第3話
あと一週間でクリスマスイブだ。この二年間クリスマスだから特別何かがあるなんて事はなかった。彼氏と過ごすクリスマス。大学生の頃は楽しかったな。今年もクリスマスイブは仕事だ。
「ねえ。今年のクリスマスはどうするの?」
いずみと飲みに来ていた。いつも通っている個室の居酒屋だ。
「今年はね。イブにライブがあるんだよ」
「ライブ?」
少し酔ってきていたいずみは顔を赤らめていた。いずみはお酒を飲むとすぐ顔が赤くなる。
「うん。佐藤湊が出るライブ」
右手に持ったビールジョッキをぐびっと飲み、ジョッキを机に置くと、「ああ。あんたまだその佐藤湊を追っかけてるわけね」
「追っかけてるってなんか嫌な言い方だなぁ。一ファンとして応援してるんだよ。それに歌声聞きたいしね」
いずみはとろんとした目をして、「イケメンだもんねぇ」とニヤリと笑った。
「だから、顔だけじゃないんだって。歌がこう心にぐっとくるというか・・・」
「はいはい。わかりました」
俺の言葉を遮り、ぞんざいにあしらった。俺は少しムッとして、「いずみはクリスマスイブどうするのさ」と聞いた。
「私?」
よくぞ聞いてくれましたと言うような顔をして、「デート」と言った。
「え?デート!?何何!?いつそんないい人できたのさ。俺知らないよ」
俺は声が大きくなっていた。個室だから許されるだろう。
「実はね・・・」
いずみはそう言って、ビールジョッキを持ちビールを喉に流し込む。
「ちょっと。もったいぶらないで教えてよ」
いずみはビールジョッキを机に戻すと、「この前マッチングアプリで知り合った人と会ってね。意気投合してそれから何度かデートしてクリスマスイブを一緒に過ごそうって事になったのよ」
「そうなんだ。で、まだ一緒にはお酒飲んでないんだよね?」
「いや、それが初日に一緒に飲んだのよ。でもまた会いたいって言ってもらったわけよ。もうこの人しかいないね。私にも春がやってくるのよ」
「それは良かったね。酔ったいずみを知ってもそれでも会いたいって言ってくれるなんて相当いい人だ」
いずみはジョッキに残ったビールを一気に飲み干すと、今日は飲むぞーと言ってまたビールを注文していた。
本当に喜ばしい事だ。いずみにもようやく春が来る。
「クリスマスイブに会うなら告白とかされたりしてね」
いずみはニヤニヤと笑いながら、まあね、と言った。
それから二人で沢山飲んだ。飲んで飲んで現実を忘れようと必死だった。仕事の事もプライベートの事も。いずみの今日は祝杯かもしれないけれど、俺は今日もやけ酒だ。
佐藤湊のライブは色んな所で行われていた。小さいライブハウスだ。何度か行っていると顔を見た事がある人が何人かいた。同じく佐藤湊のファンなのだろう。それは女性ばかりで男性は俺一人だった。ファンの子で女性同士は仲良くなっているみたいだったが、男性に声をかける人はいなく、俺は今でも一人だった。
クリスマスイブのライブ。
そこのライブハウスは机や椅子がなく、全て立ち見だった。俺はライブ開始の時刻よりかなり早く行って、一番前に陣取っていた。近くで佐藤湊を見たい。せっかくのイブなんだから。今日は佐藤湊以外には四組程出る予定になっていた。今回佐藤湊は二番目に出演予定だ。佐藤湊を聞いたら帰るつもりでいた。
佐藤湊は今日も輝いていた。俺にとって佐藤湊は唯一無二の存在だ。他の歌手には興味がない。佐藤湊の歌が終わり、帰ろうとしたが、しかし客が結構入っていて、一番前に陣取っていた俺は帰る事ができなかった。仕方なく最後まで聞いて、そして他の客が帰るのを待つ羽目になった。一番前にいるのも考えものだなと反省し、次にこういうライブハウスだった場合は後ろの方から応援しよう。そう思った。
ライブハウスを出る時にはもう他のお客さんは全員外に出ていた。俺は最後の方だったのだが、今日は新曲も歌っていてそれがCDで販売されているという事だったので受付でCDを買い、外にでた。
外は寒く、首に巻いたマフラーに顔を埋めた。
今日はなんだかこのまま真っ直ぐ帰りたくない気持ちになり、どこかでコーヒーでも飲むか居酒屋へ行くか、どうしようかと駅前をふらふらと歩いた。少し歩くとチェーンの居酒屋を発見したので、そこで一人飲みをしようと店に入った。
店内は混みあっていたがカウンターは空いていたのでカウンターへと通された。カウンターへ行く途中、店内を見渡すとカップルが多く、そうだ、今日はクリスマスイブでカップルの日だという事実を突きつけられ、一人で飲みに来ている寂しい男に見られていないかなと内心暗い気持ちになった。
席に着き、ビールを注文した。
カウンター席には他にも一人で来ている客がいて、その人達に勝手に仲間意識を持った。
ビールを飲み、お腹も空いていたのでつまみと軽く食べられる物を注文した。
二十五歳、独り身。一人寂しくクリスマスイブを過ごす。佐藤湊のライブで高揚していた気持ちが、居酒屋の雰囲気で沈んでいった。俺はバッグから今日買った佐藤湊のCDを出し、眺めた。新曲もとても良かった。佐藤湊の世界観は、なんだか複雑でマイノリティーの人を擁護するようなニュアンスがある。だから俺の心に突き刺さるのかもしれない。母親のいない佐藤湊と、父親のいない俺。そして俺はゲイだ。少数派は生きづらい世の中だけれど、こうやって音楽は人を温かく迎え入れてくれる。そのままでいいのだと安心させてくれる。
「あ、それ、俺のCD」
後ろから聞きなれた声がして後ろを振り返った。そこには佐藤湊が立っていた。
目の前にいるのは佐藤湊。俺は突然の事に一瞬時間が止まってしまったのではないかと思う程停止してしまった。そして数秒してドクンドクンと血が体内を巡った。いつもより早く心臓が動き出す。
「いつもライブに来てくれていますよね?俺のCD買ってくれてありがとうございます」
優しい声が俺の耳に届く。俺だけに向けられた声だ。
「あ、あの。いえ。すごく素敵な歌声でいつも聴いてます」
もっと言える事あっただろう。なのにそれしか言えなくて、まさか本人と会うなんて思ってなかったので話す言葉を準備していなかった。どうしよう。佐藤湊がせっかくこの場にいて、一対一で話せるチャンスなのに。これを逃したらきっとまたこうやって話す機会なんて現れない。何か、何か話さなければ。そう思えば思う程頭がこんがらがって何も言葉が出てこない。
「ありがとうございます。そうやって聴いてくれてるの嬉しいです。あ、隣いいですか?」
え?!隣?座って話してくれるのか!?
「え。ええ。勿論。隣いいです」
声が微かに震えていた。もうどうしよう。こんな近くで佐藤湊と喋れるなんて。色っぽい目に胸がきゅんと締め付けられる思いがした。でも間近でみる佐藤湊は色っぽいが優しい目をしていた。
「今日のライブどうでしたか?」
ああ。そうか。ライブの感想聞きたいんだな。CDまで買ってくれるようなファンだからそういうの気になるよな。
「すごく感動しました。新曲も良くって、あの俺、最初に佐藤湊さんのライブを観た時、恥ずかしながら涙を流しました。素晴らしくて、心に染みて。なんて言ったらいいんだろう。こう心を鷲掴みにされた思いでした」
隣にいる佐藤湊はふふふと笑って、そうですか。ありがとうございます。とまたお礼を言った。
「俺のファンって女性が多くて、男性のファンがいてくれるの嬉しいです。同性のファンって外見じゃなくて中身を見てくれているみたいで、歌を素直に好きでいてくれるっていうか。女性のファンが中身を見てくれてないって意味ではないですよ。でも嬉しいです」
にこっと笑う佐藤湊は神々しく触れてはいけないもののように思えた。そんな佐藤湊が俺と話してくれている。本当にラッキーだ。サンタクロースからのプレゼントかもしれない。クリスマスイブの思い出。今後今日の事は一生忘れないだろう。
「お名前聞いてもいいですか?」
佐藤湊は俺に興味を示してくれたようだった。嬉しい。名前を聞いてくれるなんて。もうこのまま死んでもいい。
「天馬朝陽っていいます」
「アサヒ、さん・・・」
佐藤湊は右上を見上げて、「ああ。いつも俺のSNSにコメント下さる方ですよね?朝陽さんって書く」と、ポケットからスマホを取り出し、自分のSNSを開きコメント欄を見せてくれた。
コメントを毎回チェックしてくれていたのかと心が高揚するのを感じ、そして本名でコメント残しておいて良かったなと思った。
「はい。いつもコメント残させてもらってました。憶えていてくださってるなんて嬉しいです」
佐藤湊はスマホをポケットにしまいながら、「勿論ですよ。コメントはいつもチェックしてます。最初朝陽さんからコメント来た時、名前の漢字読めなくて朝陽さんのSNSも見にいきました。それでアサヒと読むのだと分かったのでそれも印象的でした」
「湊君。こんな所にいたんだ。何?お友達?」
また後ろから声がした。
俺と佐藤湊は後ろを振り返った。
「あ、平さん。いえ。ファンの方です。いつもライブ来ていただいている。それで話してました。トイレ行ったらすぐ戻りますね」
佐藤湊は、これからも宜しくお願いします。と軽く会釈をしてから席を立ち、トイレの方へ行ってしまった。
夢のようだった。まさか個人的に話ができるなんて思ってもみなかった。心臓がまだバクバクと血液を身体全体に激しく送っていた。
ふぅ。と一息つく。ジョッキに残っていたビールを飲み干し会計を済ませ店をでた。
寒いけど温かい。今日はクリスマスイブ。素敵なプレゼントを貰えた日だった。
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