9.中学二年生:竹生流柔術と穂村流
「ねえ穂村ちゃん。君、あの子にいったい何を教えたの?」
「別に、ただの古流空手」
『喧嘩最強ランキング貼り出し事件』から一ヶ月も経っていない日曜日の午後二時。俺は、叔父の知り合いの古武術教室で、見知らぬ大人と立ち会っていた。
三十歳に届くかどうかという、
一方の俺は、Tシャツにハーフパンツというラフな格好。
双方、両手にオープンフィンガーグローブを装着だ。
「はあ、はあ、はあ――」
息を上げているのは道着男の方。
俺はいつもどおりに両手を下ろして自然体に立ちつつ、
「はあ、はあ、はあ――」
三メートルの距離を空けて対峙する俺と道着男。
総合格闘家よろしく両手を顎下辺りで構えた道着男が俺ににじり寄ろうとして……しかし中々かかって来てくれない。
板間が広がる道場の壁際では――
「ただの古流、じゃなくて穂村流だろ? 多少の体格差はあるにしろ、うちの湊くんが、攻めあぐねて総合スタイルに戻ってんじゃん」
「そういや彼、元・総合格闘家だったな」
袴を履いた長髪の中年男と、叔父の穂村泰親が並んで壁に背中を預けていた。
古くからの友人同士なのだろう。二人とも腕組みをして気安く会話している。
「ライト級のメジャー経験者だよ。大晦日のテレビ放送だって経験してるんだぜ?」
「ふぅん」
広い道場にいる人間はそれだけだ。俺と、俺と闘う男と、叔父と、叔父の友達の四人だけ。
「やだねえ。
「あいつはあれしか知らないだけだ。僕の空手しか練習していないから、僕のように歩いて、僕のような技を使う。速度も威力も間合いも未熟だけどな」
「あれを未熟と言っちゃうのは欲張りすぎでしょ」
長髪の中年男がそう苦笑した直後――――俺と対峙する男がいきなりスタートを切った。
俺の脚を刈ろうとする低いタックル。
だから俺は、片足を大きく引いて半身になると同時、一気に腰を落として股を開いた
四股立ちの構えを取った時、俺は既に
迎撃成功。
道着男の首が飛んで、首から下もそれに追従するように道場の床を四メートル転がる。
「いいねえ。死に物狂いの鍛錬を感じるねえ」
「本人は楽しくてしかたないんだと。大体いつも笑ってるよ」
「は~~~。世紀の馬鹿か、世紀の麒麟児のどっちかってわけだ」
長髪の中年男の感心したような笑いが広がる中……俺の追撃を恐れた道着男が跳ねるように立ち上がった。しかし俺が動いていないのを見て少々面食らったようだ。
「ねえ、『秘拳』は教えたの?」
「さて、どうだったかな」
俺が動かなかった理由――そんなの、もっと闘っていたいからに他ならない。
これはただの試合だ。野間さんと青木さんを犯して殺した暴力と対峙する前の、ただの練習の一つ。
ならば、この道着男の技すべて、経験すべてを味わった方がお得というものだろう。
「湊くんに使ってもいいけど、殺さないでよ?」
俺は、適度に軽く脱力した自然体で立って、道着男のことをじっくり観察していた。『秘拳』を使ってもいいなら使ってみようかな――とか考えていた。
………………………………。
何十秒かの動きのない見つめ合いのあと。
「まいった」
道着男が『待ってくれ』とでも言いたげに手を突き出して降参したものだから、俺は心底から落胆して小さくため息を吐いた。
これじゃあなんのために神奈川県箱根町にまで出稽古に来たんだかわからない。
「ねえねえ、東悟くんって言ったっけ? 次はおじさんとやってみるかい? だーいじょうぶ。殺しゃあしないから」
長髪の中年男がそう声をかけてくれなかったら、今すぐにでも東京都西府中市に帰って、叔父宅で空手の稽古をするところだった。
「ほら。やっぱり嬉しそうに笑うだろう? 僕の甥っ子は強さに貪欲なんだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます