第2話 サキュバスの名はルナ

 気がつけば僕は牛丼をかきこみながら、ルナさんに先ほどのいきさつを語っていた。

 ルナさんはスプーンで上品に牛丼を食べている。

 ふむふむとルナさんはうなづく。

 僕はきっと誰かに聞いてほしかったのだと思う。一人で抱えこんでいたら、頭がおかしくなりそうだ。

 あんなに好きだったのに僕は知らぬ間に別れていて、あまつさえストーカー扱いされた。

 心がずたずたに引き裂かれた思いだ。

「それは残念でしたね」

 ルナさんはぺろりと牛丼と豚汁をたいらげ、紙ナプキンで口を拭いていた。

ふーとルナさんは息を一つ吐く。

 両手をあわせて彼女はごちそうと小声で言う。

 食べきった僕もごちそうさまという。


「それでその指輪どうするのですか」

 じっとルナさんは僕を見つめる。

 しかし、この人美人だな。

 黒く長い髪は絹のような艶がある。切れ長の瞳に赤くて厚い唇。左目の下のほくろがセクシーだ。それにスタイルもかなりいい。ブラウスの上からでもその胸の豊かさがわかる。メロンが二つ胸についている感じだ。

「捨てるのももったいないし、どうしましょうかね」

 僕はリュックサックから指輪の入った紙袋を取りだす。かと言って返品するのもなんか違う気がする。

「あの、よかったらもらってくれますか?」

 我ながら馬鹿な提案をしたと思う。

 ただの店員と客だというだけなのに指輪をプレゼントしようなんて。

 ただ偶然、この牛丼屋さんで席が隣同士になっただけなのに。

 きっと断られるだろう。

 ほとんど他人の男から指輪なんか渡されたら、気持ち悪がられても仕方がない。


「本当に私がもらっても良いんですか?」

 両手の平をあわせて、ルナさんは僕を見ている。

 その美貌に僕は思わず見惚れてしまう。

 それは思ってもいない返答だった。

 捨てるのももったいないし、こんな美人が受けとってくれるなら、そう悪くないと思った。

 ルナさんはすっと僕の前に左手をだす。

 これってもしかして、はめてよという事なのだろうか。

 僕はふるえる手で紙袋から指輪の箱を取りだす。

 箱を開け、指輪を取りだす。

 人差し指と親指で指輪を挟み、僕はルナさんの左手薬指にその指輪をはめる。

「あらっぴったりですわね」

 ルナさんの言う通り、その指輪は彼女の指にぴったりとおさまった。

 よかった、無駄にならなくて。

 そう思った瞬間、僕の心臓は早鐘を打つ。

 どうしたのだろうか。

 美人を目の前にして動悸がはやくなっているのだろうか。

 体全体が熱くなり、意識がもうろうとする。

 ひどい眠気が僕を襲う。

「これはあなたが選んだことですからね。これで契約はなされました。サキュバスに指輪を贈るということは下僕になると言うことなのですよ。知らなかったというのは通じません。知らないほうが悪いのですからね。契約は絶対遵守、不履行は魂の消滅。でも、悪いようにはしません。私は下僕には優しいのですからね」

 そのルナさんの言葉を僕は理解できなかった。

 もうろうとする意識の中で、サキュバスとは下僕とはと単語だけが頭の中で踊っている。

「契約解除するには指輪を外すことよ」

 ルナさんの冷たくて白い手が僕の手に触れた瞬間、意識を失った。



 気がつくと僕は自宅のワンルームマンションに帰っていた。

 窓からは朝日がカーテンの隙間から漏れている。

 壁のデジタル時計は七時ちょうどだった。

 心臓の動悸や体の熱は消えていた。

 昨晩のことは夢だったのだろうか。

 だとしたら説明がつく。

 里穂が僕を捨てて、あんな男と付き合うはずはない。その後のことのほうがもっと現実離れしている。

 偶然、あのジュエリーショップの店員さんと牛丼屋さんで同席するなんて。しかも指輪をプレゼントして、サキュバスの下僕だなんて言われる。こんなのは夢でしかないだろう。

 そう思った僕だったが、その考えは完全に打ち砕かれた。

 黒いロングヘアーの超絶美女が僕の顔をのぞきこんできたのだ。

「お目覚めね。さあ、朝ごはんを用意したから食べなさい」

 ルナは僕の頬を撫でる。

 冷たくて気持ちの良い手のひらだった。

「私はサキュバスのリリス・ルナよ。今日からあなたの主人になるわ」

 うふふっとルナさんは妖艶な笑みを僕にむけた。

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