8.中学二年生:喧嘩最強ランキング

「なあなあ。身長と体重、教えてくんない?」


 二年一組の教室は今日もひどくにぎやかだった。

 お調子者揃いというか、男女ともにおしゃべりが多いというか、とにかく休憩時間が来れば教室のあちこちで雑談ブースが立ち上がる。


 そんな中で俺はたった一人数学の教科書を広げ、たった今終わったばかりの授業で出された宿題に取りかかっていたのだが、男子中学生三人と女子中学生一人にいきなり机に押しかけられて「え?」と顔を上げた。


 一人はクラスメイトの山本くん。残る三人は他クラスの特別親しくもない男女だった。


 どちらかといえば素行不良に分類されるであろう山本くんが明るく言う。

「二年の喧嘩最強ランキングつくってんだよ」


 思わず聞き返した俺。

「え? なんで?」


 すると山本くんもぽかんとして聞き返してくる。

「は? 面白いからに決まってるが?」


「……へえ~~」


「んだからさぁ、身長と体重教えてくれよ。それで杵築の順位を確定させっからさぁ」

「あ。俺もそのランキングってのに入ってるんだね」

「まあな。お前デカいからさ。一応デカさは正義だからな。一応な」

「百八十三の、八十八キロぐらいじゃなかったかな」


 素直に答えてやったら一人いた女子が「うっそ。巨人じゃん」と即座に笑った。

 山本くん以外の男子二人も「デカすぎ」「体重そんなあんだ。見えねえ」と腹を抱えて笑う。


「うっらやましいなあ! 生まれ付きの才能って奴かよ!」


 山本くんが大袈裟に言ったから、俺は苦笑いで返した。

「はははっ。まあ、いつの間にかね」


 嘘だ。『いつの間にか』なんて真っ赤な嘘だ。

 俺がこの身体をつくるためにどれだけの努力を積み上げてきたか……真実を知っているのは、両親と叔父ぐらいしかいない。


 山本くんめ。簡単に才能とか言いやがって――そう毒突きたかった。


 俺がここまで育ったのはそれだけ喰って、それだけ動いて、それだけ寝てきたからだ。


 一度目の人生じゃあ、世の中の平均値とほとんど同じだった俺の身長体重……でも『今回』は、日々の食費で母さんをずっとずっと泣かしてきた。


 一度目の人生じゃあ、アニメとゲームとライトノベルにハマりにハマった俺だが、『今回』はそういうものには目もくれず、平日は五時間、休日は十時間、欠かさず空手をやっている。


 一度目の人生じゃあ、夜更かしすることも多くて大体いつも寝不足だった気もするが、『今回』は早寝早起きに徹して十時間近くの睡眠時間を確保している。


 平日――毎朝必ず五時には起きて八時まで空手。

 学校が終わり次第走って帰宅して、また空手。

 そして夜七時過ぎにはベッドに入って夢の中。


 休日――毎度必ず朝五時には起きて、昼食を挟みつつ午後三時過ぎまで空手。

 その後は短い余暇を過ごし、多少の勉強もしてから、夜七時過ぎには就寝。


 中学校に上がってからはずっとそんな感じだ。

 学生の本分たる勉強は、一度目の人生の薄い記憶と、授業中の集中力で優等生をキープしている。

 学校の休憩時間が俺の宿題タイムだ。


「ガリ勉くんにはいらねえだろうがよ、そんな身体」


 クラス内での俺の立ち位置は――帰宅部のくせに休憩時間に宿題をやってる変わり者で――いつも教科書と問題集を開いているからか、ガリ勉とからかわれることも多かった。


 空手のことを知るクラスメイトはいない。


 樹木や岩を殴りまくる部位鍛錬でズタズタになった拳を見る人が見れば空手経験者と見破られるだろうが、今のところ学校で指摘されたことはなかった。


 体育の授業で活躍しまくることもなく。

 思春期真っ只中でイキがりたい不良男子たちに目を付けられることもなく。

 俺は、野間さんと青木さんに出会う前の中学時代を、平穏無事に過ごしていた。


「それで? 俺は何位になりそう?」

「そうだなぁ。思った以上に体重があったし、八位ってことにしておいてやる」

「マジか、一桁順位くれるんだ」

「さすがにデカすぎんだお前ぇは。だけどうぬぼれんなよ杵築。七位以上はお前をボコボコにできる奴らばっかりだかんな」

「そりゃあヤバイね。ちなみに誰がいるの?」

「例えば七位は空手部の藤井。身長は百六十センチに届かねえが、市の空手大会で組手二位だ」

「藤井くんがんばってるもんねぇ。じゃあトップスリーは? 誰が最強になるの?」

「へえ、がっつくじゃねえか。聞きたいかよ?」

「ああ、実に聞きたいね」

「いいか? 三位はな……柔道部の迫田だ」

「知ってる。四組の人でしょ。あの、横に広い」

「体重七十八キロ。恵まれた肉体から繰り出される柔道技は一撃必殺だ。二位と一位にもワンチャン勝てる実力を隠し持っているかもしれねえ」

「二位と一位は柔道部より強いんだ?」

「二位は狂犬・松川」

「狂犬松川」

「あいつはやべえぞ。一回キレたら手が付けられねえ。お前も松川が体育の近藤を殴った事件知ってるだろ?」

「近藤先生が鼻血出した奴だ」

「そうだ。あのマッチョ近藤に挑むなんて、まさに狂犬。間違いなく二年で一番のイカれ野郎よ。まあ、近藤には取り押さえられちまったが……ランキング二位は間違いないだろうな」


 山本くんがしたり顔でそう言い放つと、その背後に立つ彼の友人たちも深くうなずいた。


「そしてだ。栄えある一位は、だ。ご存じ、絶対ヤンキー・下野」

「はははっ。やっぱり」

「まあ、順当な結果にはなっちまったが、こればっかはしょうがねぇわな。オレらの中学の最強番長――噂じゃあ南中みなみちゅうの三年とのタイマンにも勝ったって話だし、さすがに度胸と実戦経験が違ぇわ。水泳で鍛えた背筋から繰り出される殺人フックもあるしな」

「あっはっは! 強いらしいって噂は聞いてたけど、必殺技まであるんだねぇ」

「マジで目ぇ付けられないように気を付けろよ? いくら杵築が馬鹿デカいっつっても、下野の殺人フックを喰らったら死んじまうぜ?」

「そうだねぇ。そりゃあそうだ。うん、気を付けるよ」


 山本くんとまっすぐに目を合わせて笑う俺。

 気弱なアニメオタクゆえに一度目の人生では素行不良気味の山本くんが苦手だった俺だが、『今回』は何のストレスもなしに会話できていた。


 当然だ。


『今回』の俺は、十五年間も社会に揉まれ続けた海千山千のおっさんで。

 小学一年生に戻って以来、空手部エースの藤井くんよりも遥かに空手漬けの人生を送り。

 母親を泣かせる大食いと自由時間を犠牲にした長時間睡眠で、柔道部の迫田くんよりも大きく成長することに成功し。

 狂犬松川を超えて、死の瞬間にタイムリープを成し遂げてしまったぐらいには我が強く。

 絶対ヤンキーの下野どころか、裏格闘界の魔術師・穂村泰親に日々叩きのめされている。


 今の俺の肝の据わり方は、一度目の人生の比じゃなかった。


「ランキングは来週にもサプライズで廊下に張り出す予定だからよ。オレたちがやってるってこと、先公どもには絶対言うなよな?」

「了解。でも山本くん、八位ありがとうね。なんか自信付いたよ」

「お――おう? ……なんか、そういうふうに礼を言われると、ちと調子狂うな」


 その時不意に――そういえば――と一つ思い出した俺。


 一度目の人生でも、『ある日突然、喧嘩最強ランキング・トップ三十なる怪文書があちこちの廊下に貼り出された怪事件』が中学時代にあったはずだ。

 血気盛んな男子たちとゴシップ好きな女子たちがひどく盛り上がっていたはずだ。


 あの時は、ランキングに俺の名前がなかったから完全に蚊帳の外だったが……今回は、クラスのみんなに何か言われたりするのだろうか。凄いとか言われたりするのだろうか。


 それは、正直――少しワクワクした。

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