第5話 自分を責める心のバイアス
「やっぱり、私の性格が問題なんです。」
セッションルームの静寂を破るように、優奈の震えた声が響いた。彼女はテーブルの端をぎゅっと握り締めたまま、言葉を続けた。
「子どもの頃から、何をやっても完璧じゃないとダメって思ってきたんです。勉強だって、スポーツだって。結局、私が弱いから、こうなってるんですよね。」
その言葉には、真にとって聞き覚えのある響きがあった。それは、かつて彼自身が自分に対して向けていた厳しい言葉そのものだった。
「優奈さん。」
真は深呼吸し、言葉を慎重に選びながら話し始めた。
「その気持ち、すごくよくわかります。自分が弱いから、ダメなんだって思う。僕も同じように感じてきたことがあります。でも、本当にそうでしょうか?」
優奈は小さく首を振り、「でも、事実じゃないですか?」と呟いた。
真の脳裏には、学生時代に抱えた劣等感が蘇っていた。試験で思ったような結果が出せず、自分の能力を責め続けた日々。そんな時に頭の中で響いていたのは、「お前はまだ足りない」という厳しい内なる声だった。
「優奈さん、こんな話をしてもいいですか?」
真は自分の体験を少しだけシェアすることにした。
「僕も、以前はすぐに自分を責める癖がありました。例えば、誰かと意見が対立すると、『きっと自分の言い方が悪かったんだ』とか、うまくいかないことがあると、『もっと努力しないからこうなったんだ』って考えてしまっていました。でも、その考え方って、本当に全部正しいわけじゃないんです。」
優奈は真を見つめた。「じゃあ、どうしてそう思っちゃうんでしょう?」
真はペンを持ち、ホワイトボードに大きな円を描いた。
「この円が、私たちの思考の範囲だとします。」
その中に矢印をいくつか描きながら説明を続けた。
「私たちは、つらいことがあると、その原因を探そうとします。でも、疲れている時や自信がない時って、どうしても『自分に問題がある』という方向ばかりを探してしまうんです。これを心理学では『ネガティブな思考のバイアス』と言います。」
優奈はじっとその図を見つめ、少しずつ理解しようとしている様子だった。
「でも、先生。」優奈が声を絞り出した。
「もし本当に私が悪かったら、どうすればいいんですか?」
その質問に真は少し言葉に詰まった。自分も同じ問いを繰り返してきたことを思い出す。
「もし優奈さんが本当に何か間違いをしていたとしても、それを必要以上に責め続けることは、自分を傷つけるだけなんです。」
真は深い呼吸をし、さらに続けた。
「大事なのは、間違いから学んで、次にどうするかを考えること。でも、そのためにはまず、自分を責めすぎないことが必要です。」
優奈の目には、涙が溢れていた。
「そう簡単に、自分を許せないです……。」
真はその言葉を受け止めるように、静かにうなずいた。
「そうですよね。許すことは簡単じゃない。特に真面目な人ほど、自分に厳しくなりやすいから。でも、自分を少しだけ優しく見つめることも、大事なんです。」
真の言葉は、自分自身にも向けられているようだった。優奈の姿を見ていると、自分の中にある「内なる声」の厳しさを改めて感じた。
その日のセッションが終わった後、真は指導教官の瑞穂に相談することにした。
「瑞穂先生、僕もどうしてもクライアントと同じように、自分を責める気持ちが湧いてしまうんです。もっと良いアプローチができたんじゃないかって……。」
瑞穂は静かに微笑み、「深見さん、それがあなたの強みよ。」と言った。
「自分を責める気持ちがあるからこそ、クライアントの気持ちに寄り添えるんじゃないかしら。でも、それが重荷にならないように、自分自身にも優しくなる練習をしなきゃね。」
その言葉は、真にとって大きな救いとなった。
帰り道、真は空を見上げながら思った。
優奈だけでなく、自分自身も「内なる声」に縛られていたのだ。まずはその声を少しずつ和らげること。それが自分に課せられた、次の課題なのかもしれないと感じていた。
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