第2話 平民でも、女の子でも

 街並みが石畳へと変わり、少し先に巨大な尖塔せんとうが突き抜けるように立っているのが見えてきた。まばらに人影が増えていて、同年代と思しき少年少女が大聖堂の門へ集まっているのがわかる。


「わあ……すごい人だな」


 追いついた僕は、息を整えながらセラに声をかけた。彼女もさすがに息が上がっていたものの、「いぇ〜い! 私の勝ち!」と V サインをしてみせるのだから恐れ入る。


「今のは反則だろうが……。なあハル?」

「ふ〜んだ! 負け惜しみは見苦しいぞ!」


 ゴドリックの抗議にも、セラはべえっと舌を出して返す。このふたりは何かと張り合うことが多い。けれど――


「……ぷっ! あはは!」


 セラはこらえ切れなくなったのか、あっさりと笑い出した。僕とゴドリックも、つられて同時に吹き出す。

 昔からこの調子だ。セラとゴドリックは言い争いになっても、最終的にはどちらともなく顔を見合わせて笑ってしまう。それもこれも、セラの天真爛漫てんしんらんまんで無邪気な笑顔が、どんなことでも許せてしまうほど魅力的だからなのかもしれない。


「それじゃ、そろそろ行くか」

「そうだね。行こうか」


 僕らは笑みをこぼしながら、大聖堂のほうへ足を進める。

 大聖堂の門前には受付用のテーブルが並び、牧師らしき人々が忙しそうに動いていた。どうやら、ここで名前を告げての列に並ぶらしい。

 名の知れた貴族の子息や、有望だと噂される平民の天才児など、実にさまざまな人が集まっていて、あちらこちらから噂話が聞こえてくる。


『……ヘルムート家の跡取りが来るそうだ』

『黒髪の子はアルデヴィン家か……?』

『あの茶髪の娘は平民のようだけど、どうしてあのおふたりと?』


 たくさんの人の目があるところでは、僕たちの噂話がどうしてもつきまとう。それは仕方のないことだし、そういうものだと割り切ってはいるけれど……。


「やっぱりこんなに注目を浴びると、すこし恥ずかしいね……」

「ふん、何見てやがる。気にすんなよハル! 俺たちは俺たちだ!」

「そうだぞハル! 私たちは私たちの道を進めばいいんだ! 平民? 貴様? 関係ない! 私たちは私たちだ! 周りがどう言おうと、私たちは私たちの道を進めばいいんだ!」


 そう言ってふたりは、僕の手をぎゅっと握ってくれた。その温もりに、僕は思わず目頭が熱くなる。


「うん、ありがとう……」


 感謝を込めて僕も手を握り返すと、ゴドリックは大げさに目をそらした。そんな様子がまたおかしくて、セラとふたりで小さく笑う。


「ハリオン!」


 そのとき突然、大聖堂の門のほうから僕を呼ぶ声が聞こえる。視線を向けると、祝いの場には似つかわしくない険しい顔をした男女が立っていた。


「父上……母上……!」


 父マルクスはいつもながら背筋をぴんと伸ばし、周囲を圧倒するほどの威圧感を放っている。

 母アデレは、一歩引きながらも厳粛で、貴族としての誇りを宿した眼差しでこちらを見つめていた。


「どうしてここに?」


 慌てて駆け寄ると、父上は腕を組んだまま「どうして、とはなんだ。跡取り息子が成人の儀を受ける場に、親が来てはいかんのか」と、まるで当然だと言わんばかりに言い放つ。

 その口調は素っ気ないが、自ら足を運んでくれるあたり、僕のことを少なからず気にかけてくれているのだろう。


「……ハリオン、どんなスキルを得ようとヘルムート家の名に恥じぬようになさい」


 母上は一定の距離を保ったまま告げる。その表情は硬い。普段から跡取り息子への理想を押しつけてくる母上らしい態度だ。


「家名を背負っている自覚を持ちなさい。大勢の目があるのだから、きちんと振る舞って」

「……弁えております。ご心配には及びません、母上」

「なら良いわ。これからも精進なさい」


 母上は頬を強張らせたまま、息を吐くように言い放つ。一方で父上は、目を細めて僕を見下ろすだけで、それ以上とがめることはしない。ひとまずそれが承諾の合図らしい。


「叔父様、叔母様、ご無沙汰しております」

「アルデヴィンの息子か。久しいな。成人おめでとう」


 ヘルムート家とアルデヴィン家には昔から家同士の縁があり、さらにゴドリックは剣の才に秀でていることから、父上や母上のお気に入りでもある。


 しかし――


「……その娘は?」


 母上がちらりと僕の後ろ、セラのほうへ視線を向ける。あからさまに警戒を帯びた瞳だ。先ほどまでの厳粛な態度が一変し、冷えた空気が流れる。


「あ……セラフィーナ=グリーンフィールドと申します。ハリオンとは幼い頃からの付き合いで――」

「ああ、ね」


 母上はセラの名乗りを遮り、吐き捨てるように言う。

 生まれながらの家柄を重んじ、地位の低い者を見下すヘルムート家の伝統が根強く残っているのだろう。

 平民で、なおかつ貴族社会で冷遇されている女性であるセラは、母上にとって最も軽蔑する対象なのだ。


「ハリオンと平民の女が、ずいぶん親しそうにしていたものだから、不思議だったの。ハリオンに何か用でもあるのかしら? まさか、ハリオンに便乗して身分を上げよう……なんて考えじゃないでしょうね」


 わざとらしくハンカチで口元を隠し、嫌味な笑みを浮かべる母上。その仕草に、父上も黙したまま同意しているようだった。

 平民を見下し、権力や地位をこよなく敬う――この家の、いや、貴族の在り方は、僕が幼い頃から何度も見せつけられてきた光景そのものだ。


「そんなこと、あるわけありません! 私はただ、ハル……いえ、ハリオンと一緒にがんばりたいと思っているだけです!」


 セラは必死に否定する。けれど、その声はわずかに震えていた。


「……ふん。まあ、いいわ。あなたがどんなスキルを得ようとヘルムート家には関係のない話。勘違いしないでちょうだい。ワタクシたちは平民の力をどうこう言うつもりはないの。ただ、ハリオンに悪影響を与えられるのは困るのよ」


 母上は棘のある言葉をさらりと呟き、やがて父上のほうを向く。すると父上も「…… ハリオンの自由を尊重するつもりだが、ヘルムート家に不名誉な噂が立たないようにな」と低く念を押してきた。


「ゴドリック、お前もアルデヴィンの誇りを忘れるな。……それだけだ。行くぞアデレ」

「あとは成人の儀を見守るとしましょう。ハリオン、ワタクシたちは席に戻るわ」


 そう言い残して、ふたりは人混みの奥へと消えていった。

 残された僕たちは、互いに何も言えず、ただ申し訳なくて下を向いていた。


「……ごめん、セラ。母上があんな言い方して……」

「ううん。ハルが悪いわけじゃない。……けど、正直、ちょっとだけショックだったぞ。でも、だからこそ……」


 セラはそこで言葉を切り、拳を強く握りしめる。その目には決意が宿っていた。


「絶対ぜったい! 最高のスキルを得てみせるぞ! いつか必ず、私が“平民だから”なんて言わせない日を作るんだ!」

「セラ……」

「そうだ。身分なんて関係ねぇ。結局、何を成すかは自分次第だろ。オレも負けねぇ。だからお前も胸を張って臨めよ!」

「ああ! もちろんだ!」


 三人一緒にぎゅっと拳を作り合い、気合を入れる。真っすぐな想いが伝わってくるその光景に、僕は胸の奥がほんのりと温かくなるのを感じた。


「……じゃあ、行こうか。成人の儀がもうすぐ始まる」

「うん!」

「おう!」


 大聖堂の扉の向こうに続く列――そこは、僕たちがとして生きる第一歩を踏み出す場所。今からどんなに厳しい現実が待っていようとも、目を背けずに歩んでいく。そんな決意を胸に、僕はその一歩を踏み出した――だが、このときの僕たちはまだ知る由もなかった。

 ――これから訪れると、それが起こす波乱の物語を――


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