スターゲイザー

@Aoba_yoru

 

『うつむいたっていいんだよ』

 そう言って彼は背伸びして私の頭を撫でた。何の根拠もないくせに眩しすぎる笑みにどうしようもなく惹かれた。ああ、眩しいなあ......。私もああなりたいな。眩しくて、どうしようもなく、美しい。そして同時にどうしようもなく、憎らしかった。


 彼と出会ったのは6歳の頃だった。恐ろしいほどに端正な顔立ち。小柄な背丈。透き通るような声色。『可憐』その言葉を体現したかのような彼に目を奪われた。恋心などではない。誰もが目を奪われた。奪われないはずがなかった。彼の一挙一動が様になる。

「別嬪さんねえ」

 そうつぶやいた見知らぬ婦人に同意せざるを得なかった。恐ろしく美しかった。当時のことを知る友人はみな口をそろえて「とんでもない美少女がやってきたと思った」と語る。彼は一瞬にして、そこにいるすべての人間を魅了した。


 彼と私は6年間を通して常に同じクラスだった。とても規模の小さな学校だったため、クラス替えなど存在しなかった。彼の名は伏せることにするが、容姿に違わぬ美しい名だったということだけは記しておきたい。残念なことに彼とはことごとく意見が合わなかった。好きなお菓子、好きな色、得意な教科......。ことごとく正反対で、よく対立したものだ。私と彼の唯一の共通点は、とにかく頑固だということだった。何かと衝突して、時には手が出たりして。友人には今でも土下座したくなるくらいにはとても頑固で、変なところで意固地になって、こだわりが強かった。恐らく、これが私の人格の主となってしまった。それまで引き出されることのなかった負けず嫌いな部分を彼はいとも簡単に引き出した。私や彼と同じグループになった方々には多大なる迷惑をおかけしたことだろう。この場を借りて一度謝罪しておきたい。 

 でも、そんな日々も悪くはなかった。美しい容姿と飾らない(というよりやたら我が強い)性格の彼に惹かれる人間は少なくなかったけれど、私が見ていたのは恋愛対象としての人間ではなく、ただの絶対に負かしたい人間だった。同時にこいつなら、背中を預けても構わないという根拠のない、しかし揺らぐことのない自信。それを彷彿させたのが、憎いほどに美しい彼だった。


 9歳の頃。偶然、私の所属していたクラブチームに彼が入会してきた。無論、そこでも彼は人気を博した。あまり笑うことがないことに定評のある、とても上手い同期も花が咲くように笑っていて、私はなんて幸せな世界だと感じた。私と彼の別れがすぐそこにあるのを知る由もなかったのだから。

 彼が入会してから、私はクラブチームに向かうのが苦痛になった。それまでも同期に合わせろ、が指導者の口癖だったが、それは加速した。指導者は同期の両親と関りがあったので、もともと頭の上がらない関係だったらしい。子供ながらうすうす気がついてはいた。圧倒的な贔屓。実際手が届くはずもないほどに上手かったものの、何かしらの失態の矛先は常に私に向いていた。後輩の失態も同期のミスも全部私が請け負ってきた。被害妄想なんてものじゃない。9歳の私にはあまりに荷が重かった。しんどかったし、苦しかった。

 それを察知してしまったのが、あろうことか彼だった。彼は他人のことが放っておけず、お節介で、嫌に優しいきらいがあったから、何かと気にかけてくれた。それが、よくなかった。同期は恋をしていたのだろう。少なくとも、潜在的に意識はしていたはずだ。彼が私に目を向ければ向けるほど、環境は悪化した。

「消えて。あたしの視界に入らないで」

 そう言われた日、私はクラブチームをやめた。指導者側の発言もそこそこ取り上げられ、指導者も辞任した。同期と彼を残して。


 中学に上がると、彼とはクラスが分かれた。近い成績だったから、均衡をとれるように、ということだったのではないかと友人は語る。同期は私立校ではなく、同じ中学に上がってきた。なんでも友人が多いほうがよかったから、だそう。

 私と同期、そして彼は同じ部活動に所属してしまった。部活動は地獄だった。同期に嫌われるのは想像がついていたが、同期の取り巻きがまた厄介だった。恐らくあることないこと噂していたのだろう。当番制だった片づけは押し付けられ、先輩からの連絡は伝えられない。そんな状況に嫌気が差し、私はサボることを覚えた。

 放課後、チャイムとともに席を立つコンビニに寄ってアイスを買った。図書館に行って部活終わりの生徒を横目に小説を読んだ。サボることは身を守る最大の手段だ。あんな奴らに割く時間があるならば、自分の楽しみに割いてやる。そんな気持ちでサボっていたのだが、世間は許してくれなかった。サボり始めて3ヶ月過ぎた頃、顧問に見つかり、部活の参加命令を下された。

 仕方なく、部活動には参加したが、練習はやはり地獄だった。何かと『罰ゲーム』をつけたがる輩のままごとに付き合い、私は罰を受けていた。私のできない腕立て、コート一周膝を曲げて歩く。なんて知能が低いままごとだろう。くだらない。こんなことに付き合うのはこりごりだった。でも、もうサボれない。

「才能があるって得だよなあ」

 ぽつりとつぶやいた弱音。悔しいことに届いてしまったのは彼一人だった。

「なんで?」

「いや、だっていくらだって前向けんじゃん。周りがどれだけうつむいてるのかなんて、私は知りませんって顔しちゃってさ」

 ずるいよ、までは言いたくなかった。なんとなく負けた気がして悔しかったから。

 彼は、ふ、と息を吐いてから言った。

「うつむいたっていいんだよ。だって、下を向いてなきゃわからないことだっていっぱいあるでしょ」

「たとえば?」

「うーん。落とし穴とか?」

 対して背丈は変わらない。でも、優しく笑いながら、背伸びをして私を撫でた彼はとても背が高く見えた。眩しい。勝てない。この人には一生敵わない。憎いほどに、美しい。容姿に違うことのない美しさ。気高さ。すべてをこの人は持っている。

「まだ誰も来てないから、ゆっくりしてようぜ。顧問もいないし、咎められないって。俺、トイレ行ってくるわ」

「いや、何の報告だよ」

 誰もいない体育館で私は泣いた。学校で泣くのは初めてだった。ましてやそれがうれし涙だったなんて、きっと誰も思わない。

 彼は優しかった。もとからそういうきらいがあった。いつも適当に飄々としている風に装って誰よりも人を見ている。誰がいつ恋したっておかしくない。私は例外だったけれど。

 いじめというものはループする。私に飽きた彼女たちは次のターゲットにシフトした。私も仲間に加わらないかと提案されたが、丁重にお断りした。

「全くお前はいばらの道を進みやがって」

 アイスをかじりながら、彼は言った。

「だって、同類になりたくないし」

「そうこなくちゃ」

 すんなりうなずいて、彼は笑った。

「あ」

 いじめのターゲットになった子が通り過ぎた。いじめている奴らは後ろ姿をくすくす笑う。テスト期間だというのになんて陰湿な。

「やっほー、放課後暇?コンビニ寄ってアイス食おうぜ。おごってやるよって、こいつが」

「は?」

 にやにやしながら彼は言った。いじめられっ子は困惑している。そりゃそうだ。買い食いなんて本当はよくないし、そこまで仲良くもない人間に急にそんなこと言われても困るだろう。

「さあさあ、遠慮なく!ついでになんかだらだら話そ。せっかくなんだから、テストとかテストとかテストとか......そういう嫌なこととか全っっっ部忘れてさあ。あ、ハーゲンダッツとかでもいいぜ。ほら、息抜きって大切じゃん?」

 ハーゲンダッツは私の懐が凍るからやめてくれ、とのどに出かかった言葉を飲み込んだ。いじめられっ子が堰を切ったかのように泣き始めてしまったから。

「よしよし、落ち着け~。お前は頑張ってるよ。偉い。誇っていい。俺らにめちゃくちゃ自慢しろ」

 彼が飄々と、しかし幾分優しく彼女に声をかけた。すごい。この人はまた誰かを導いて、惚れさせて、離さないつもりだ。

「ってことで、ハーゲンダッツ二つ!」

「……あとで金返せよな」

 学校から歩いて左折。そこのコンビニに入った後、やっぱり届かないな……と真っ白い無機質な天井に手を伸ばした。


 それから私と彼が改まって何かすることはなかった。相変わらず彼は人気で、ループするいじめの中、誰にでも平等に、しかし当人が一番望む形で救いの手を差し伸べた。夏の大会が終わり、とうとう同期や彼を含めた部員全員との接点は途絶えた。志望校も別々だし、進む方向だって全く違う。だけど、彼の言葉はいつだって私の心の中にある。ふと沈みそうになったとき、私は今でもその言葉にすがってしまう。それは私の道しるべなのだ。暗い夜空に輝き続ける北極星のように。私はそれを仰いで生きている。

 誰かが路頭に迷ったとき、絶望の淵に立った時、あなたみたいに救えたら。

 そんなことを思いながら、私は今日も筆を走らせる。


 私はあなたになりたくて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スターゲイザー @Aoba_yoru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ