第2話
十二月に入り、より一層寒さは増していた。コートを着て外を歩く。手袋も必要だったかな。そう思いながら最寄り駅から家までの距離を歩く。今日母親は仕事が早く終わるので久々に一緒に夕食を食べようと朝言われていた。ぼろいアパートの階段を上る。二階の真ん中の部屋に母親と俺が住んでいる。二DKの部屋だ。一応自分の部屋もある。
「ただいま」
ドアを開けて中に入る。
「お帰りなさい」
狭いキッチンに母親は立って料理をしていた。
「まだかかりそうだから先にお風呂にでも入ったら?」と母親は包丁で食材を切りながらそう言った。
「わかった」
俺は自分の部屋へ行き、部屋着に着替え、下着とバスタオルを持って洗面所へ行った。
お風呂は入ると水道代が高いので冬でもシャワーのみだ。シャワーを浴びてお風呂を出てから狭いダイニングテーブルの椅子に腰かけた。
「もうすぐ出来るから」
母親は髪を一本に縛っていた。いつものスタイルだ。髪に白い物が沢山混じっている。そんな母親を見ると、年取ったなぁと心が締め付けられる思いがした。
料理がテーブルに並び二人で向かい合って座って食べる。小さい頃はこれができなかった。大人になってこうやって向かい合ってご飯を食べられるようになった事に喜びを感じた。
「ねえ。最近また痩せたんじゃない?頬もコケて。やつれた顔してるわよ。大丈夫?」
母親は目を細めてそう言った。
「あー。大丈夫。なんとかね」
俺は目を合わせずそう言った。仕事が辛いだなんて言えない。
「そう。ならいいけど。それより最近どうなの?」
「どうって?」
「彼氏とかできたのかなって。最後に紹介してくれたのいつだったからしらね。大学生の頃だから二、三年くらいは経ってるかしら」
俺は母親の顔を見れないまま、「え、ああ。まあ今はいない」とぶっきらぼうにそう言った。
母親には高校生の頃から自分の恋愛対象が女性ではなく男性だという事を話していた。最初は驚かれたが、まあ朝陽が幸せならそれでいいからとあっさり受け入れてくれた。大学生の時、付き合った彼を母親に紹介した事があった。母親は少し戸惑った表情をしていたが、その当時付き合っていた彼に母親は、息子を宜しくお願いします。と深々と頭を下げていたのを思い出す。それから別れた事を報告した時は、残念ね。でもまた新しい人が現れるわよと言ってくれた。
母親にはいい人が出来たら紹介したいと思っている。自分は幸せだと言いたかった。けど、出会いがない。大学生の頃は自分のセクシャリティーをオープンにしていたので出会いもあったが、社会人になってからはオープンにするどころか一人の人間として扱われていないのでそういう話もできない。大学生の頃が良かったな。そう過去を振り返っても仕方がないのは分かっている。けど、戻れるなら戻りたい。過去の自分に言いたい。今の会社に入るなよと。でも・・・。内定を貰ったのは今の会社とあともう一社だけだった。そのもう一社に入っていれば変わっただろうか。
自分の選択が間違っていたのだろうか。いつもそうだ。自分がこうしたい、ああしたいと思い選択するとそれが裏目にでる。自分を信じられないなと最近思う。誰かに導いて欲しい。そうすればきっともっとまともな人生になれただろう。自分を信じて生きるなんて出来ない。
「いい人出来るといいわね」
ここで初めて母親の顔を見た。
皺の多くなった顔。目元の横には大きなシミが出来ていた。あんな所にシミなんてあったっけ?母親の顔の方がよっぽどやつれていた。
年取ったなぁ。
母親にも幸せになってもらいたい。
「お母さんは、その・・・。良い人とかいないの?」
俺は逆に聞いてみた。
「え?お母さん?お母さんはねぇ。いないわよ。あなたのお父さんだけでいいの」
母親からは俺が産まれてすぐに父親は亡くなったと聞かされていた。写真もないそうで、自分の父親の顔を俺は知らない。
「お父さんってどんな人だったの?」
「とても優しい人だったよ。優しい声に優しい目元。とてもハンサムでね。あなたの目元はお父さん似ね」
ふふふと笑う母親は、父親がまだ生きていた頃の事を思い出しているのだろうか。
俺にもその記憶が欲しい。優しい父親だった人。優しい声だった人。どうして俺達を置いて亡くなったんだよ。お母さんは苦労したんだよ。そして今も苦労している。亡くなった父親を恨んでも仕方ないが、それでもやっぱり生きていて欲しかった。
「お父さんが生きていたら良かったのにね」
母親は遠い目をして、「そうね」と言った。
俺はご飯を一口食べて咀嚼して、母親のそうね、の言葉と共に飲み込んだ。
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