スーツを来た初老のおじさんはいつの間にか静かに泣いていた。私もまだ泣いていないのに。


おじさんは握手を求めて在坂先輩に手を差し出した。私達がポカンとしていると、この話題では接触を求めるべきでないと気付いて引っ込めた。


おじさんは汗をかいてわかりやすく動揺した。それから苦し紛れに両手でグッドサインを作って笑ってみせた。


私は先輩を見た。先輩は頬の涙をそのままに笑っていた。崩れたアイメイクが頬を伝ってコートに色染みを作っているのに、今は笑っていた。私も大笑いした。


3人で一通り笑うと、私はかといってこの変なおじさんと先輩を2人にして電車を降りるのもよくない気がした。


「次で降ります」


小声で言った。いいおじさんだった。そう言っておじさんは扉へ向かった。私と同じ駅だった。


「俺は知ってます。先輩の努力や気持ち。ずっと忘れません。今年もよろしくお願いします」


私は先輩にそう言って、おじさんに習ってグッドサインを作ってみせた。


「ありがとう、今年もよろしくね」


先輩はハンカチで涙を拭いながらそう言った。


電車を降りてからホームで私はおじさんに手を差し出した。おじさんはバチンと音が鳴るほど勢いよく私の手をとって力強く握手した。おまけに私を抱き寄せて背中をぽんぽんと叩いてくれた。


私はおじさんに慰められたのだ。そうか、私は悔しかった。先輩と同じ気持ちだとは到底言えない。だけど私は悔しかったのだ。




家に帰るとデーブからのメッセージ。


-告った?


と共にSNSのスクショが送られてきていた。


-涙染み。いい新年。


コートの染みの写真。在坂先輩の投稿。


-告ってない

-知らないおじさんのせい


私はそれだけ返事をしてベット脇の充電器にスマホを繋いで今日はもう見ないことにした。


代わりにベットの下の今は使わない大切なものをしまっている箱を取り出し漁った。昔のスマホを取り出して充電器に挿してからシャワーを浴びた。


ドライヤーをしてから古いスマホを手に取ると30%ほど充電できていた。私はボイスメモのアプリを開いて2年前のデータを再生した。


-東京に春の知らせです


先輩の声は私の心を春に連れ去った。私はたまらなく悔しい。ただ純真な心で夢を叶えて、春の訪れを告げる先輩の声をいつまでも私は聞いていたかった。また純真を奪われ夢破れてあんな風に泣く先輩を見たくなかったのだった。


私は心を春の清々しさでいっぱいにして、その分だけ悔しくて1人で泣いた。


だから私は一連の報を決して許さない。私は決して許さないのである。

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