。ママ怒っちゃうんだからね」
「し、しかし、中身はジジイじゃぞ?」
「実はね、ママ、思っていたの。ワシちゃん、ママに似て可愛すぎるんじゃないかって……犯罪かもしれないって」
「はい?」
母、真面目に語る。
「でも、中身がおじいちゃんなのはね、いい感じに中和されたと思うの。それはそれでギャップ萌えなところもあるけれど……」
「ぎゃっぷ燃えって、なんじゃ?」
「要はママにとってワシちゃんはね、外見がちょーきゃわいくて、中身がおじいちゃんな子なの。今更中身が変わっても、逆に愛せないでしょ?」
息子への愛を、熱く語り切った。
「……ママ上」
アハト、男泣き。自分の目的を果たすため自らの中身を偽り、嘘をつき続けてきた自分に対してあまりにも寛大な母に感謝すると共に、如何なることがあろうとも彼女を守り、幸せになってもらう責務があると思った。
「それと、ママは好きでワシちゃんのママをやっているわけだから重荷だと思わないで。あと、子どもがママを支えようだなんて十年早いわ」
「……」
「わかった?」
「……うむ」
偉大なり、母の愛。彼女の器が大きければ大きいほど、『剣の理』とやらを目指しただけの自分の小ささが嫌になる。情けなくなる。
例え到達していたとして、それがなんだと言うのか。
母の大きさの前ではたかが剣豪、大した価値にも思えない。
「では、十年後、ママ上をしかと支えて見せよう」
「んもう、だからぁ――」
「わしがそうしたいのじゃ」
「……むぅ」
自らの器、その小ささをアハトは悔いた。我がことのために生きてきた。88年とこちらで10年、充分過ぎる時間を費やし、その手には何も残らなかった。
それが答えなのだろう。
ならば、この先はアハト・オーテヤーデとして、この子がするはずだったことをしてやるのも悪くないのかもしれない。自分を誰よりも愛してくれる母への恩返し、これはやはりマストであろう。
アハトが感傷に浸っている横で、
「……あっ」
ピコン、と母の脳裏に電流が走った。
それは、
「そう言えばワシちゃん、昨日、何でもするって言ったわよね?」
ちょっぴり邪まな、
「うむ。ママ上のためならわしは何でもするつもりじゃ」
「本当に?」
「男に二言はない」
母の欲望であった。アハトが前世の望みを、それを果たすために道理を曲げたように、母もまた隠していた欲望を、出すまいと秘していたものを、
「そっかぁ」
出しちゃう。だって何でもするって言ったから。
○
「なんじゃこりゃあああああああああ⁉」
「きゃ、きゃわいいが過ぎりゅゥゥウウウ!」
元無双の剣豪アハト・オーテヤーデ。確かに彼が今、生まれついた肉体は少々男らしさに欠けていた。可愛らしい、そう見る者も少なくない。
だが、これはあまりにも、あまりにもである。
「ご、後生じゃ。わしは、男なんじゃあ!」
「いいじゃない。似合うんだから」
「あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“!」
叫ぶは中身剣豪のジジイ。
外見――ふりっふりのピンクドレスを着る女装系男子。母の意向で伸ばした翡翠色の髪は三つ編みに、元々つけまつ毛の必要がないくらいバチッバチのまつ毛もあり、極めつけは唇にしれっと入れられた朱である。
何処からどう見ても可憐な少女であった。
母、
「んひょおおおおおおお!」
大興奮。
愛する我が子の雄姿を見て、我慢できずに封じていたお手製のドレスをまとう息子に突っ込み、全力で匂いを嗅ぎまくる。
「ンンンンフロォォォオオオオラァァルゥゥゥウ!」
「わ、わしの尊厳がぁ! もう色んな意味で顔向けできぬゥ!」
我が子から華のような香りがする、とは母の弁。
全力で息子の艶姿を堪能する母であった。十年分、全部出しました、とのこと。
○
「んふぅ」
「その、助平な表情をやめい」
「んふふ、ごめんあそばせ」
愉悦に浸る母への尊敬はちょっぴり薄れてしまう。男らしさ迸る剣豪時代ならば考えられぬ扱いに、アハトはため息を重ねた。
まさか、再びあのようなことにはなるまいな、と邪推しながら。
「それで、ワシちゃんはこれからどうするつもりなの?」
「む? 先ほど申した言葉を翻すつもりはない。ママ上を己が力の及ぶ限り、今は亡き父上の分も守り抜く所存じゃ」
「パパ」
「え、そっちも?」
「もちろんよ」
「……ぱ、パパ上ぇ」
「んふふふふ、ワシちゃんも強情ねえ。ただ、ママが聞きたいのはそうじゃなくて、ワシちゃん自身の人生のこと。ママと一緒に暮らすのは大歓迎だけれど、それはそれとして手に職を付けたり、自分の人生を豊かにすることも考えなくちゃ」
「……ふむ。確かにこのままヒモ生活ではいかんのう」
「ママは大歓迎よ」
「ならぬ。おなごに養われるなど男が廃るわい」
「ワシちゃん時代錯誤~」
手に職を付ける、考えるまでもなく今のアハトに必要なことであろう。彼の元居た世界では齢10ともなれば農村では立派な労働力であった。あと2年もすれば早い者で元服を果たし、一人前の武士となる者も出てくる年齢である。
自分はまあ、物心ついた頃には戦場で刀を振るっていた気もするが。
「思えばわしはあまり仕事と言うものに向き合ったことはない。刀を振り回し、戦場を、世界を駆け回り……それだけの人生であったからのぉ」
それはひとえに全て、ただ自分のためだけに生きていたから可能であっただけ。誰かと共に過ごすことを思えば、その日暮らしと言うわけにもいかない。
「やっぱり剣で冒険しちゃう? モンスター退治とか……ママ心配!」
「……剣での稼ぎのぉ」
「あれ? ママは嫌だけど、ワシちゃんもそんなに前向きじゃないのね」
「うむ。いやまあ、わしはこの世界の武人を、モンスターとやらを知らぬゆえ、学ぶことがないと結論付けるのは早計であるのだが……戦場や他流から学ぶ段階ではない、とわしは思うておる。無論、最も得手としておるし、楽ではあると思うが」
老い、劣化、死を前に焦り、偽物の極意を掴んだ自分が何を偉そうに、と自分自身でも思うが、それでもアハトはあまり前向きにはなれなかった。
生前、世界中の争いに参加した。
鬼と、時には人と――数え切れぬ経験を積み、その全てを飲み込み、上回り、無敵となったからこそ最後は自己に学びを、極意を求めた。
そのこと自体に間違いがあったとは思わない。
大きく間違えた今でも。
「あまり意味を感じない?」
「まあ、今はそう思っておる。もしかしたら世界を知り改める可能性はあろうが」
同じことの繰り返し。手が二つあり、足も二つ。同じ血の通った人間が至る極みに、たかが世界を隔てた程度で変化があるとは思えない。
その程度で揺らぐものを、アハトは極みと、『剣の理』と思わない。
「なら、それを見つけましょう? ワシちゃんのやりたいこと」
「……自信ないのぉ」
「あら、ムソーのケンゴーさんが情けない」
「ぶはは、確かにの」
あの時とは違い時間はいくらでもある。剣の修行は自己研鑽で事足りる。今はそれ以上必要としていない。ならば、他に何があるか。
(……なんもないの、わしは)
考えるまでもなく、それしかない自分の薄っぺらさにアハトは苦く微笑む。
○
その夜、男は珍しく夢を見た。
それは、
「のお、西太郎よ。わしゃ暇じゃ」
「東(アズマ)太郎です。見ての通り、私は忙しいのですけどね」
人生の大半を一人で過ごした自分に仲間がいた時代。とても幸せで、だからこそあの時代を、かつての自分が顧みることはなかった。
最後はどうせ悲劇なのだから――
(なぜわしは……まあ、久方ぶりに夢幻に耽るも悪くあるまい)
黄金の時代、其処には若々しい、実際若い黒髪の自分と紙の束とにらめっこする後輩がいた。空気を読み、仕事をさせてやればいいものの、
「にし~、にしたろ~」
「東西を逆に読んで喜んでいるの、うちで先輩だけですよ」
「ひまじゃあ」
(なんじゃ、このろくでもないクソガキは)
自分で呆れてしまうほど、後輩に構って欲しがる若かりし自分は度し難かった。下で暇をしている他の面々と遊べばよかろうに、この年上の後輩を弄って遊びたいだけで仕事の邪魔をしているのだからどうしようもないクソガキである。
「なんかわし、手伝ってやろうか? ん?」
「……先輩に金勘定が出来るとは思えませんけど」
「馬鹿にするでないわ。後輩の分際で」
(……あっ)
このくだり、ようやく思い出した。
「なら、そこの銭の束を数えてもらえますか? 帳簿と照らし合わせたいので」
「これじゃな。任せよ」
(な、なにが任せろ、じゃ。このクソアホめ!)
しばし、沈黙が戻り西太郎と呼ばれた後輩は仕事に集中する。もう顔つきからしてたいして当てにしていない様子。それなのに本人は張り切っている。
暇を持て余したクソガキは遊び半分で銭を数え、
「……にしたろう~」
震える声で後輩の名を、
「東です」
あだ名を呼ぶ。
「飽きましたか? なら、とりあえず数えた分の進捗を……こ、これは」
西太郎ならぬ東太郎はその光景に目を見張る。
「十枚の束を複数作る、ですか。先輩にしては考えましたね」
「わしの奥義じゃあ」
「や、安い奥義ですね。で、数え終わったんですか?」
「無理じゃあ」
「……え? だって、あとは束の数を数えるだけで」
ぷるぷると震える黒髪の少年は、
「わし、十までしか、数えられんのじゃ」
「……十? え、どういう……ま、まさか」
指をわきわきし、自身の無力を噛み締めていた。
「指が、足りんのじゃあ! 十銭の束が、十個以上あるんじゃあ!」
「あとは束数を数えてかけるだけですよ?」
「かけるって、なんじゃ?」
「……今まで討伐数の報告とか、どうされていたんですか?」
「雰囲気じゃあ」
「ああ……だから全然死体の数と合わなかったわけだ」
別に実戦の中で正確に数える意味もなく、大体が過少報告になっていたため気に留めていなかったが、数え間違いの元凶が今発見されてしまった。
恥ずべき記憶である。ずっと内緒にしていたのに。
「上で楽しそうだね」
「ほんと、アズマのことが好きだなぁ、■■は」
「あ、皆さん、実はですね」
「言うなァ!」
(言うなァ!)
かつての自分と夢を見る自分の叫びが重なる。
そして、
「……」
くわ、とアハトは早朝、眼を見開く。
「……今は、二十までいけるんじゃがのぉ」
自身の手を、そして足の指を見て、思い出しため息をついた。
○
「ママ上よ。仕事を見出す前に一つ、やりたいことが見つかった」
「一晩で思いつくなんてワシちゃん天才!」
「いや、逆じゃ」
「?」
早朝の修練を終え、朝餉を手伝い共に食卓を囲む中、
「実はの、わしは指の分しか、数を数えられぬのだ」
「十?」
「二十じゃ。裸足限定じゃが」
「あ、足の指も……つまり、指折りでしかカウントできないのね」
「うむ」
ある意味転生以上に隠したい、男の秘密を暴露した。あの夢で見た後輩の、告げ口をする時の嬉しそうな顔が今も拭えない。
皆に茶化された、あの日の屈辱が今甦った。
「……わしは、数を数えたい。仕事を得る前にどうしても、どうしても……難しいことなのは重々承知じゃ。それでもわしは……わしは!」
あの時はあまりにも悔しくて、あの後の戦場で背後から頭に峰内を叩き込み、気絶させたこともあったが、そんなことでは腹の虫は収まらない。
「百、否、さすがに欲をかき過ぎた。出来れば五十、それだけでも数えられたなら」
あの日の屈辱を、無念を、
「わかりました」
「ママ上ぇ」
晴らすのは、
「ワシちゃんは数を数えたい。つまり、勉強がしたい、と」
「そうじゃ!」
今。
「お受験がしたい、と!」
「そう、じゃ?」
あれ、オジュケンってなぁに、とアハトは首をかしげる。
「よくわかりました。ママ、とっても嬉しいわ」
母、あまりの嬉しさに天を仰ぐ。
「実はね、ママとパパ、昔お医者さんだったの」
「へ?」
「ワシちゃんの手がかからなくなったら診療所でもやろうかなって。ワシちゃんとの生活が幸せ過ぎて忘れていたけれど……そんなことはどうでもいいわ。昔、パパとね、子どもが生まれたら、平和な時代が来たら、子どもは学校に通わせたい、そんな話をしていたの。夢だったの、二人の。ありがとう、ワシちゃん」
「あの、わし、学校とかよぉわからんが、ただ数を――」
「任せなさい! 昔、パパとママが使っていた参考書が倉庫にたくさんあるから! 嗚呼、押し付けちゃいけない、ワシちゃんは剣が大好きだから、そう思っていたのに、まさかワシちゃんが学問の道に興味を示してくれるなんて!」
「五十でいいんじゃ」
「千でも万でも、億でも大丈夫! 一緒に戦いましょう! 平和な時代の戦争を親子二人三脚で勝ち抜くの! お受験戦争よ!」
「わ、わしはぁ」
「ママ、頑張っちゃう!」
何故、何故あんな夢を見てしまったのか。つい出来心から発した願いが母のハートに火をつけてしまった。
お受験、世の親を狂わせる魔性のイベント。
子の将来のために、母は鬼になる。時に家庭をも狂わせる戦争に、かつて鬼を無数に屠りながらも数えられなかった男が飛び込む。
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