9-2 契約と代償ー最終試練
レヴァンが精霊から授かった新たな力――風の守護。
その余韻がまだ彼の全身を包む中、風の精霊が最終試練の到来を告げた。
「この力を手にしたお前に問う。力を使いこなすとはどういうことか、それを証明せよ。」
精霊の声は、ただ風に乗る囁きではなく、大地をも震わせる重厚な響きを帯びていた。
その言葉と共に、レヴァンの周囲の空気が変わり始めた。
青く澄み切った空は広がり続け、太陽の光が優しく大地を照らしている。
穏やかだった草原は、急に荒々しい気配をまとい、風が渦を巻き始めた。
舞い上がる砂や小石が光を反射し、きらきらと輝きながら宙を舞う。
「これが……最後の試練か。」
レヴァンは息を呑んだ。
風の精霊から授かった力の存在を確かに感じていたが、それをどう使うべきかまでは掴めていなかった。
突如、渦巻く風の中から複数の幻影が姿を現した。
それらはレヴァンがかつて戦った星喰いや、自分自身の不得手な部分を象徴する存在だった。
巨大な牙を持つ星喰い、目を赤く光らせた異形の影、さらには人の形をした幻影――過去に彼を一度挫折させたかつての敵の姿が、目の前に立ち塞がっていた。
「またお前たちか……!」
レヴァンは剣を構え、全神経を集中させた。
しかし、周囲を取り巻く風が視界を遮り、耳元では風切り音が響き渡って集中力を乱してくる。その隙を突くように、幻影たちが一斉に襲いかかる。
冷静に対処すれば難なく倒せるはずの相手だが、かつて苦戦した強敵たちが連携して攻めてくることで、レヴァンは苦戦を強いられていた。
「力は確かにあるはずなのに、なぜ使えない……?」
精霊から授かった力を引き出そうとするも、発動できない現状に焦りが募る。
(これは試練……新しく得た力で乗り越える必要がある。)
頭では分かっている。
しかし、襲い来る幻影たちは、過去に自分が苦戦した相手そのもの。星紋術なしで立ち向かうのは、あまりにも厳しい状況だった。
考えを巡らせながらも、レヴァンは身体強化と剣技を駆使して善戦を続ける。
だが、多勢に無勢の状況では手数で押し切られ、次第に身体に刻まれる傷が増えていく。
「うっ……このままでは……!」
息を切らし、窮地に追い込まれる中で、レヴァンは必死に力を引き出そうと模索していた。
(なぜだ!?マナも星紋の力も確かに込めているはずなのに……!)
精霊から授かった力を発動できず、心の中に焦りが膨らんでいく。
その焦りのせいか、動きに隙が生まれてしまっていた。容赦なく幻影たちが襲いかかり、星喰いの鋭い爪がレヴァンの肩に深い傷を刻む。
「くっ…!」
出血を抑え、肩を庇いながら戦闘を続ける中、レヴァンは星紋術の使用を模索していた。
(ここで死ぬわけにはいかない!)
「風を支配するのではない。風と共に動け。」
突然、耳元に精霊の声が響いた。その言葉は静かだったが、彼の心に深く届くものがあった。
「風と共に……?」
レヴァンは剣を構えたまま目を閉じ、周囲を取り巻く風の中で深く息を吸い込み深く集中した。今、風は敵であると同時に、自分が新たに得た力の象徴でもある。
その存在を拒むのではなく、受け入れる必要がある。
――そう理解した瞬間、体中の緊張がほぐれていくのを感じた。
その瞬間、風が肌をかすめ、彼の感覚に微かな揺らぎが走った。
耳元で囁かれるような、しかし確かに自身の内側から湧き上がる直感が告げる。
「右だ……」
無意識のうちに右側に意識を向けた刹那、巨大な星喰いの爪が彼を引き裂こうと迫ってきた。
その一瞬の予感に従い、レヴァンは剣を振り上げ、爪を弾き飛ばす。
「蒼閃舞(そうせんぶ)!」
青白い閃光が星喰いの腕を切り裂き、その巨体を後退させた。
今度は、背後から迫る不穏な気配――風が空間の揺らぎとして彼の意識に訴えかける。それはまるで、自分が後方の敵の傍に立っているかのような感覚だった。
「左後方……!」
すぐさま身を翻し、背後から迫る異形の影の攻撃をかわす。
続けて剣を振るい、影を切り伏せた。
「この感覚……風が何かを伝えているのか?」
レヴァンは胸の内で呟く。視覚や聴覚を超えたこの直感。
それは風が触れるたびに伝わるかすかな兆し――敵の位置、攻撃のタイミングを感じ取らせる。
まるで風そのものが周囲の状況を感知し、それを彼の意識へ流し込んでいるようだった。
(そうか……風と共に動けというのは、こういうことか!)
レヴァンは自分を包む風の存在を受け入れ、その流れに身を委ねるように動き始めた。
星喰いたちが一斉に襲いかかってくる中、彼は風の導きに従う。
直感に応じて体を動かし、敵の攻撃を流れるようにかわし、反撃の剣を振るう。
その刃は風と一体化し、青い光を纏いながら星喰いたちを切り裂いていった。
「これが……風の加護か!」
彼は剣を握り直し、風の流れをそのまま戦闘に転化させる。
目の前の星喰いが牙を剥いて突進してくるが、風は再び彼の感覚に予感を与えた。
「右へ流れる」と。
レヴァンは即座に右へと身をかわし、星喰いの攻撃を回避する。
そのまま剣を振り抜き、風を纏った刃で星喰いを切り裂く。
刃が敵を貫くたび、風が歓喜するかのように唸り声を上げた。
「なるほど……これが風の力か!」
彼は星喰いたちの動きに合わせ、次々と攻撃を繰り出していく。
風が剣に加わることで、斬撃は一層鋭さを増していった。その動きは、まさに風そのものと一体化したかのようだった。
戦闘の最中、荒れ狂う風と星喰いの襲撃に応戦しながら、レヴァンはふと気づいた。
肌をかすめる風の感触がいつもと違う。
従来の冷たく鋭い風ではなく、どこか柔らかく、温もりを感じる風が、そっと彼を包み込んでいた。
「この風……何かが違う。」
レヴァンは一瞬だけ目を閉じ、戦場の喧騒から自身の内面へと意識を向けた。
風が頬を撫で、疲れ切った筋肉をほぐしていく。痛みが和らぐ感覚が広がり、それはまるで母親が傷ついた子どもを撫でるような優しさだった。
「心地いい……こんな風、初めてだ。」
呟きが漏れた瞬間、風は彼の全身をそっと包み込んだ。
鋭い痛みが徐々に鈍くなり、肩を襲っていた灼熱感も次第に引いていく。
切り傷や打撲が和らいでいき、彼の視線の先では、肩の傷口が薄い膜に覆われ始めていた。血の跡が乾き、風がかすかに旋回しながらその傷を癒していく。
その光景は、現実離れしていた。
それでいて不思議と自然に思えた。風が持つ癒しの力が、自分を支えていることを実感させる。
「これが……風の癒し?」
(おそらく風の癒しは、自分自身を支える力になる。だが、それに依存するのではなく、その力をどう生かすかを今、ここでものにする!)
風は傷を癒すだけでなく、レヴァンの心そのものを落ち着かせていった。
戦闘の興奮によって早まり、乱れていた鼓動が次第に整い、深く呼吸をするたびに冷たい空気が肺を満たす。それとともに、焦りや恐怖が薄れていく。
「冷静になれ。」
自らに言い聞かせると、風が耳元を撫でていく。
その動きはまるで「大丈夫だ」と囁いているかのようだった。
彼は深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。風が周囲を巡り、余計な感情をさらっていく感覚があった。
レヴァンは、これまでにないほど冷静になっている自分を実感していた。
目を開けると、戦場の光景が驚くほど鮮明に映る。
「視界が……広がっている?」
ただ敵の動きが見えるだけではない。戦場全体の状況が明確に把握できる。
星喰いの動き、その攻撃のタイミング――まるで予めすべてを知っているかのような直感が彼の中に宿っていた。
「これが、風の癒しの力……。」
レヴァンは唇を噛みしめ、剣を握り直した。
風がもたらす癒しは、彼の身体を目に見える形で変えていった。
戦闘の序盤に負った肩の深い傷。そこから流れていた血はすっかり止まり、傷口が薄い膜で覆われ始めていた。ヒリヒリとした痛みも消え、代わりに心地よい温もりが広がっていく。
「すごい……これならまだ戦える。」
彼は呟くと、風が再び優しく身体に触れた。
その柔らかさは、彼の精神を癒していた。
ただ闇雲に剣を振るうのではなく、一撃一撃を確実に決める戦い方ができるような感覚を与えていた。
星喰いが目の前に迫る。
以前の彼なら、ただ全力で剣を振りかざしていたかもしれない。しかし、今は違う。
風が敵の動きを察知し、最適なタイミングで対応できていた。
「右だ!」
風がもたらす予感が感覚として伝わった瞬間、彼は反射的に右側へと身を翻した。
直後、星喰いの爪が彼の左肩をかすめる。
しかし、それ以上の攻撃は届かない。
「俺は……風と一緒に戦っている。」
その実感が胸の中に新たな自信を芽生えさせた。
彼の剣は風を纏い、青い光を放ちながら星喰いたちを切り裂く。
その刃が敵を貫くたびに、風が歓喜するかのように唸り声を上げた。
「なるほど……これが風の力か!」
レヴァンは剣を握り直し、さらに力強く荒野の戦場へと身を投じていく。
風と共に動く彼の姿は、まさに自然そのものと調和した戦士のようだった。
戦闘の合間に、レヴァンはふと気づく。
纏う風には、これまで経験したことのない安心感と心地よさがあった。まるで自分を守り、支え、導いてくれる存在が背後に立っているような感覚だ。
「こんなにも……風が心地いいとは。」
彼は一瞬、戦いの喧騒を忘れていた。風に包まれる感覚は、彼の心を満たしていた。
幼い頃、星紋術に初めて触れたときの高揚感、世界と繋がっているようなあの感覚が蘇る。
「これが精霊の力を使うことの本質なのか……。」
力を得ることだけを考えていた彼の思考が、少しずつ変わり始めていた。
風との共生、それを理解し始めたレヴァンの目は、どこか穏やかな光を帯びていた。
「さあ、もう一度だ。」
レヴァンは深く息を吸い込み、剣を掲げた。
風が再び彼を包み、傷を癒し、彼の心を静めていく。
星喰いの次なる襲撃を予見しながら、彼は冷静に次の一手を考えた。
風はただの力ではない。風は彼を導き、守り、そして共に戦う存在だ。
その事実を彼はようやく受け入れつつあった。
「俺はこの力を使いこなせる……いや、これからは風と共に戦う!」
その言葉と共に、風が彼を応えるように渦を巻いた。
その力強い流れの中で、彼は一体となった感覚を覚えていた。
幻影の敵たちを次々と倒していく中で、レヴァンの意識の奥底に、精霊がかつて囁いた言葉が蘇った。
「力には代償が伴う。」
「力の代償……?」
その言葉が頭の中に響くと同時に、彼の剣に纏う風の力が一層激しさを増しているのを感じた。
風が彼の動きを補い、敵の隙を暴き、反撃の余地を与えない――それほどまでに風は確かな味方だった。それでも、心のどこかで、この力が一時的なものであることを確信していた。
その裏側に潜む「代償」という言葉の重みが、彼の心にじわりとのしかかってくる。
「俺が代償として差し出せるものは……何だ?」
剣を振るうたびに、その問いが彼の心を締め付ける。
星喰いの幻影たちを斬り裂くたびに、自らの存在が風に引き寄せられていくような感覚に襲われる。
自分自身が風の一部となり、徐々に消えていくのではないか――そんな不安が胸をよぎった。
しかし、目の前には容赦なく襲いかかる敵たちがいる。
足を止める暇などない。
「差し出すものが何であれ、俺はこの先へ進む!」
彼は強く心に言い聞かせた。
剣を握る手に一層の力を込め、風の力と一体化するように身体を動かす。
風が導くように敵の攻撃をかわし、隙を見つけると一撃で斬り伏せる。
その動きはもはや人間のものではなく、風そのもののようだった。
(精霊自身の力を借りていないこの力だけでも強力だ。その力に対して俺が差し出せるもの...それは......)
レヴァンが考えた力の代償は、戦いの中で徐々に濃くなっていった。
幻影の敵を倒すたびに、風が彼の身体にまとわりつく感覚が強まっていった。
最初は心地よい支えだったそれが、徐々に圧迫感を伴うものへと変わっていく。
風の力を纏うたび、身体が重くなり、剣を振るうたびに筋肉の奥深くに鈍い痛みが走る。
「これが……俺が考えている代償の感覚か?」
レヴァンの意識は一瞬、目の前の戦場から逸れそうになった。
だが、襲いかかる星喰いの幻影が彼の集中を引き戻す。敵の動きに合わせ、剣を振るうたびに風が唸りを上げる。
青白い閃光を纏った刃が星喰いを切り裂き、その巨体が崩れ落ちるたびに、レヴァンの身体はさらに疲労を蓄積していく。
(これは、ただの疲れじゃない……)
彼は直感的にそれを理解していた。
風の力が増すほどに、自分の身体が風そのものに飲み込まれていくような感覚。それは身体だけでなく、命をも削るような感覚だった。
「それでも、俺は力を得て進みたい。」
レヴァンの声には、決意が宿っていた。
力を求め、その代償を受け入れる覚悟が。
彼の中に渦巻いていた不安は、徐々に形を変えていく。
それは恐怖ではなく、覚悟と責任だった。
この力を持つことを選んだ以上、その代償をも引き受ける。それがたとえ自分の身体や命そのものであったとしても。
剣を振り上げるたび、彼は心の中で問いかけた。
「俺の差し出すべきものが、この戦いの先にある未来なら……それでも俺は、力を得る!」
目の前の星喰いの群れを撃破し、風がさらに激しく彼の身体を包み込む。
代償の感覚が濃くなるほどに、彼の剣の斬撃は一層鋭く、力強さを増していった。
「俺のすべてを懸けて、切り開く……それが、俺の道だ!」
風と共に彼の意志が吼える。その一撃は、星喰いの群れを切り裂き、暗闇の中に光を生んだ。
最後に立ちはだかったのは、巨大な星喰いの幻影だった。
その全身は荒れ狂う風に覆われ、恐ろしいほどの威圧感を放っている。
渦巻く風が生み出す壁は、まるで近づく者すべてを切り裂こうとする刃のようだった。
風が視界を歪ませ、耳元には鋭い風切り音が響く。
その音が、まるでこの場に満ちる敵意そのものを表しているようだった。
レヴァンは剣を構え、じっと星喰いの動きを見極めていた。
風の流れ――その変化を敏感に感じ取り、敵の隙を探る。しかし、星喰いの風は単純ではない。渦を巻き、方向を変え、レヴァンの判断を狂わせようとする。
「ここで終わらせる!」
その言葉とともに、レヴァンは剣を握り直した。
しかし、通常の剣技や身体強化だけでは、この相手に立ち向かうのは難しい。
(身体強化と剣技だけでは足りない……精霊の力を使うしかない!)
レヴァンは深呼吸をし、自らの内側に流れるマナを解放した。
精霊との契約によって与えられた力――それを全身に巡らせる。意識を集中させると、風が彼の周囲に集まり始めた。その動きはまるで、生き物が契約者に応えるかのようだった。
「力を貸してくれ。」
その声と共に、透明な空気の中から鋭利な風の刃が浮かび上がる。
それは淡い青い光を纏い、まるで命を宿したかのようにかすかに揺れていた。無数の刃が空中に並び、レヴァンの周囲を巡る。それは攻撃にも防御にも使える、自由自在の力だった。
巨大な星喰いの幻影が荒れ狂う風を纏い、圧倒的な威圧感でその場を支配していた。その巨体が動くたび、周囲の空間が震え、鋭い風が刃となって地を裂く。
レヴァンは剣を握り直し、星喰いの動きを見据えた。荒れ狂う風の流れを読み取りながら、彼は心を落ち着ける。
「最後だ!」
そう叫ぶと同時に、レヴァンは星喰いに向かって駆け出した。剣を振り上げ、全力で振り下ろす。
その一撃は、星喰いの防御の風の壁をかすかに削った。だが、それだけでは不十分だった。
星喰いが咆哮とともに爪を振り下ろす。その巨大な一撃がレヴァンを弾き飛ばした。
「くっ……!」
地面に叩きつけられる寸前、風の刃が彼の身体を包むように動き、爪の直撃を防いでいた。
鋭い音を立てて火花のような閃光が生じ、風の刃が敵の攻撃を受け止めて消散する。
それでも、数本の刃がすぐに再構築され、レヴァンを守る盾となった。
(守られている……これが風の刃の力か!)
レヴァンは立ち上がり、再び剣を構えた。
風の刃が彼の周囲を巡り、次なる攻撃の準備を整えていた。それらは静かに揺らめき、まるで契約者の意思を待っているかのようだった。
「行け……!」
レヴァンが叫ぶと、風の刃が一斉に動き出した。
星喰いの風の壁を切り裂きながら、その巨体へと向かっていく。それらの動きは速く、星喰いが爪を振り回しても捉えることはできない。
レヴァンもその流れに続いた。
風の刃が作り出した隙を突き、剣で星喰いの脇腹に切り込む。血のように暗い光が敵の体から噴き出し、星喰いが激しく咆哮した。
「これで決める!」
レヴァンは剣を振り下ろすと同時に、風の刃を最大限に顕現させた。
無数の刃が空中で集合し、ひとつの巨大な風の刃へと姿を変える。それは青白く輝き、轟音を伴って星喰いの頭部を狙った。
星喰いが最後の抵抗を見せるように、防御の風を強化し、周囲の空間を荒れ狂う嵐で覆った。
しかし、巨大な風の刃はそれを突き破り、星喰いの頭部を貫通する。
「これが……風の刃の力!」
レヴァンの驚きの声とともに、風の刃が敵の体内で弾け、星喰いの巨体が崩壊を始めた。
荒々しく吹き荒れていた風も徐々に静まり、星喰いの形は光となって消え去っていく。
その瞬間、嵐が完全に止み、静寂が訪れた。
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