自称ロミオに執着されてます。 朱里編

第27話 自称ロミオに執着されてます。(1)

 溺れそうになって、水から必死に這い上がったかのような気分がした。呼吸を整えようにも、浅くしか息ができないでいた。

 

 ──ジュリ、大丈夫?

 

 そう心配そうに私を覗き込む彼の眉間には、深い皺が刻まれていた。

 大丈夫だよ、とか、平気だよ、と声を出そうにも、ひゅうひゅう息が出ていくばかりで、言葉が出ない。

 硬く握りしめていた拳に、手を添えられる。彼の手は大きくて、筋張っていて。少しひんやりしていた。

 ──ごめんね、無理させて。これからはゆっくり、思い出していこうね。

「……おもい、出す?」

 絞り出したその言葉に、彼は微笑んだ。

 ──いくらでも待つよ。それが来世になったって構わない。

「……らいせ?」

 その言葉に、思わず顔をしかめる。

 ──また生まれ変わっても必ず君に会えるんだ。

 それでもなお、彼は笑っていた。

 

「それが“僕”の、宿命だから」

 

 手を、優しくも強く、握られた。

 エメラルドに似たその瞳を見つめ続けていると、途端、彼が誰であるか、分からなくなってきた。

 そうして、自分自身でさえも。喉の奥がつかえる。

 

 遠くで響く、誰かの怒った声。誰かの笑った声。


 貴方は誰で、私も、だれ?



 【自称ロミオに執着されてます。】


 栄藤朱里が9歳の頃の話だ。

 母方の祖母が亡くなった。母であり、線香製造会社“紀平香道”の代表取締役でもある栄藤幸子は、気丈に喪主を務めていた。

 白い長袖のシャツと、真っ黒まワンピースに身を包んだ朱里は、そんな母の顔をそっと見つめていた。悲しくはないのだろうか、と思っていた。それまで都内1人暮らしをしていた祖母が体調を崩してから棺に入るまで、2週間とも経っていなかった。

 孫である朱里は、祖母が亡くなって悲しかったかと言えば、正直微塵も悲しくなかった。母も朱里にはいつも素っ気ないが、祖母はそれ以上だった。冷たかった、わけではない。そう、ただ本当に素っ気なかった。母は朱里の4歳上の兄である琉斗るいとの事は溺愛していたが、祖母は琉斗に対しても同じような態度だった。

 そもそも、正月とお盆の、年に2度会う程度で、祖母は主に両親と話していたから、その間朱里は祖母が飼っていた猫を兄と一緒に撫でるなどしていた。その猫も、去年老衰して亡くなってしまった。


 物言わなくなった祖母は白い花に囲まれ、赤や青くなるであろう炉の中へと旅立った。

 収骨を待つ間、朱里は外でしゃがみ混んでただ黙々と煙突から上がる煙を見ていた。出された冷たい弁当を食べる気がしなかったし、黒服の大人たちから発せられる様々な“香り“がする空間は、朱里には耐えられなかった。そうしていると、兄の琉斗が同じく隣にしゃがみ込んできた。


「退屈だな」


 その言葉に、朱里は目を丸くした後に笑った。そんな事を思うのはひどいだろうか、と感じていたところで、兄も同じことを思っていたからだ。


「おばあちゃん、煙になっちゃったね」

「煙?違うな。骨になるんだよ」


 ぽつりと呟いた言葉を、琉斗はそう打ち消してきた。


「そう?煙になって、天国に行くんじゃない?」

「いいや、死んだら骨になって墓に入るだけ。天国なんて、ないよ」


 ぼんやり煙を見つめる朱里とは対照的に、琉斗の顔は険しかった。


「……私はずっと暗いお墓の中は嫌だな。煙になったら、どこへでも行けるし。死んじゃっても、家族に会いに行けるかも」


 朱里が軽い気持ちでそう言うと、琉斗が眉間に皺を寄せながら睨んできた。


「朱里。冗談でもそんなこと言うな。死んだら何もかもが終わりだ。……会いになんて、これやしない」


 いつも自分に対して優しい琉斗に怒られて、朱里は思わず肩をすくめた。


「……ごめんなさい」

「別に、いい」


 謝ったのにまだ怒ってる──。琉斗がそうそっぽを向いたのを見て、朱里は少しむっとした。兄は普段大人っぽいのに、変なところでへそを曲げる時があった。朱里は、彼自身の膝に置かれていた手を、そっと握った。その行動に、琉斗は少しだけ驚いた顔をして、仕方がないように微笑んだ。


「なんだ、死ぬの考えたら怖くなったのか?」


 怖くなど、少しもなかった。けれど、小さく頷いた。彼女はどうしたら兄が機嫌を直すのかを、無意識によく知っていた。

 琉斗はため息をつくと、その手をぎゅっと握った。その手は、いつも暖かい。


「大丈夫だ。いつも、俺がそばにいるから」


 晴れやかに笑うその顔を見て、同じく朱里も笑みを浮かべて頷いた。その言葉、というよりかは、機嫌を直してくれたのが嬉しかった。

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