傾国は人妻になってもやっぱり傾国

囚われた麗しの姫を助け出した騎士は、その竜の首を傍らに置き、竜の心臓を捧げて、姫に永遠の愛を誓ったのでした。



ユリシア・ワーグナー辺境伯夫人が、ヴァルハイト・ワーグナー辺境伯のもとに嫁いで、2年が経とうとしていた。

嫁いで間もなく、夫人の懐妊が発表され、世の男性たちは大いに嘆き悲しんだ。

ユリシアの信奉者たちは、これは本当の結婚ではない、ユリシアは御身の庇護を求めて辺境伯家に入っただけであり、白い結婚であるとのうわさを流し続けていた。

実際そう思い込んでいた者たちのなかには、絶望のあまり神の道に入ったり、放浪の旅に出たり、失意で呆然としている間に肉食系令嬢たちにかっさらわれていったりと、様々な道をたどることになった。

そしてユリシアは嫡子となる男の子を出産し、8か月の子育て期間を経て再び夜会へ参加することが公表され、世の男たちはまた色めき立った。

子持ちの人妻となってなお、ユリシアをいまだにあきらめきれない彼らは、今度こそ彼女を取り戻そう(そもそも自分のものですらない)と悲壮な決意でもって夜会に参加したのである。

そうして、王城で開催された夜会で、今ユリシアとヴァルハイトの前に集まった令息、のみならずあわよくばと紛れ込んだ好色オヤジどもの数は、総勢20名を超えた。

その夜、彼らは奇跡を目の当たりにするのである。


人妻となり、出産を経たユリシアは、美少女から美女へと変貌を遂げていた。


以前より少し大人びた容貌、細身ながらもしっかりとその質感を主張する胸元、折れそうに細い腰から柔らかな曲線を描くその先は、豪奢なレースの波によって阻まれているけれど、十分にそのプロポーションの良さを想像させる。

また、その真っ白な肌は、胸元から腕の先までを透け感のあるレースですべて覆われているが、その隠され具合がまた絶妙で、その薄い布の下の雪のような質感を思い浮かべるに十分な、程よい隙をうかがわせるのだ。


ワーグナー家の侍女たちが、奥様は隠してしまったほうが色気が出ますからね! ちらりずむというやつですわ! とはっちゃけた結果である。


つまりは、元の清楚な美しさをそのままに、控えめながらも匂い立つような色気をまとうようになっていて、人のものであるという背徳感も相まって、会場中の男性の雄の本能をいたく刺激しまくった。

その結果。


「ユリシア嬢、目を覚ますんだ! その男に惑わされてはいけない!」

「かわいそうに、そこの悪魔があなたを無理やり自分のものにしたのだね。ユリシア嬢、待っていてくれ、今君を救い出す!」

「辺境の悪鬼よ、ユリシア嬢から手を引け! 彼女にふさわしいのはこの僕だ!」

「辺境伯殿、これ以上あなたに縛られる可憐な花を見ていることはできない。ユリシア嬢を解放してくれ!」

「辺境伯閣下、まだわからないのですか? あなたのような野蛮で恐ろしい男は、ユリシア嬢の隣にはふさわしくない!」


『目を覚ませ』族、『あなたにふさわしいのはこの僕だ!』族、『君を解放してあげる』族、『君は姫にふさわしくない!』族、『姫を奪った男の魔の手から助け出す』族が一堂に会した場は、(ある意味)なかなかに壮観だ。


「ユリシアは我が妻だ。ワーグナー辺境伯夫人、と呼べ」


が、そこに冷や水を浴びせたのは、夫であるヴァルハイト・ワーグナー辺境伯であった。

2mに迫る長身、鍛え抜かれた体躯、精悍で整った顔立ちだが、いかんせんワイルドすぎるのと目つきの鋭さで、ラスボス感満載の容貌は、はっきり言ってその場の誰よりも威厳と迫力が備わっている。

玉座の王族もかすむほどの圧倒的な存在感(主に恐怖で)をこれでもかと放ちつつ、周囲を威嚇している。これだけで、胆力のないものは『退避ッ! 退避~ッ!』とばかりに壁際までぴったりと引き下がる始末だ。

「こいつらをユリシアに近づけるな」

辺境伯家の護衛に命じながら、まるで宝物のごとくユリシアのほっそりした手を捧げ持ち、ヴァルハイトはその白い指先にキスを落とす。

「ユリシア、俺が守る。安心してくれ」

「はい、ヴァル様」

ユリシアは、己の唇から指先を離そうとしない夫を、ぽうっと上気した顔でうっとりと見つめている。

さすがに結婚から2年たてば、このくらいの会話は緊張せずにできるようになった。もともとユリシアに惚れ込んでおり、愛を隠せないヴァルハイトは、口に出すのが苦手な代わりに、時にこのような触れ合いを臆面もなく実行するようになった。

そうして意図せずぶっこまれる実力行使愛情表現を食らう度に、嫁はめろめろに惚れ直してしまうのだが。


辺境の悪鬼、大進歩である。


だがしかし、所有権を主張され、独占欲をこれでもかと見せつけられたユリシアは、素晴らしい夫にときめいてしまい、周囲に群がる男たちのことなど、塵芥ちりあくたほどにも目に入っていない。


そんな馬鹿な。王国の『妖精姫』とうたわれる美女が、こんな魔王に心奪われる姿など!

見ない、見えない、見たくない、信じない!

阿鼻叫喚である。


「だが」

たった一言。声に乗った圧力で、数人がへたり込む。残りの男たちに不機嫌を隠さず、ヴァルハイトは視線に力を込めた。

「我が妻に不埒な意思を持って近づくのならば、命を散らす覚悟があるということだな?」

そう言い放った瞬間、男たちはがくがくと腰が抜けてへたり込み、這う這うの体で逃げ散った。

しかし、顔面蒼白になりつつも、総崩れになる男たちの中で踏みとどまった数人の令息に、ユリシアは困ったように首をかしげた。

「わたくし、もう子持ちのオバサンですのに。なぜ年増の既婚者にこのように興味を持たれるのかしら?」

当然、ヴァルハイトは地獄の番犬のようにブルブルと首を横に振って否定する。

「あなたは、いつまでも若くてきれいだ」

「まあ! うれしいわ。ヴァル様も素敵です!」

ほのぼのいちゃいちゃする夫婦の横で、うんうんとしたり顔でうなずくのは、ヴァルハイトの副官、キール・ローランドだ。

「仕方がありません。奥様はお美しいですから。特に今夜のいでたちは素晴らしい。うなじをすっきりと見せ、胸元はレースで隠しながらも艶めかしさを損なわない。ヴァルでなくとも男が放っておきませんよ」

と、今夜の夜会に付き従ってきた、ヴァルハイトの幼馴染の副官は臆面もなく言う。

キールは垂れ気味の目に整った顔で、軽薄な雰囲気を漂わせる美形だ。ヴァルハイトほどではないが、長身で鍛えられた体躯は細身の騎士服がよく似合う。しかし、キールの軽口を、ヴァルハイトはあきれたようにため息をついただけで、彼をとがめることはない。


キールにとって、ユリシアは美術品のような女性だ、と思う。

美しく、見ていて飽きないが、主の隣に立っているのを見るのが楽しいのであって、全く欲望の対象にならない存在だ。

何せ、ヴァルハイトとユリシアがそろっている前で堂々と、

「奥様は美しいと思いますが、俺は妻にしか勃ちませんので」

と言い放ち、『ユリシアに下品な言葉を聞かせるな!』とぶっ飛ばされたことがあるくらいだ。自他ともに認める愛妻家なのである。


その彼が、ふと何かを思いついたように笑った。

なかなか癖のある彼との付き合いは長い。明らかに何かを企んでいる様子のキールに、ヴァルハイトは眉をひそめるのだった。

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