8話 最後の仕事

 それは潔いくらい綺麗に晴れた冬の日。

 冷涼とした空気が肌の体温を奪っていく。


 エドガーの最後の仕事の日。


 その仕事内容を知った時に私は言葉を失いかけた。エドガーの最後の仕事は、アーサーの処刑だった。なぜ、そんな残酷なことを国王様が命じるのかと、エドガーに聞いたら、国ではなく家族としてのけじめだとエドガーは答えた。


 私がそれを希望したんです。


 エドガーのその言葉に、エドガーという人物の輪郭が一瞬ぼやけた気がする。


「サニー。嫌だったらすぐ断ってください」


 一緒に来てくれませんか。

 

 暖炉の部屋の暖かい部屋の中で、私はエドガーの隣に座っていた。思わず彼の手に自分の手を重ねた。予想した通り、彼の手は氷のように冷たい。


 断れるわけがない。


 この最後の仕事は、エドガーを本当に壊しかねない。私は深いため息をついた。まるでしょうがないわね、と言いたげな感じで。


「ひとりでそんな重い責任を背負わなくていいんです」


 こうして私も同伴することになった。


 寒々とした地下牢に、私は覆いを乗せた銀の皿を運んだ。その皿は指先に食べ物の熱が伝わり、少し痛かった。でも持ち続けられたのは、この寒さのおかげかもしれない。


 私たちは目的の牢獄の前に着いた。

 牢の中にいた人は、こうやって身近にみると、どうしてエドガーと似ていると思ったのかが不思議だった。


 小柄で、彼は髪色こそエドガーと似ていれど、顔の印象がどこかあどけない上に、人好きのしそうな人懐っこさを備えていた。彼はエドガーを見るなりすがるような視線を投げた。しかしエドガーは表情ひとつ変えない。


「明日はお前の処刑日だ。最後の食事だ。食べろ」


 私の持っていたお皿を看守が流れるような動作で檻の中へと運んでいく。冷たいばかりの石の床に、皿は置かれた。覆いがどけられるとそれは六切れのブラウニー。その横には赤ワインの入った木製の杯が添えられる。   


 看守が檻を出ていくと、アーサーは皿に駆け寄った。まるで久しく食べていない人の飢えた動きだった。アーサーは皿を前に胡座をかき、鎖の音を立てながらブラウニーを手で頬張る。


 ひとくち、またひとくちとアーサーはブラウニーを頬張る。杯に入った赤ワインも、彼は喉を鳴らして飲み干した。すると次第に彼は上機嫌になった。


「なあ、エドガー。このブラウニー、昔お前が焼いてくれたのに味が似てんだけど……俺も悪いことしたけど、とことん運が悪かったんだ……違法魔法を手に入れれば、お前と同じ土俵に立てると思ってた……でも魔法には代償がいるって思うと、兄貴、今も犠牲を払ってるんだな。すげえよ。俺の代わりにその魔法を受け取ってくれて……今は感謝してる」


 エドガーは微動だにしなかった。ただひたすら無邪気に笑う弟に視線を注いでいた。


「明日かぁ……嫌、だなぁ」


 そう言い終わらないうちにアーサーはそのまま横に転がった。しばらく幸せそうな顔で寝息を立てていた。次第にその寝息も浅くゆっくりになり、寝息の音すら止まってしまった。


 エドガーは看守を呼んだ。看守は独房の中に入るとアーサーを仰向けにして脈と心臓を確認する。


「とまっています」


 その言葉に私は視界がぼやけてくる。エドガーは、看守に断ると自分も檻の中に入った。そして安らかな顔のアーサーの額に触れた。その触れ方はまるで大切な人の額をそっと撫でるようだった。


 エドガーは口を一瞬開いて、手を離した。


 アーサーの食べたブラウニーは致死量のケシの実が混ぜられたもの。


 双子の両親は、アーサーが違法契約者として捕まった時にその知らせを受けた。しばらくして両親はせめて安らかな死を、と願った。


 国王はそれを了承した。


 亡骸を牢獄の外に運ぶと兵士たちによって棺桶が運び込まれた。棺桶の中にアーサーを横たえたエドガーは、アーサーの首に自分の首飾りの片割れをかけた。


 兵士たちは棺桶に蓋をするとゆっくりと持ち上げて地上へと運び去る。


 そこへ将軍が顔を出した。


「おい、クリアアイズ、お前が解雇って本気かよ。陛下、なんかおかしくなったんじゃないか? 今ならまだ撤回してくれるかもしれねえぞ」


 エドガーは、将軍を押し退けた。


「いいんです。ずっと願っていたことでしたから」


 そして彼は一人足速に階段を上がっていった。将軍はどうしたんだ、あいつ? と首を傾げる。


 私も黙ったまま将軍の横を通り過ぎてエドガーの後を追いかけた。


 地上にあがるとエドガーはどこにもいなかった。魔法を目に宿して見てみると、微かに水色の粒子が見えた。


 後をたどるとそれはエドガーの家まで続き、家の裏庭まで続いていた。

 庭の斜面に、膝を抱えこんだエドガーがいた。


 彼は私の靴の音に顔をあげた。泣いてはいないけれど、顔は蒼白だった。


「置いていってすみませんでした」


 彼の囁き声には力がなかった。


 私は彼の横に座り込んだ。しばらく沈黙したものの、私はおどけた調子で手をエドガーの前に見せた。


「エドガー、見てください。これ。私の大切な人がくれたんですよ。とっても綺麗でしょ?」


 エドガーは私の手を見て目元だけ綻ばせた。


「……ええ、とても綺麗です。よくお似合いです」

「この指輪を作った方はとても繊細で、綺麗な心の持ち主に違いありません!」

 私が断言すると、一拍間があったけれど、エドガーはこう返した。

「あなたの心の綺麗さには敵わないでしょう……」


 私は含み笑いをした。


「まさか! この指輪を作った人は、とっても優しいのです。優しいのを隠して誰にも傷がつかないように、自分はさも痛くないとでも言いたげな顔で傷だらけになっているんですよ。そんな人の心が綺麗でないわけがないでしょう」


 エドガーは一瞬黙り込んだ。でも彼は黙っていられなかった。


「サニー、その傷だらけになった指輪職人は痛みを感じながら心のうちで毒付いてる可能性もあるでしょう?」


 私は笑った。


「口にして言わないだけ偉いです。他人に害をなさず、自分だけが苦しむことを選んでるでしょ?」


「……そうなのかなぁ?」

 エドガーは首をひねった。私は構わず続けた。


「例えその指輪職人の心が綺麗でなくとも、私には問題ではありません。その指輪職人が望むなら、私はその指輪職人に私の心を差し出すつもりですから。まあ私の心が綺麗な保証もありませんけどね」


 私の物言いにエドガーはきっぱりと断定した。


「いえ、綺麗に決まってます」

 

「私が綺麗なら、あなたはもっと美しい、ですよ。エドガー」


 エドガーは、はいはい、と手をひらひらした。私は心のうちでむっとした。


「じゃあ婚礼の日付を決めましょう」


 私の唐突な提案にエドガーは面食らったようだった。


「サニー? 頭の中壊れちゃったんですか? そんなに急がなくても」

 私はにやっとした。

「じゃあ元気出してくださいよ。何か楽しいことしましょう」

 エドガーは空を見た。そして月を見つけると立ち上がった。

「では少し出かけましょうか?」


 私たちは最寄りの海岸まで馬で駆けた。もちろん私は馬に乗れないのでエドガーと一緒に乗っている。とは言えど、もう夕方だった。


「どうして海に?」


 私の質問にエドガーは答えをくれなかった。その代わり彼は荷物を持ち上げた。


「とりあえず持ってきた食事を食べましょう」


 私は答えをもらえないまま、鶏肉とチーズのサンドイッチを齧った。それからエドガーに勧められて薄切りトマトとレタスとハムのサンドイッチも食べる。


「十分に食べました?」


 私たちは浜辺に馬とバスケットを置いて波打ち際へと進んだ。エドガーは水に迷わずに進んだ。しかし水は服にしみない。それどころか海の上を歩いている。


「私の魔法で水を制御してるので濡れませんよ。触れても今なら暖かくしています」

「ほんと水の魔法って便利ですよね。私のと大違い」


 私がすねるとエドガーは苦笑いした。


「使いこなせる私がきっとおかしいのです」

「いいかげん自分が賢いって認めたらどうです?」


 私の軽口にエドガーはまた苦笑いする。


「いえ、今まで散々魔法でやらかしてますから」


 さあ、とエドガーは手を差し伸べた。気がつけば辺りは暗く、月の明かりが眩かった。私はその手を取った。


 海の上を歩く。


 最初は怖くてエドガーの腕にしがみついていた。


「聖書の、世界ですよ……!」


 と、私がつぶやくとエドガーは吹き出した。


「わかります。私も初めて歩いたときそう思いました」


 波の絶え間ない音が耳を満たしていく。エドガーの声が波に乗って聞こえる。


「……祖母が、亡くなったとき。悲しくて夜の海に来て死ぬつもりで海に駆け込んだら、海の上を歩いていたんです……驚くでしょ?」


 次第に私はエドガーの手を借りなくても海を歩けるようになっていた。


 突然エドガーは私の片手を取るとくるりと私を踊らせた。そして私の手を離すと彼は左手を自分の胸に当て、右手を私に差し出した。


「サニー・ポーター嬢。もし、私とこの先、ずっと共に歩んでくれるなら。この手を取って私と踊ってくれませんか……?」


 波の音が遠くで聞こえる。私はとても穏やかな気持ちになった。


「ええ……喜んで」


 私たちは手を取り合った。


 月明かりの下、満天の星空に見守られながら、凪いだ海の上を私とエドガーは踊った。私は下手だったけど、エドガーが導いてくれるから酷い失敗はしなかった。


「……この前の舞踏会で、国王に先を越されたのはすさまじく嫌でした」


 瓶底眼鏡の魔王め、とエドガーは毒付く。私は思わず笑いそうになる。不敬だ。


 私たちは海の上をくるくると回る。時折水面下で珊瑚礁やヒトデに亀が月明かりに照らされて見えたりした。


「ねえ、エドガー。前から思っていたのですが、どうしてあなたは私に丁寧な言葉で話すんです? 七つも年上で階級も悪くないあなたが」


「癖でしょうか……私が小さい頃イタズラで墓穴を掘ったときにあなたは必ず現れて、私の名前を優しい声で呼んでくれました。優しい声で名前を呼ばれるのは、どんな言葉で慰めを受けるよりもずっと私には効果があった。そのときあなたは今のあなたと変わらない姿でしたから、年上の女性だったんです」


 エドガーは私を片手でくるりと回らせた。私も次第に慣れてきて余裕が出てきた。


「年上の女性の方が良かったですか?」

「いえ、あなただから、ですよ……」


 私たちは絶え間なく喋り通した。雑多でくだらないことから、普段は人に言わないことまで。


「アーサーの記憶を見て知ったのですが、ミリアム・ホークス嬢は、サニーの前の代の風の魔女でした。アーサーはミリアムを殺害した後、効率よくあなたを探し出すためにマーロウにいたようです」


「じゃあ、アーサーがミリアムを屠ったので、私は魔法を授かったということですか?」


「……そうですね。おかげで私はあなたに会えた」


 エドガーは握っていた私の手を緩めると指を絡めた。


 月明かりは海を照らし、私たちの足元も明るい。エドガーはその明かりに視線を向けるとこう尋ねた。


「月の光が道のように見えますね。この道を辿ったら、おとぎ話みたいにめでたしめでたしになるのだろうか……」


 私はにやっとした。


「お供する覚悟はできてますけど、行きますか?」


 エドガーは私の顔を見た。その黒い瞳には、きらきらとした光が反射していた。表情はぼーっとしている。エドガーは月と反対の方向を向いた。


「……冗談ですよ。気がついたら朝になって海のど真ん中に立っていることになるだけです。サニー、もうそろそろ砂浜に戻りましょう……」




 砂浜に戻るとエドガーはため息をついた。

「私、今日から無職ですよ。婚礼の準備もあるし。国王の出席できる日を選ばなきゃいけませんし……あー、本当に小説でも書いてみようかな」

「なんで小説なんです? 指輪職人でも良かったのでは?」


 私の問いにエドガーは苦笑いした。


「昔からの夢だったんですよ……国王だけが知ってる……子供の頃の夢」


 私は思いつきでエドガーの手を掴んで自分の額に置いた。


「じゃあ今日までの私との記憶を私の視点で書いてみませんか?」


 エドガーは面食らった。


「なんであなたの大切な記憶を世に捧げるようなことをしなくちゃいけないんです?」


「だってエドガーの記憶は軍事機密とか悲惨な思い出でいっぱいでしょ? 私のなごやかな思い出を見て癒されれば良いんです。それで一冊書けたら、国王様に読んでもらって、感想をいただけばいいんですよ」


 エドガーは一瞬嫌そうな顔をした。でもすぐに真面目な顔に戻る。


「国王に見せる必要も、記憶を小説の基盤にする必要もないですが……あなたから見た今までには興味があります」


 私はエドガーの手を両手で額に押し付けた。


「どうぞ!」


 エドガーの手はあたたかい。


「サニー?」

「はい?」


 私はエドガーの手をわずかに退けて彼の表情を見た。


「私のペリウィンクル。もう逃げられませんよ」


 私は憤慨して額から彼の手を退かした。


「逃げる? 私が? そっちこそ私から逃げ出すかもしれませんよ」


 今度はエドガーの憤慨する番だった。


「私があなたから逃げる? 何年も夢に見ていたあなたから? それこそありえませんね」


 私はその言葉にちょっと安心した。


「海を割り、水の上を平気で歩いてしまうあなたですから、不可能はないのかも」


 そしてこう付け加える。


「私はあなたと一緒にいたいです。それだけ」


 エドガーは私の手を握った。


「うちへ帰りましょう」


 波は寄せては返して砂浜に語りかける。

 二つの足跡、ひとつの影の行く末を。


The End




著者:エドガー・クリアアイズ

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Periwinkle ――軍師と、彼を救った魔女の記憶 神酒紫 @nixinian

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