11-2 忘却の記憶ー夢の中の記憶

――深い眠りの中、レヴァンの意識は未知の世界へと誘われる。


その目に映るのは、一面に広がる湖。

一滴の揺らぎもないその水面は、空を完全に写し取り、天と地の境界を曖昧にしていた。


まるで大地そのものが消え去り、彼は空の中に佇んでいるような錯覚を覚える。


水面に映る空は、夕焼けが描く深紅と黄金のグラデーションに染まり、やがて淡い紫へと移り変わる。雲の影さえも水中に溶け込むように映り込み、遠くの空には星が瞬き始める。


風がそっと吹き、水面に小さな波紋を広げるたび、それが虹色の光を放ち、湖全体が命を吹き返すように微かに揺れた。


その時、彼の目に一人の少女の後ろ姿が映った。

彼女は湖の中心に立ち、長い銀髪を静かな風に揺らしながら、その場の中心的な存在として光を放っていた。


彼女の足元は湖面に沈むことなく、むしろその存在が湖全体を支えているようにすら見える。


背中に背負った剣の柄には、白い光を放つ複雑な模様が刻まれ、それが水面に反射して無数の星の輝きを作り出していた。


剣と少女、そして湖全体が一つの調和した世界を形作り、レヴァンを引き込む。

少女の唇が静かに動くと、声は湖全体に吸い込まれるように広がった。


その響きは穏やかでありながら、どこか切迫感を帯びていた。


「あなたは、みんなに未来を託された。」


彼女の言葉は、一瞬レヴァンの胸に何か重たいものを落としたような感覚を生み出す。


しかし、その意味を理解する前に、彼女の声が続いた。


「迷い、悩み、それでも進み続けてきたあなたの中に、私たちは希望を見た。そして、あなたの剣が新たな道を切り開くと信じた。」


「私たち……?」


レヴァンは思わず疑問を呟いたが、少女はそれに直接答えなかった。


「星喰いの進化は偶然なんかじゃない。それには明確な目的がある。そして、その目的を阻む力を持つのは、あなただけ。」


彼女の声は湖面の波紋に乗りながら、レヴァンの胸の奥深くへ届いた。

自分に託された何か――それが何なのか、レヴァンにはまだ見えない。


しかし彼女の言葉は、確かに何か重大な事実を告げていた。


「覚えておいて。進む先に待っているのは、ただの勝利や平和ではない。あなたの選択で、未来が変わる。けれど、その力はあなた自身を縛り、傷つけるかもしれない。」


その言葉は優しくもあり、同時に鋭い警告のようでもあった。

少女が少し振り向く気配を見せると、その輪郭が微かに揺らぎ始めた。


「俺に未来を託すって……君は一体何者なんだ?何を知っている?」


レヴァンが必死に問いかけると、少女はほんの少しだけ肩越しに視線を向けた。

その瞬間、彼女の瞳が青白い光を宿し、レヴァンの胸を貫くような力強さを放った。


「私は……あなたの記憶の残滓。だけど、あなたを信じた者たちの声を伝えるためにここにいる。そして……」


彼女が次の言葉を紡ぎ出す前に、湖全体が眩い閃光に包まれた。

空と湖が溶け合うように崩れ、彼女の姿はかき消された。


「待って……!」


レヴァンが叫ぶ声も、空虚な湖に吸い込まれていく。


次の瞬間、彼の視界は真っ白な光に飲まれ、夢は途切れた。



――光が消え、次に広がったのは言葉を失うほど美しい夜の情景だった。


目の前には、星の海が映り込んだような夜空が広がり、丘全体を包み込んでいる。

月明かりは優しく大地を撫で、暗闇に沈むはずの景色を不思議と柔らかく照らしていた。


無数の星が天空に瞬き、時折流星が光の軌跡を描きながら駆け抜けていく。


その神秘的な光景は、まるで現実世界のすべての騒音が消え去り、静寂だけが残された異空間のようだった。


丘の斜面には、一面に白い花が咲き乱れていた。

それらは月光を反射し、花びらの一枚一枚が星の欠片のように煌めいている。風が吹くたび、花々は一斉に揺れ、丘全体が巨大な波のように脈動し、生きているかのような錯覚を覚えさせた。


冷たい夜風は、どこか懐かしい匂いを運び、レヴァンの肌を優しく撫でていく。


丘の頂には、一人の男性が立っていた。

背筋を伸ばしたその姿は威厳に満ち、彼の周囲に漂う空気には静かな力強さがあった。


その背後には、星紋が刻まれた巨大な木がそびえていた。木の枝は天へと向かって伸び、夜空と一体化するかのように溶け込んでいる。


枝先からこぼれる微かな光が、木全体を神秘的に輝かせていた。


「レヴァン……」


その低く穏やかな声が丘全体に響いた瞬間、レヴァンの中に何かが蘇る感覚がした。

思わず胸に手を当て、その感情の正体を探ろうとする。


「あなたは……誰なんだ?」


彼は警戒しながら問いかけたが、その言葉にはどこか安堵の響きが混ざっていた。

男性は一歩前に進み、月光を背負った姿がさらに鮮明に見えるようになった。


「久しぶりだな、レヴァン。」


その言葉を聞いた瞬間、レヴァンの目に驚きが浮かんだ。

心臓が早鐘を打つように脈打ち、言葉にならない思いが胸を突き上げる。


「まさか……父さん……なのか?」


声が震えた。


記憶の片隅にある父親の顔と、その男性の姿が重なった。

失われた記憶の中で断片的に浮かぶイメージが、次第に現実とリンクしていく。


男性――父親は小さく頷いた。


「気づいてくれたか。お前が成長した姿をこうして見られる日が来るとはな……。」


レヴァンは堰(せき)を切ったように言葉を投げかけた。


「父さん! 母さんは? 俺の記憶……何があったんだ? どうして俺は……」


次々と浮かび上がる疑問を必死に口にする。

父親に答えを求めるその姿は、子供の頃の彼そのものだった。


しかし父親は、少しだけ悲しげな表情を浮かべた後、静かに首を振った。


「すまない、レヴァン。それは、今の私には答えることができない。」


その言葉に、レヴァンは目を見開いた。


「どうしてだ! 父さんがここにいるのに、どうして教えてくれないんだ!?」


その声は悲しみと苛立ちに満ちていた。

父親は深く息をつき、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「私には誓約がある。この場所でお前に伝えられるのは、これからの道を歩むための言葉だけだ。過去について話すことは、私には許されていない。」


レヴァンはその言葉に衝撃を受け、拳を強く握りしめた。


歯を食いしばりながらも、父親が抱える事情を察し、強く問い詰めることができない自分に歯がゆさを感じた。


「だが、一つだけ言えることがある。」


父親は静かに語り続けた。

その声にはどこか力強さと温かさが入り混じっていた。


「お前がこれまで戦ってきた日々、それは決して無駄ではない。そしてお前の中に刻まれた力そのものだ。星紋も、イゼリオスも、お前にとって恐れるものではない。むしろ、これからの戦いの中でお前を支える大切な力になるだろう。」


「でも、父さん……俺はまだ力を使いこなせていない。もし、そのせいで守りたいものを守れなかったら……」


レヴァンの言葉には迷いが含まれていた。

それを聞いて、父親は優しく笑みを浮かべた。


「その不安こそが、お前の強さだ。力に溺れる者は、それを疑わずに頼りすぎる者だ。だが、お前は違う。迷い、悩み、それでも前に進もうとしている。だからこそ、みんながお前を信じて力を貸すのだ。心に留めておけ。真に大切なのは、お前が誰かの力に頼るだけではなく、自分自身を信じることだ。」


父親の言葉がレヴァンの胸に深く響く。

その言葉は、これまでの戦いで負った傷を癒し、心の奥底に眠る希望を蘇らせるようだった。


「これからの戦いは過酷なものになる、仲間を頼れ。お前は、決して一人じゃない。お前の選ぶ道が正しいかどうかは、仲間との歩みの中で自然と明らかになる。」


レヴァンはその言葉に、これまで自分が抱えてきた迷いや恐れが少しずつ和らいでいくのを感じた。同時に、父の声に隠された何か重大な意味に気付こうとするが、それが何なのかは掴み切れなかった。


父親は少し間を置き、星空を見上げる。

その表情には深い憂いと決意が滲んでいた。


「星紋の力は強大だ。しかし、それは諸刃の剣でもある。その力に溺れれば、お前はお前自身を見失うだろう。そして、ただの器となり果てる。」


その言葉は鋭く、胸を刺すように響いた。

レヴァンは無意識に自分の手を見つめ、そこに刻まれた星紋の力を思い返した。


「覚えておけ、レヴァン。お前がその力をどう使うか、それが自分の未来を決定する。誰かのために剣を振るうのか、それとも己のために力を求めるのか……選ぶのはお前自身だ。」


父親が言葉を紡ぐたび、レヴァンの心には重い責任がのしかかった。

しかし同時に、それは自分がここにいる意味を問い直す契機にもなった。


父親が静かに歩み寄り、そっと手を伸ばしてレヴァンの肩に触れた。

その感触は暖かく、懐かしい。


レヴァンは言葉を探しながら、父に問いかけた。


「父さん……俺は、本当にこの道を進むべきなのか?」


父親は微笑みながら頷き、最後にこう告げた。


「お前なら大丈夫だ。迷いながらでも、必ず答えを見つける。お前は……私たちが信じた希望だ。」


その言葉に、レヴァンは小さく頷いた。

心の中に、新たな決意の灯がともった。



――風が再び丘を吹き抜け、白い花が一斉に揺れる。


その一輪がふわりと舞い上がり、星空へと消えていった。

父親は微笑みながら後ずさり、再び星紋の大樹の前に立った。


「私たちはいつでもお前を見守っている。」


最後の言葉を残し、父親の姿が星空と一体化するように消えた。


その瞬間、丘全体が眩い光に包まれ、レヴァンの意識は夢の世界から現実へと引き戻されていった。


「……!」


レヴァンは突如、荒い息を吸い込みながら目を覚ました。

全身に走る鈍い痛みが現実へと彼を引き戻す。視界に映るのは、医務室の白い天井。


ぼんやりとした明かりが彼の意識をさらに混沌とさせた。

額を冷たい汗が伝い、手は無意識に布団を掴み締めていた。


その指先がかすかに震えているのを自覚し、彼はぎゅっと手を握り直した。


「……未来を切り開く? 星紋が答えを教える……。」


自分自身に問いかけるように呟いたその声は、わずかに震えていた。


夢の中で見た少女の後ろ姿、そして父親の声。それらが鮮明に脳裏に蘇る。

湖面に広がる美しい光景と、白い花が咲き誇る丘――その二つの情景はまるで幻想のように思えたが、それ以上に胸を締め付けたのは、彼を呼ぶ父親の言葉だった。


「……俺は、何を忘れている……?」


瞼を閉じると、夢の中の少女と父親の声が、またも彼を呼ぶように響く。


どこか切なく、それでいて何かを託すような響き。記憶の奥底で何かが目覚めようとしている感覚に、胸がざわついた。


彼は布団を払いのけ、上体を起こす。

全身の筋肉が痛みを訴えたが、それでも動き出さずにはいられなかった。


星紋の力を発動した時のあの感覚――身体を駆け巡る熱と、力の奔流。

だがそれ以上に、自分の限界を超えたその力に、自分自身が振り回されているような恐怖があった。


「星紋……俺は、本当にこの力を扱いきれているのか?」


彼は自分の手を見つめた。包帯に覆われたその手は、昨日の激闘の傷跡を物語っていた。


しかし、その手が掴み取ったのは勝利だけではなかった。

イゼリオスの力を完全に引き出した時、自分が何かに飲み込まれるような感覚を覚えたのだ。


「もしこの力が暴走したら……次は仲間さえも傷つけるかもしれない。」


その思いが、彼の胸に重くのしかかる。

力への疑念、そして自分がこの力を制御しきれていないという確信。それでも、目を背けてはいられなかった。


レヴァンは頭を振り、自分を奮い立たせるように深く息を吐いた。

痛みは、彼にこの前の戦いの現実を思い出させた。


サリアが星喰いに追い詰められた時、どれほど自分が必死だったか。


特異個体の冷たい金色の瞳が、今でも鮮明に脳裏に浮かぶ。

その存在感、圧倒的な力、そして言葉。星喰いがただの野獣ではないことを彼に突きつけた。


「……俺が立ち止まっている場合じゃない。」


ベッドの端に座り直し、彼は大きく息を吸い込む。

自分にはまだやるべきことがある――そう感じたのだ。


星紋が教えてくれる答えが何であれ、それを恐れて後退するわけにはいかない。

それがどんな危険を孕んでいても、自分にはこの力が必要なのだ。


目を閉じると、父親の声が再び心の中に響いた。


「戦ってきた日々がお前の力になる。」


その言葉の重みが、彼の胸に深く刻まれる。


父親が自分に伝えたかったのは何だったのか――なぜ自分の記憶が失われているのか――疑念は次々と湧き上がったが、それを問いただす相手はもういない。


彼の中には、母親のことを知りたかったという思いもこみ上げてきた。

だが、それさえも父親は語ることができなかった。


「誓約」と呼ばれた何かが、彼らの間に確かな壁を作っていた。

その壁が、星紋とどう繋がっているのか――すべてが謎に包まれている。


「……結局、俺が確かめるしかないのか。」


レヴァンは再び深呼吸をし、拳を固めた。父親の言葉を信じ、自分の選んだ道を進むしかない――それがどんなに困難な道であったとしても。



――窓の外を見ると、朝の光が医務室を包み込んでいる。


闇が消え去り、穏やかな光が差し込むその様子は、どこか夢の中の光景に通じるものがあった。レヴァンはそれを見つめながら、静かに誓った。


「俺は進む。星紋が何を示しても、それが俺に託されたものなら、俺が最後まで向き合ってみせる。」



彼の瞳には、再び立ち上がる覚悟の炎が灯っていた。

布団を握りしめていた手をゆっくりと離し、その手に力強さが戻るのを感じながら、彼は再び進む未来を思い描いた。

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