第45話 自称ロミオに執着されてます。(18)兄編
時刻は日の落ちた6時過ぎ。朱里は家政婦の手によって、食卓にセットされていくすき焼きの鍋を、そわそわと見つめていた。隣では兄がリラックスした様子で、向かい側の父と話をしている。
「ただいま」
すると玄関から声がした。
「あ、お母さんだ」
朱里は弾かれたように顔を上げ、立ち上がる。母の幸子が、出張から帰ってきた。すると琉斗が急に喋るのをやめた。母が現れるとなると、兄は大抵不機嫌になるのであまり気にせず玄関へと向かう。
「おかえりなさい」
「ただいま朱里」
笑顔で母を出迎えれば、薄くだが微笑まれた。それだけのことで嬉しくなって、はにかむ朱里がいた。
「あら、もう琉斗帰ってるの?」
「うん。3時過ぎにもう来てたよ」
「そう……」
幸子は琉斗の大きな靴を見つめながら頷いた。琉斗とは逆に、母は兄に会う時は大抵機嫌がいい。
「朱里、これ福岡のお土産」
「わ、ありがとう」
手渡された紙袋を受け取ると、ムスクと微かに煙草の香りがした。幸子の香りの色は鮮やかなマゼンタ。そこにかかる黄緑。
福岡に行く時は、いつもこの人だな──。朱里は微笑みながらも、母の愛人の影を見ていた。
「おぉ、お疲れ、幸子」
「はい、ただいま戻りました」
2人が居間に入ると、父が椅子に座ったまま声をかけてきた。それに対して母はいくらか硬く答える。物心ついた頃から、母は父に敬語を使っていた。
「琉斗、おかえりなさい……!」
「……どうも」
先ほどの冷やか表情とは一変して、琉斗に声をかけた母が笑顔だった。それに対して彼は視線を伏せたままだった。彼は両親に、敬語を使う。
家族なのに、皆距離がある。朱里が自分の家族が普通じゃないと気付いたのは、中学の時。丁度自分が感じる香りの感覚がどういった類のものなのか、はっきり認識するようになった頃からだ。
席に座る時に、父をそっと見た。父からは沈香の香りが漂い、藍色帯びている。そこに僅かに明るい赤がさす。朱里が物心ついた時からずっと、父にはその人の影がある。
食卓に家族4人でつく。お正月に会った時も思った。
あぁ、くさいな──。つい、そう感じてしまって心が暗くなる。
朱里が家族で揃って会いたくないのは、兄と母の緩衝材にされる事が嫌なのではない。家族の爛れた事情を、嫌でも知らされてしまうからだ。
家政婦が鍋に牛脂を溶かして、ネギと牛肉を焼き、割下を回し入れた。瞬間じゅっという音を立てて、すき焼きの甘い匂いが部屋に充満する。朱里は顔を綻ばせた。
「「「「いただきます」」」」
皆で手を合わせて、いち早く肉に手を伸ばして、頬張る。
食事はいい。
どんな匂いも、
どうでもよくしてくれるから──。
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