紅い薔薇色に染まる指先が牙を剥くさき ~傲慢な女主人は陰に紛れて嗤い、健気な少女は陽の中で拳を握る~

弥生 知枝

第1話 紅い薔薇色の指先の記憶


 霞んだ視界――。


 ぼんやりとしか判別できない虚ろな景色。けれど不意に差し込んだ光が、ひらひらと舞う小さな紅い薔薇色を鮮明に浮き上がらせた。


 途切れかけた命の糸を、確たる意思で繋ぎ止めるべく目を凝らす。

 すると紅い薔薇色は、細い女の指先と見て取れた。



 ◇◇◇



「お客様がお見えになることだし、さっさと済ませないっ、と」


 独り言を掛け声代わりに、勢いをつけてなみなみと水の入った桶を持ち上げる。声の主は、半年前から使用人として働き始めた14歳の少女、レイだ。

 黄赤マリーゴールド色の髪を乱雑に編み込み、使用人の黒い簡素なワンピースと、白いエプロンのお仕着せを纏っている。

 まだ太陽は昇ったばかりと言うのに、既にギラギラと焼け付く熱気を放ち始めている。


「お日様は有り難いけれど、暑すぎるのは勘弁してほしいわ」


 額に滲んだ汗を、そっと袖口で拭う。


 木陰ひとつ無い芝の庭園に設けられた水汲み場は、幾何学模様に敷かれた石畳が陽の熱を照り返し、夏の今は天空と足元の両方から外に居るものを容赦なく炙る。


「レイ! さっさと客間を整えて頂戴。今日は大切なお客様がいらっしゃるんだからっ! それが済んだらお茶の仕度よ! 早くなさいっ」


 水汲み場に影を落とさぬ程度には離れた屋敷から、若い女性の苛立った声が飛んで来た。

 レイが屋敷の窓を視線で辿れば、薄暗がりに包まれた二階の窓から、水色の豪奢なドレスを纏った少女が鋭い視線を向けている。陶磁器の如く白く滑らかな肌に、艶やかな淡い金の髪をハーフアップにした美少女・カマイラだ。


「自分は絶対に陽の下に出ないで優雅なものよね。わたしだって半年前までは……」


 キュッと下唇を噛み締め、日に焼け、赤く荒れてしまった自身の手に視線を落とす。伏せた瞳に、傷ついた光が一瞬過った。だが、そっと瞼を閉じ、勢いよく目を見開けば、何かを決意した強い眼差しとなる。


「負けないんだから。絶対に、全部取り戻すんだから」


 ひっそりと呟きつつ、レイは再び水桶を持つ手に力を込めて歩き始めた。


 今日は、いつもの炊事、洗濯、掃除以外に応接室の準備まである。きっと、休憩もなく動き回ることになるだろう。来客は午後の刻限を告げられたから、そちらの準備は後回しでも、何とか体裁は整えられる。


「わたしの苦しむ姿を楽しむカマイラを、むざむざ喜ばせるような真似はしないんだから」

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