第16話 贖罪

「…………ここ、は……」



 そう、夢現といった様子で呟く秀麗な男性。ここが何処なのか、そして自身が今どういう状況なのか、まだ理解が追い付いていないのだろう。それでも――



「――――先生!」


「…………へっ?」


 不意に耳元へ届いた大きな声に、いっそう戸惑った様子の芳月ほうづき先生。……いや、この困惑はむしろ行動に、かな。卒然、壊れんばかりに強く彼を抱き締めた、私の行動に対してかな。




 数日前、帰り道のこと。

 突如、猛スピードでこちらへ接近してくるのは真っ黒なパーカーを纏った影。その人物の手に握られるは、月に照らされギラリと輝く鋭利な刃物。そして、言わずもがなその刃先さきは私――より正確には、私の心臓へと向けられていて。


 ――瞬間、そっと目を閉じた。そう、これで良い。これで、少しは晴らすことが出来る。もちろん、こんなのでは全然足りな……と言うか、当の加害者達に対しては何一つ果たせていないのは無念この上ないけど、それでも――



 ――――グサッ。


『…………え?』


 鈍い音とほぼ同時、呆気に取られたような声を洩らしたのは私……ではなく、犯人。だけど、私も同じような状態もので。……だって、その音が響いたのは私の心臓からでなく――



『…………え』

 


 唖然とする私の視界に映るは……腹部ほぼ中央から鮮血を流し倒れる、芳月先生の姿だった。



『……わ、私、そんなつもりじゃ……うあああああああああぁ!!』


 すると、ややあって我に返ったのか、呟くようにそう口にするやいなや大声で去っていく犯人。だけど、今は気に掛けてる場合じゃない。何はさて措き、まずは先生を――


 そういうわけで、即刻119番へ通報。幸い、ほどなく到着――怪我を具合を確認した救急隊員さんが、すぐさま先生を救急車へ。私も同乗を求められ、躊躇いなく承諾。車内にて簡潔な説明をしつつ、その間ずっと彼の華奢な手をぎゅっと握っていて。どうか……どうか、無事で――そう、ただ祈りを込めて。




「……でも、先生。なんで、あの時あの場……ううん、やっぱり何でもない」

「……そっか」


 なんで、あの時あの場所に――そう尋ねようとして、止める。……そんなの、聞くまでもないよね。甚く心配をかけてしまったと、今更ながらに猛省する。


 ……さて、今日はもう帰ろうかな。私としては、まだまだ話すことはある。あり過ぎて、溢れそうなくらい。でも、流石に今は先生の負担が――



「……その、優月ゆづきちゃん。本当に、今更ではあるんだけど……本当に、ごめん」

「…………へっ?」


 そんな思考の最中さなか、不意に届いた先生の謝罪。……いや、謝るのは私の方。私の方、なんだけど――だけど、さほどの驚きはなくて。そして、そんな彼に対し、徐に口を開いて――



「……やっぱり、そうだったんだね。大切な両親の命を奪った、憎んでも憎みきれない例の夫婦――貴方は、その二人の子どもだったんだね」



 そんな私の言葉に、甚く申し訳なさそうに頷く芳月先生。でも、当然ながら彼が悪いわけじゃない……と言うか、ある意味では彼も被害者だと思うし。


 さて、改めて説明すると――七年前、私の両親は交通事故にてその生涯に幕を閉じた。そして、その加害者たる夫婦の一人息子が彼――芳月千蔭ちかげというわけで。


 でも、繰り返しになるけど彼が悪いわけじゃない。だから、これが全く以て不当であることは自分でも分かっていた。それでも――



『――もし、嫌でなければ……僕と一緒に暮らさないかな、優月ちゃん』



 ――七年前、私にくれた先生の言葉。それが、大切な両親を奪われ、もはや居場所なんてなかった私に対する彼なりの贖罪であることは分かっていた。

 ともあれ……そんな、まさしく降って湧いたような幸運に……これが、絶好の機会とばかりに――私は、復讐を決意した。







 






 


 




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