第8話
「一緒に行ってくれるの?」
歩調を合わせてくれる倉沢に、ハルは尋ねた。
「いいですよ」
「じゃあこれ持って」
ハルは点滴台に添えていない方の手で財布を差し出す。
倉沢は「はい」とそれを受け取った。
「久しぶりに歩いた。自販機まで1番遠い病室なんだね」
ハルは天井とカーテン以外の景色を見回しながら言う。
病棟入口にあるフリースペースに着くと、自販機の横に窓があった。
カーテン越しに夜の街の明かりが見える。
ハルは自販機ではなく窓に近づき、その景色をじっと見つめた。
「早く外の空気を吸いたい」
「まだ入院3日目ですよ」
藤森のようなことを言う倉沢に、ハルは笑った。
外の景色を目に焼き付けるように立ち尽くすハルに、倉沢は続ける。
「行動制限はないので、ここはいつでも来れます」
「うん」
「病棟から出なければ自由に歩き回っていいですから」
「ほんと歩き方忘れるところだった」
ハルは自販機の前に移動し、倉沢から財布を受け取った。
「先生も何か飲みます?」
「僕はもう帰るんで」
「そう…じゃあまた今度」
ハルが選んだ水が落ちると、倉沢がそれを取り出して渡す。
代わりに財布を受け取り、「持ってます」と短く言った。
ハルは近くのベンチに座り、水を一口飲む。
「うわ…水がこんなに美味しいなんて…幸せ…」
その様子を見て、倉沢はわずかに表情を緩めた。
もう一口飲み、キャップを閉めたハルはゆっくり立ち上がる。
「なんか元気が出てきた」
「よかったです」
2人は並んで病室へ戻る。
消灯時間が近いせいか、廊下は静かだった。
ハルは気分が良さそうに周囲を見ながら歩く。
「尾崎さんは」
それまで必要以上に言葉を発していなかった倉沢が口を開く。
ハルは驚いて倉沢を見る。
「僕がこの病院に来て初めて受け持った患者です」
「そうなんですか」
「はい」
「毎日欠かさず来てくれる」
「経過が順調で嬉しいからです」
病室に戻り、ハルがベッドに座るのを見届けてから倉沢は言う。
「じゃあ、ゆっくり休んで下さい」
「先生こそ」
「はい」
カーテンを閉めようとする倉沢を、ハルは呼び止める。
「倉沢先生」
「はい?」
手が止まる。
「ありがとうございました、おやすみなさい」
「はい。…また明日」
倉沢が病室を出ると、ほどなくして消灯時間になり、病室も廊下も静けさに包まれた。
ハルはベッドサイドのライトをつけ、水を一口飲む。
歩けたこと。水が飲めたこと。外の景色を見られたこと。誰かと話せたこと。
それだけで、気持ちが少し軽くなっていた。
今夜は、少しだけ穏やかに眠れそうな気がした。
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