4.小学一年生:未来で見た技の影
「たかが一週間でだいぶ立派になったじゃないか」
小学校が終わったあとの夕方五時。叔父宅の広い板間。
Tシャツ・ハーフパンツ姿の俺は、同じくTシャツ・ハーフパンツ姿の穂村泰親のくすくす笑いを聞きながら、精一杯に拳を繰り出した。
右の足と右の拳を同時に繰り出す『右の追い突き』だ。
即座に身を引けば、ひるがえしながら右拳も引き――右半身を前に出しつつ腰を落とした後屈立ちの体勢。
顎の高さで構えた右拳で敵を牽制しつつ、左拳は腰の奥に隠す。
アーナンクーという空手の型の一場面。
穂村泰親が『足運びはこうする』『ここの立ち方は、こう』『二連突きは、こう』『追い突きは、こう』『前蹴りは、こう』と、すべて手取り足取り教えてくれた、現状唯一の型の一場面。
手刀受け。
中段内受け。
二連突き。
山受け。
鉄槌アバラ打ち。
追い突き。
逆突き
前蹴り。
肘打ち。
九種類の技を組み合わせたアーナンクー。
それはまさしく、『基本の型』と呼ぶにふさわしいシンプルなものだった。
わかりやすい突きと蹴りがあり、わかりやすい受け技があり、一連の動きと流れだけなら、一時間足らずで覚えることができた。
だから、叔父宅の鍵をもらった俺は――叔父が不在だったこの一週間、この型を何百回と繰り返してきたのだ。
小学校が終わるなり叔父宅の板間に走って、一人、型を磨いてきたのだ。
とはいえ、少しも満足できていない。一パーセントだって納得できていない。
「まあ、ちびっこにしては上出来かな」
「ねえ。またアーナンクー見せてくれる?」
「はっは。勉強熱心で上等」
俺が望めば叔父はすぐさま空手の技を見せてくれる。今だってアーナンクーを『二回』も実演してくれた。
一度目のアーナンクーは――あまりにも重厚だ。
滑るように板間を動きながらもまったく軸がブレることなく、人間とはこんなにも鋭い突き蹴りが出せるものかと、ゾッとするような型。
ただ……問題は二度目のアーナンクー。
一度目が宿していたはずの重厚さが消え失せ…………上手くは言えないが、なんだかひどくフワフワしている。
度々に身体の軸が動き、常に腰は浮いているように見えたし、なによりも地面にちゃんと立っている感じがなかった。とにもかくにも不安定だ。
まるで――
まるで、『かつては空手の達人と呼ばれながらも足腰が弱った老人が行った型』だった。空手の達人だった頃の名残は、拳と足が、突きと蹴りの瞬間にかき消えることぐらい。
もしも、だ。もしも俺が、『西暦二〇三六年の穂村泰親の突きと蹴り』を見ていなかったならば、叔父にからかわれているとさえ勘違いしただろう。
――『無手の
そう言い切った西暦二〇三六年の穂村泰親の正拳突き、手刀打ち、前蹴り。
俺の直感百パーセントの話だが、あの――力みのない自然体からごく自然に放たれた三つの技は、『二度目のアーナンクー』の延長線上にあるように感じるのだ。
不安定で力のない型を見て『下手くそ』と思うのは、俺がずぶの素人だからに違いなかった。
まずは一度目のアーナンクーがあり。
次に二度目のアーナンクーがあり。
その遠い遠い先に、あの『無手の
二回の型を終えて。
「さすがにまばたきぐらいしろ。目ぇ悪くなるぞ」
板間に突っ立ったまま硬直していた俺を笑う叔父。しかしその声はどこか嬉しそうだった。
「まったく――型の見せ甲斐がある弟子めが。この僕ですら、始めて一週間じゃあ、まだ神髄は見えてなかったぞ」
俺は、穂村泰親に稽古を付けてもらっているという幸運に口元を弛めながら、しかし叔父の一挙手一投足から目を離さない。
ただの立ち姿にも学びを得ようと必死に頭を動かしていた。
「はっは。どこかで見てきたような顔しやがって」
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