第2夜

「ねえ聞いた?中条課長の話。」

「そりゃもう。意識不明の重体で朝一で病院に運ばれたんですって。」


 昼下がりのオフィスでお局様たちのひそひそ話が耳に入る。正直なところ俺も課長に何があったかには興味があった。


 30前で課長になったあの男は、仕事内容よりも要領の良さで生きてるタイプ。上に気に入られ可愛がられ、1年前には社長の娘に婿入りしその出世街道を盤石のものにした。そしてそういうたちゆえに下の者に対する情が欠けているタイプでもある。俺の同期であの男を好いてる人間はおそらく存在しまい。


 そんな奴が病院に担ぎ込まれたのだ。心配2割いい気味8割で内情を知りたくもなろう。あまり良い趣味ではないが。


「そういえば颪原おろしばらさんも同じように重体らしいわよ。」

「へえ、今日は無断欠勤じゃないんだ。」


 颪原というのは入社2年目の女性社員。見るからに遊んでる感じの娘で、実際勤務態度もよろしくはない。お局様たちの言う通り無断欠勤も日常茶飯事だ。


 で、そんな問題児がなぜまだクビを切られていないかと言えば、彼女もまた上に取り入るのが得意なタイプだからだと周囲からは言われている。そして上司に媚び売るにあたって、その豊満な身体を使っているとか何とか……


「ちょうど同じ日に同じような目に遭ってるってなると、やっぱり噂は本当だったのかしら?」

「ああ、課長と颪原さんが不倫してるって、あの……」


 そんな噂もあったのか、と自分のアンテナの低さを思い知らされる。仮にそれが真実だとしたら、「奥さんと別れてくれるって言ったじゃない!」的な痴情のもつれからの無理心中未遂でお互い重体、といった構図が想像される。


 ……無いな。あの不真面目な遊び人が、下を見下すイヤミ男にそこまで熱を上げる姿が想像できない。火遊びするにしても本気でなく、互いに保身と性欲で利用しあう関係が妥当だろう。


 となればあるいは不貞に気付いた嫁さんか社長の制裁か?対立する派閥の差し金か?下衆の勘繰りでしかないが、一度気にしだすと色々な可能性が思い浮かんでしまう。


 そんな中で、昨日の「千寿コヒル」のトークがふと頭を過ぎった。


 ―――やっぱり社内不倫かそれ以上の話かー……予想通りだけど。


 ―――まあね、不貞が良くないことは常識なんですよ!本人らは軽い火遊びのつもりかもしれないけど、それで結局一番傷つくのは子供だかんね!


 ―――aoくんのこともね、こっちでなんとかしとくから。


 深夜にスパチャ付きで投げられた不倫の話題。歯切れ悪く「なんとかするから」と締めた「コヒル」。そして朝一で病院送りにされた不倫関係の男女。偶然の一致の一言で切って捨てるには個々の事象が被りすぎている。


(いや、流石に偶然の一致か……)


 しかし俺はその可能性を切った。表向きはVtuberで裏では闇の仕置人とか中二病の妄想だ。万が一そうだったとしてもあの時投げられたスパチャは300円。人ふたりを病院送りにするにはあまりにも安すぎる。不倫の話だってありふれた話題だろうし、たまたまと考えるのが自然というものだろう。


 変なこと考えてないで仕事しよう、俺は頬をパンパンと叩き書類整理に戻った。


 この日は残業が伸び、帰宅は日を跨ぐギリギリになった。疲れたしこのまま軽くカップ麺でも流し込んでから寝よう、そう心に決めていた。しかしいざ家に着くと、俺は何かに取り憑かれたように配信プラットフォームを検索していた。


『#【メンバー限定】本寿コヒル 今夜も今夜とてだらだら雑談配信 《2:00~》』


 そして今晩もあの配信を見るために、深夜二時まで起きることになった。


「『コヒルちゃんおこつー』、はいsuiちゃんありがとー。」

「『おこつ、だっけ?』、初見さん?いや昨日もいたっけ。はいrenくんもありがとねー。」


 ローカル文化の挨拶を書き込むのは妙に気恥ずかしい。しかし反応が貰えるのは嬉しいものだ。


「サウナもだいぶ長いこと流行ってるよねー。まあ私的にはあんまりお勧めしたくないんだけど。特にために入るっていう水風呂。アレお腹への負担が半端ないから。」


「お腹っつーと便秘のお薬も気を付けたいよねー。所謂ピンクの小粒のたぐいって大腸無理矢理ウネウネ動かすようなもんだから中身へのダメージデカいんよ。塩化マグネシウム系の便秘薬マジおススメ。」


 今夜は健康、特にお腹のヘルスケアについてのお話が続いていた。相変わらずアニメ調の美少女がするにはお堅い話題だ。まあ微妙にためになるので昨日よりは楽しく見れているが。


 しかし次の瞬間、俺にとって一番楽しくないコメントが飛び込んできた。


『rin \300 『鬼灯みふぇ』の件についてどう思いますか?』


 健康話の流れと関係なく、唐突にぶちこまれるスパチャ。昨夜からの奇妙な出来事に気を取られ忘れかけてたというのに、嫌なことを思い出させてくれたものだ。画面を見れば「コヒル」も微妙に困ったような表情を浮かべていた。


「えーっと……個人的には『みふぇ』ちゃんに言いたいこと山ほどあるんだけどねぇ。ただまあ今後の活動のことを考えると日和っておきたいっていうか……」


「前にこの枠でやってたコジンVに『深大しんだい小澄こずみ』って子がいたんですよ。私と同じような活動してた子でね。で、その子がね、スパチャ貰って女性関係でやらかしたある大物芸能人のことに絡んでっちゃたの。」


「翌日にはもうBANされてたねwいやーさすが大手の芸能プロダクション、方面の伝手つても完璧だったわ。というわけで、コジン勢としてはあまりに繋がりありそうな話題は極力避けたいってのはあるのよ。」


「まあでも、いくら大手とはいえVtuberの事務所なんて新興企業だからね、方面にはまだ縁が無いかもしんない。いずれにせよ時間も差し迫ってるし、明日を楽しみにしていただければね、ということで今日はこれでお開き!」


 そんな感じに言葉を濁しながら、本日の配信もきっかり30分で終了した。半分見限っているとはいえかつての推し、あまり口汚く罵られるのを聞かされなかったのは幸いだった。






 しかし明日また「みふぇ」の件に触れるような口ぶりでもあった。流石に3夜連続は無茶しすぎな感じもするし、明日は見なくてもいいか、そう考えていた。



 ―――『鬼灯みふぇ、体調不良につき無期限活動休止』というネットニュースを目にするまでは。

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