第7話

湊さんとは一週間に一回は必ず会って、エッチをしてそれから湊さんの家に泊まった。仕事はきちんと行ったが前みたいに上司からの嫌味や先輩や後輩、同僚からの失笑にいちいち傷つく事はなくなっていた。俺には湊さんがいるのだ。それだけで救われた。

 湊さんと付き合って一ヵ月が過ぎた頃だった。

 いずみには湊さんと付き合ったという事を報告していた。最初報告した時、あの人もゲイだったの?と聞かれ、そうだと答えた。

「きゃー。なになに!そのビジュアル良すぎな二人の恋愛とか。萌えるんだけど」とテンションが上がっていた。今度紹介しなさいよと言われたので、平日の夜なら大丈夫と言ったら、私も平日の夜合わせるわ。必ず紹介しなさいと言われた。

 そんないずみに湊さんを紹介する日。いずみに会うのは久々だった。いずみに彼氏ができるまでは月に二、三回は飲んでいたが、彼氏が出来てから彼氏との時間が忙しいらしく飲みにも行っていなかった。

 場所は新宿だ。お互いの中間地点に湊さんは合わせてくれた。

 待ち合わせに着くと、まだ誰も来ていなかった。まだまだ寒いこの季節に俺は、ほーっと白い息を吐きながら遊んでいた。

「朝陽何やってるの?」

 横から声が聞こえた。湊さんの優しい声だ。

「息で遊んでた」

 横を見ると湊さんは笑っていた。

「何それ」

 湊さんは首を傾げた。

「あ、今日はありがとう。新宿まで遠かったでしょ?合わせてくれてごめんね」

 湊さんは、いいよ。朝陽の大切な友達に紹介してもらえるなんて嬉しいから。と言った。

 少ししていずみもやってきた。

「はじめまして」

 いずみは湊さんに挨拶をした。

「はじめまして」

「佐藤湊さんですよね。ライブ聞いて歌声素敵でした」といずみはお世辞を言っていた。

 あの時はそんなに褒めてなかったのに。と思ったが言わないでおいた。

 良く行く個室の居酒屋に予約を入れていたので三人で向かった。

「二人並んで歩くとやばくない?なんかそこだけ浮いてるよ」

 どういう意味なのか分からず、「それどういう意味?」と聞くと、いや、悪い意味じゃなくて、神々しいというかイケメン二人の恋愛に萌えなのですが。と訳の分からない事を言っていた。

 湊さんは人と違うオーラを身にまとっているが、俺は冴えないサラリーマンだ。

 店に着き、乾杯をするとまたいずみは、「なんか二人似てるね」と言った。

「似てる?どこが?」

 湊さんは笑っていたが、いずみのずかずかと踏み込んでくる感じに、湊さん嫌な思いしてないかなと内心冷や冷やしていた。

「うーん。なんだろう。目元?かな?雰囲気とかかな」

「何それ」

「いやー。長く続くカップルって似てる人を選ぶっていうし、長く続くカップルだよ」

 うんうんといずみは一人納得していた。

 それから三人で話をして、いずみは来月には今の彼氏と一緒に住むのだと話してくれた。

 湊さんも楽しそうに話をしてくれたのでほっとした。

 いずみも俺も明日は仕事があるのでお酒の量もピッチも控えめだった。だからいずみの悪酔いする姿を湊さんに見せずにすむと思うとほっとした。

 湊さんはいずみの事をいつの間にか、いずみちゃんと呼んでいて仲良くなっていた。

「いずみちゃんの結婚式呼んでね」

「あ、じゃあ結婚式でぜひ一曲歌ってください」

 俺はすかさず、「プロの人に気安く頼むなんて良くないよ」と制したが、湊さんは、いいよ歌うよ。とあっさり約束してしまった。

「いずみ、お金ちゃんと払いなよ」

「いいよお金なんて。いずみちゃんの一生に一度の行事だからプレゼント。それにこんな無名の歌手にお金なんて払えないよね」

 無名か。湊さんは絶対に売れると思っている俺は、何故だかもやもやとした気持ちになった。

「ありがとうございます。歌ってくれるの楽しみにしてます」

 湊さんもいずみと仲良くなったし紹介して良かったなと思った。

 少し早めに解散する事にしていずみと別れて俺は湊さんの家に一緒に帰った。

「今日は楽しかったね。いずみちゃんも楽しい子だった」

「それなら良かったよ。いずみ結構ずかずかと聞いてくるから内心冷や冷やしてたよ。それにいずみは酔うと絡みがすごくて手に負えないんだよ」

「そうなんだ。そんないずみちゃんも見てみたかったな」と笑いながらいう湊さんに、絶対それを知ったらいずみと飲まなくなるよと思った。

 二人でシャワーを浴びて一緒にベッドで横になる。

「ねえ湊さん」

 湊さんの顔がすぐ目の前にある。湊さんの息が鼻にあたってくすぐったい。

「何?」

「今度うちの母親にも会ってもらいたいんだけど嫌?」

 湊さんは目を見開いた。そして少し間をおいてから「いいよ」と言ってくれた。

「ありがとう。湊さん」

「朝陽は親にゲイだって事話してるんだね」

「うん。湊さんは内緒にしてるの?」

 湊さんはうーんと唸ったあと、「別に隠しているわけではないけど、特段言うっていう事もなかったから言ってなくて。それにあまり親子関係良くないから。俺が歌手を目指してるの反対されてて、実家にもずっと帰ってないんだよね。だからゲイだって事も言えないでいる」

「そっか。複雑なんだね」

 そんな会話をしていたら湊さんはすやすやと眠りに落ちていた。

「大好きだよ湊さん」

 俺は湊さんのおでこにキスをした。

「おやすみ」


 春風に頬を撫でられながら桜を眺めた。もうすぐ新入社員が入ってくる。営業部にも二人入ってくるという事だった。蓼丸さんと定食屋へ行く途中に咲いてた桜。綺麗だな。今日も蓼丸さんとお昼を食べに来ていた。

「蓼丸さん」

 俺は姿勢を正し、蓼丸さんをじっと見つめた。

「どうしたの改まって」

 俺の雰囲気に蓼丸さんも姿勢を正す。

「俺、まだいつにするかは分からないですが、仕事辞めようと思ってます。営業やっぱり向いてないです。次の仕事、見つかるか分からないですが、でも自分に合った職業を探してみようと思って。お金の事はちょっと心配ですが貯金もまだ少しあるし、決まるまではバイトでもしようかなと思って。蓼丸さんには色々良くしていただいてすごく嬉しかったので先に報告しようと思いまして」

 蓼丸さんはにこっと笑って、「そっか。いいんじゃないかな。天馬君が決めた事なら応援するよ。こうやってお昼一緒に食べられなくなるのは残念だけど、でも何かやりたい事、やりがいのある事ができるといいね」と言ってくれた。

 その優しさに目頭が熱くなる。

「蓼丸さんにそう言ってもらえて嬉しいです。自分に向いてるって思う仕事ってどうやって見つけていけばいいんですかね?」

「うーん。そうだなぁ。経験かな。色々試してみるのがいいんじゃないかな。天馬君はまだ若いから仕事すぐ見つかるよ。それで試してみて合わないと思ったら転職すればいい。今の時代一生その会社で働くなんてのは古い考えだし、バイトでも働いてみて、ここが合ってるって思えば頑張れば社員になるなんて事もできると思うし。やってみる事だと思うよ。なんて偉そうに言ってるけど、私も今の仕事が自分に合ってるかなんて分からないけどね。でも楽しくやってるからいいのかなって思ってる」

 俺は、ありがとうございますと言って深々と頭を下げた。

「そんな頭下げないで。きっと良くなるから。応援してるよ」

 蓼丸さんはやっぱり優しい。この三年間蓼丸さんに助けられた。蓼丸さんがこうやってお昼を誘ってくれていなかったら今頃どうなっていたか分からない。

「あ、蓼丸さん。辞めても連絡してくださいね。今度は飲みにでも行きましょう」

「いいね。そういえば天馬君とは飲みに行った事なかったね。お昼食べるくらいだったし。じゃあ二人で天馬君の今後の門出を祝って飲みに行こうか」

 門出だなんて。蓼丸さんに辞めたい事を言った事で心がふわふわと軽くなるのを感じた。


 外はだいぶ暖かくなってきて、今日はうちの母親に湊さんを紹介する。母親も湊さんも平日の方が休みが取りやすいと言う事で、俺は平日に有休をとった。

「ねえ。やっぱりスーツとかの方が良かったかな?」

 湊さんは自分の身なりを気にしていた。

 そんな姿が愛おしくて、かわいくて頬が緩むのを感じた。

「大丈夫だよ。うちの親そういうの気にしないから」

「でも・・・」

 湊さんは片手に母親への手土産を持って、そして二人並んで歩いていた。

「あー緊張してきた。相手の親に会うなんて事初めてだから心臓ばくばくだよ」

 湊さんのそんなかわいい一面が見れて俺は大満足だ。

「何ニヤニヤしてるの?」

 湊さんは俺の顔をみてそう言った。

「いや、なんでもないよ」

「あーもしかしてこの緊張してる俺をみて面白がってるでしょ?」

 湊さんは口を膨らませた。

 そんな会話をしていたらあっという間にうちに着いた。

「ここだよ。ぼろいアパートで恥ずかしいけど」

 そんなことないよ、と言ってくれる湊さんは顔が引きつっていた。明らかに緊張している。

 二階に上り、部屋の前まで来た。

「ふぅ。ちょっと深呼吸させて」

 湊さんは二、三度深呼吸をして、よし、と言って俺に目配せした。

 家の扉を開ける。

「ただいま。連れてきたよ」

 母親はダイニングテーブルに座っていた。扉を開けるとすぐダイニングテーブルが見える。湊さんは、「お邪魔します」と言って俺の後について玄関で靴を脱ぎ部屋に上がった。

 母親は立ち上がり、その立ち上がった母親に向かって湊さんが「はじめまして。タデマル湊と申します。宜しくお願いします」と頭を下げた。

「え?」

「え?」

 俺と母親は同時に言葉を発した。

「タデマル?」

 湊さんをみると、きょとんとした顔をしていた。

 母親は湊さんをじっと見つめていた。

「湊さん、苗字佐藤じゃないの?」

「ああ、佐藤湊は芸名で本名はタデマル湊だよ」

 俺は目を丸くした。

 もしかして・・・。でもそんな訳ないよな。でももしかしたら、「ねえ、もしかしてタデマルってこう書く?」とスマホをポケットから取り出して蓼丸さんの連絡先を開いて見せた。

「うん。そうだよ。って洋一って俺の親父の名前」

「え?」

 嘘!?こんな事ってあるの!?湊さんのお父さんはあの蓼丸さんだったなんて。

「俺、蓼丸さんと同じ会社だよ。部署は違うけどすごく良くしてもらってて、お昼も一緒に食べたりしてる」

「え?」

 今度は湊さんが驚き絶句していた。

 それから母親の方を見ると、口をぽかんと開けて目を見開いていた。

「お母さん?」

 俺はお母さんの表情に違和感を覚えた。

「あ、ごめんなさい。ちょっと変わった苗字だったからビックリしちゃって。ささ、そんな所ではなんだから椅子に腰かけて。お昼にお寿司頼んだから食べましょう」

 母親と湊さんは浮かない顔をしていた。二人はぎこちない笑顔を作り、ぎこちない会話が続いた。

「ねえ、お母さん。湊さんの歌声は本当に素敵なんだよ。今度お母さんも一緒にライブ行く?」

 俺は場を和まそうと必死だった。

「そ、そうね。うん。お母さんも一度聴いてみたいわ。行ってもいいかしら?」

「え、ええ。勿論です。是非来てください」

 二人ともどうしたのだろう。おかしな二人だ。でも蓼丸さんの子供が湊さんだなんて意外だった。それに親との関係あまり良くないって言ってたけど、あの蓼丸さんが湊さんと仲良くやってないなんて事ないのではないだろうか。あんな優しい蓼丸さんが。

 俺と会って喋ってくれる蓼丸さんと、湊さんが話してくれる蓼丸さんのイメージにギャップを感じた。

 あ、あの時・・・。

 俺は思い出した。蓼丸さんに佐藤湊というアーティストのライブを観て感動したと名前を出した時、浮かない顔をしていた。もしかしてその時自分の息子だと分かっていたのだろうか。

「ねえ、湊さん。お父さんは佐藤湊で歌手活動してる事知ってるの?」

「え?うん。知ってるよ」

 そっか。蓼丸さんはその時分かっていたのだ。それならなんで自分の息子だと言わなかったのだろう。あんな浮かない顔をして。やはり湊さんの言うように親子関係あまりうまくいってないから言い出せなかったのだろうか。

「朝陽、蓼丸さんとは会社で会ってるって言ってたけど、そんなに良くしてもらってるの

?」

 母親は蓼丸さんの事が気になるようだ。

「うん。さっきも言ったけどよくお昼を一緒に食べてるよ。いつも奢ってもらっちゃってて悪いなぁって思うんだけど、とても良い人で優しくて、俺の事応援してくれてる。仕事での嫌な事とかの話も聞いてくれてる」

「そうなの・・・」

 母親は遠い目をしていた。

 湊さんは下を向いてしまった。

「ねえ、まだビールある?」

 俺はこの重たい空気を払拭するために話題を変えようとした。

 母親は立ち上がり、冷蔵庫の中を見た。

「あらやだ。もうないわ。もっと買ってくればよかったかしら」

「あ、じゃあ俺と湊さんで買いに行ってくるよ。ね。湊さん」

「え、あ、うん。ビール買ってきます」

 湊さんは母親にぎこちない笑顔を見せてそう言った。母親が財布を取り出したので、「いいよお金は。俺が出すから」と言った。

「そお?でも・・・」

「いいのいいの。じゃあ行ってくるから」

 湊さんに、行こ、と声をかけ家を出た。

 階段を下りて下に着いた時、湊さんに、「湊さん、大丈夫?」と聞いた。

「え、あ、うん。大丈夫だよ」と、またぎこちない笑顔を作る。

「全然大丈夫な顔してない。俺に親とは関係性上手くいってないって言ってたよね。それで俺が湊さんの父親と結構仲良いの知って驚いてるでしょ?」

「うん。正直ビックリしてる。あの親父が良い人で優しいだなんて。まあ確かに悪い人ではないけどね。俺が会社で勤めてた時はうまくいってたから。でも歌手になるって言ってからは関係性良くなくなって」

 俺は首を傾げた。

「変なの。俺ね、実は仕事辞めようと思ってるんだ」

「え?」

 俺の言葉に湊さんは目を丸くした。

「ごめん。まだ完全に辞めるって決めた訳ではなかったから湊さんに言ってなかった」

「そっか」

「うん。それでね。辞めるかもしれないって蓼丸さんに相談したの。やっぱり今の営業の仕事自分には向いてないと思うって。だから向いてる仕事探そうと思うって。そしたら応援するって言ってくれて。だからさ、最初はもしかしたら湊さんの事応援できなかったかもしれないけど、今は応援してるんじゃないかな。俺の事応援してくれるっていう蓼丸さんだよ。自分の息子を応援しないなんて事はないよきっと」

 湊さんはぼーっと目の前を見ていた。あまり俺の言葉、湊さんに届かなかったかな。湊さんとお父さんの間の溝はそれだけ深いって事なのだろうか。

 でもせっかく付き合っているならなんとかしたい。蓼丸さんならきっと分かってくれるだろう。

 二人で六缶入りのビールを買って家に戻った。

「今日はご馳走様でした」

 湊さんは母親にそう言って頭を下げた。

「いえいえ。こちらこそお会いできて良かったわ。またいつでもいらしてください」

 ぎこちない笑顔だった母親は、今は普通に戻っていた。

「じゃ、俺、湊さんを駅まで送っていくから」

 二人で外を歩いた。

 夕日が眩しくて目を細めた。

 湊さんは、良いお母さんだね。と言ってくれた。好印象だったのだろう。

 蓼丸さんとの事はあったが、母親に紹介できて良かったなと思った。

 駅で湊さんと別れて家に戻った。

「ただいま」

 俺は玄関で靴を脱ぎ、母親に「湊さんが良いお母さんだねって言ってたよ」と言うと、母親は、そう。とだけしか言わなかった。

 湊さんの事気に入らなかったのだろうか?でもライブ見に行きたいって言ってたし、また来てねって言ってたし。なんだかとても変な母親だ。

 母親に湊さんを合わせた次の日。蓼丸さんからお昼を誘われた。

 いつもの様に定食屋さんで料理を待っている間、俺は蓼丸さんに湊さんの事を話した。勿論付き合っているという事は内緒だ。それは湊さんが直接蓼丸さんに言わなければならない。

「蓼丸さん。佐藤湊が蓼丸さんの実の息子だって事知ってたんですね」

 蓼丸さんは目を見開いてから、そしていつもの優しい顔に戻り、「ばれちゃったか」と言った。

「はい。ばれちゃいました」

 俺は努めて明るく言った。

「珍しい苗字だもんね。今はネットとかでその人の本名とかも分かるからいつかは知られる時がくるって思ってたよ。そう。佐藤湊は息子だよ」

 蓼丸さんは下を向き、寂しい顔をしていた。

「実は色々あって、佐藤湊と喋る機会があったんです。そこで父親には歌手をしている事応援してもらえてないって聞きました。俺には応援してくれるって背中押してくれたじゃないですか。それなのに自分の息子の背中押してあげてないって蓼丸さんらしくないですよ」

 俺は真剣に、でも責めるような口調にならないように柔らかく言うように心がけた。

 蓼丸さんは俺を見て、ふぅと息を吐いた。

「最初はね。反対してたんだよ。私もまだ今よりも少し若かったから。社会はそんなに甘くないぞって思ってた。だから息子の事を反対してしまったんだ。それがきっかけで息子ともあまり良い関係じゃなくなっちゃってね。後悔してる。でも天馬君や他の若い子を見てきて思ったんだ。若いうちから色々やっといた方がいいんじゃないかって。人生は一度きりだからね。やりたいようにやるのがいいんじゃないかってね」

「それ、本人に伝えた方がいいですよ。絶対。お節介を承知で言います。連絡とってみてください。そして伝えてあげてください」

 蓼丸さんは悲しい笑顔を見せた。

「今更言えないよ」

「じゃあ俺がなんとかします」

「え?」

 頼んでいた定食が丁度届いた。

 俺は運ばれてきた食事に手をつけた。その後は二人とも無言で食事をして会社へと戻った。

 仕事終わりに湊さんの家へと向かった。今日は湊さんが休みの日だ。午前中はボイストレーニングに行き、その後はバイトをしているカラオケボックスで歌の練習をすると言っていた。再来週に湊さんのライブがある。

 俺は付き合ってからも湊さんのライブには欠かさず足を運んでいた。湊さんのファンは、俺が初めて湊さんをみてファンになり追っかけていた時より増えていた。湊さんの配信動画の登録視聴者数も一万になっていた。湊さんのライブのチケットは売り切れになる事もあった。だからチケットは湊さんから直接買う事にしていた。もう彼氏なんだからお金はいらないというが、やっぱりバイトを掛け持ちして頑張っている湊さんの力になりたいという気持ちがあり、チケット代は払わせてもらっている。

 湊さんの住んでいるアパートの部屋には電気がついていた。インターフォンを押して、開いてるよ、と湊さんの声を聞いてドアを開ける。この瞬間毎回ニヤニヤが止まらない。

「ただいま」と、一緒に住んでいるかのように挨拶をする。湊さんも「おかえり」と言ってくれる。

 座っている湊さんの側に行って抱きつく。そしてキスをする。湊さんは、手洗ってきな、と言う。これが俺らのルーティンだ。湊さんに抱きつくとすごく落ちつくのだ。キスは心が満たされる。湊さんなしでは俺は生きていけない。自分を全て湊さんで占領させたかった。

 手を洗ってきて夕飯を一緒に食べる。湊さんが作ってくれるのだ。今日は野菜炒めときんぴらごぼうだ。

 食事をしながら「ねえ、再来週のライブのチケットってまだ余ってる?」と聞いた。

「え?確認しないと分からないけど誰か来るの?」

「うん。いずみがね。久々に来たいって言ってて。もし余ってたらと思って」

 湊さんは野菜炒めを食べ、ゴクリと飲み込むと「ちょっと聞いてみる」と言ってスマホを持って電話を掛けた。

 相手は事務所の人だろう。

「はい。一枚。大丈夫ですか?良かった。じゃあお願いします」

 湊さんは通話を終え、スマホをベッドの上に置くと、「大丈夫だって」とにこっと笑って言った。

「よかった。ありがとう」

 俺もにこっと笑い返す。

 今日も二人の間には湊さんセレクトの洋楽が流れていた。

 ライブ当日は良く晴れた日だった。暖かくなったがもうすぐ梅雨がやってくる。じめじめと嫌な気候だ。

 待ち合わせの駅の改札前で待っていると約束した相手が到着した。

「お待たせ」

 スーツ姿しか知らなかったので私服の蓼丸さんを見るのは初めてだった。チェックのシャツに紺のジャケットを着ていた。五十代にしては清潔感がありとても魅力的だ。

「今日はありがとうございます。せっかくの休みなのに」

 蓼丸さんはいつもの優しい笑顔で「いいよ。飲みに行こうって誘って貰えて嬉しかったよ」と言った。

「じゃあ行きましょうか」

 こっちです。と言って案内をしながら。蓼丸さんと並んで歩いた。

「ここって・・・。居酒屋?」

 着いたのはライブハウスの入口だ。

「いえ。嘘ついてすみません。ライブハウスです」

 俺は深く頭を下げた。

「ライブハウス・・・」

 蓼丸さんは時が止まったかの様にその場に立ちすくんでいた。

「佐藤湊のライブもあります」

「湊・・・」

 口の中だけで喋る蓼丸さんに、「行きましょう。見てあげてください。湊さんを。すごく素敵で輝いてますから」と言って蓼丸さんの背中を押して階段を下りた。蓼丸さんはなすがままだった。

 ライブハウスへ入ると人が結構入っていた。今日のライブハウスは立ち見だ。そして湊さんの出番は三番目だ。

 俺らは列の三番目辺りに陣取った。これなら湊さんに気づいてもらえるだろう。

 ライブが始まった。蓼丸さんを見るとぼーっと音楽を奏でる人達を眺めていた。どう思っているのだろう。

 そして湊さんの番だ。

 湊さんが出てくる、キャーと言う声が聞こえた。湊さんのファンの人達だろう。そして湊さんと目が合って、ふと俺の横に視線を向けて目を丸くしていた。けれどすぐ真顔になり、「佐藤湊です。今日もライブに足を運んでくださりありがとうございます」と挨拶から始まり、音楽を奏でる。色声に色っぽい目。これが佐藤湊なのだ。妖艶な雰囲気に目が釘付けになる。

 あっという間に湊さんのライブは終わってしまった。隣にいる蓼丸さんを見ると目に涙を浮かべていた。そこからこぼれないように必死に涙はしがみついていた。

「湊の歌はすごいな」

 蓼丸さんはボソッとそう言った。

 全てのステージが終わり、外に出る。

「待ってると湊さん来ると思うので」と蓼丸さんへ言うと、「いや。いい。会わないで帰るよ」と言った。

「でも・・・」

「良いんだ。湊を待っている人達がいる」

 そこには出待ちをしているファンの人達がいたのだ。見た事のある顔の人達もそこにはいた。

「今日はありがとう。良いものを見させてもらったよ」

「じゃあこの後二人で飲みに行きますか?」と聞くと、「ごめんね。もう胸がいっぱいで。飲みはまた今度にしよう」と言われた。

「じゃあ駅まで送ります」

「いや。いいよ。天馬君も湊を待ってるんだろ?ここで解散しよう」

 湊さんを待っている事、どうして分かったのだろう。一ファンとして待っているという意味だろうか。

 蓼丸さんはもう一度、ありがとうと言って駅の方へと歩いて行った。

 少しして湊さんが外に出てきた。

 キャーという声に湊さんは手を振り、俺の方をちらりと見た。

 それからまた中へと入って行ってしまった。

 ファンの子達もそれを見届けてからその場を後にした。

 俺は湊さんを待った。

 どれくらい待っていただろう。湊さんや他のアーティストの人達が出てきて、湊さんは俺をまたちらっとみて皆と一緒に行こうとした。

 俺は「湊さん」と呼び止めた。

 湊さんは俺の方をみて、周りのアーティストの人達が、「湊君のファンの子まだ残ってたんだ。挨拶だけでもしてあげたら」と言った。湊さんは「いえ。いいんです」と言って歩いて行ってしまった。

 怒ってるのだろうか。やっぱりこういうやり方はよくなかっただろうか。でも実のお父さんに会って話して欲しかった。今の蓼丸さんは湊さんを応援していると言いたかった。

 やっぱりきちんと話したい。そう思い湊さんの家へと向かった。

 湊さんの家の前に着くと、まだ室内に電気は灯っていなかった。俺は湊さんが帰ってくるのを待った。一時間が経ち、二時間が経った。流石にまだ夜は冷える。立っているのも疲れたのでドアの前で体育座りをして顔を腕に埋めた。

 いつ帰ってくるのかな・・・。

 二時間半位待っただろうか。人の気配がして顔を上げた。

 湊さんだ。

「そこ、どいてくれないと入れないんだけど」

 湊さんは少し顔が赤かった。お酒でも飲んでたのだろうか。

「あ、ごめん」

 俺は立ち上がり横に移動した。

 湊さんは普通の顔をして鍵を回しドアを開けた。俺はそれをじっと見つめていた。

「入るの?入らないの?」

 湊さんの声は冷たかった。

「入る」

 俺はそう言って湊さんの後に部屋に入った。

 湊さんは部屋に入り、机の側に座った。俺も中へ入り机を挟んで湊さんの目の前に座った。

「怒ってる?」

 俺は恐る恐るそう聞いた。

「どう思うの?」

 湊さんは立ち上がり、冷蔵庫からビールを二缶取り出し、俺の前に一缶置いて、もう一缶を開けて飲んだ。

「怒ってると思う」

 俺は下を向いた。

「飲めば」

「うん」

 俺は机の上に置かれたビールの缶を開けて喉に流し込んだ。

 冷たくて冷えた身体をまた一段と冷たくした。

「どうしてあんな事したの?」

 湊さんの声は平たんだった。怒っているのか呆れているのか、それとも他の感情なのか分からなかった。

「湊さんの歌う姿見て欲しかったから。それで話して欲しかったから。蓼丸さん言ってた。最初は反対してたけど、今は反対してないって。だから今なら話せばわかり合えると思って。お節介だったけど、でも仲良くして欲しかった。湊さんのたった一人の父親だから」

 そこまで言うと湊さんはふぅと息を吐き、「ほんとお節介」と言った。

 俺はビールを一口飲んだ。身体がどんどんと冷えていく。

「ごめん」

 謝る事しかできなくて、俺は下を向いたままじっと足元を見ていた。

 やっぱりこんな事はするんじゃなかった。湊さんの彼氏だから何か役に立ちたいって思っていたけど、余計なお世話だった。これで別れるなんて言われたらどうしよう。俺は湊さんなしでは生きていけない。もうここで別れたらまた嫌な毎日の繰り返しだ。俺は、自分が選択した事はやっぱり間違えるという事に悔しい思いをした。

「親父がさ、今度三人で飲みにでも行こうってさ」

「え?」

 俺は顔を上げて湊さんを見た。

 湊さんは人差し指でぽりぽりと頬を掻いていた。

「三人で?」

 横を向いたままの湊さんは、「うん。三人で。帰る時に親父から連絡きたよ。なんか親父も俺らの関係なんとなくだけど分かってるみたい」

「え、でも湊さんお父さんには自分がゲイだって事言ってないって言ってたよね?」

「うん。そうなんだけどね。多分仲良くなったとしか知らないかもしれないけど、でも朝陽の事、真剣に付き合ってるって親父に言ってもいいかなって思ってるよ。きちんと紹介したい」

 俺は気分が高揚するのを感じた。

「やった。じゃあ湊さんが歌手活動している事許してくれたんだね?それに紹介してくれるだなんて。俺嬉しいよ。でも無理してない

?」

「うん。多分。そんなに長くは話してないけど、ライブ良かったよって言ってもらえた。無理はしてないよ。朝陽と真剣に交際してるしきちんと紹介したいから」

 良かった。

 俺はほっとした。俺の選択は間違いじゃなかったのだ。そして真剣に交際してると思っていてくれていた事に嬉しくて頬が緩んだ。

「じゃあ日にち決めなきゃだね。蓼丸さんは平日無理そうだけど・・・」

「俺が休み取るよ。土曜か日曜に」

「じゃあ来月辺りかな」

「そうだね。シフト作る前に言わないとだからね。親父にも来月大丈夫か聞いてみるよ」

 俺は心がぽかぽかするのを感じた。こんな気持ち初めてだ。

「あ、朝日」

「何?」

「ありがとう」

 はにかみながらそう言う湊さんがかわいくて、俺は湊さんに顔を近づけてキスをした。

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