六月七日 将太、不快なことを思い出す

 桜田将太には、未だに忘れられない思い出がある。いや、思い出などと呼べるようなものではない……それは、思い出したくもない苦い記憶である。

 幼い時のことだった。将太の目の前で、友人が体の大きな少年にぶちのめされていたのだ。友人は少年に何度も殴られ蹴飛ばされ、鼻血を出しながら泣きじゃくっていた。

 だが、将太はじっと立ち尽くしていた。彼は加勢することも止めることも出来ず、その場でただ震えていたのだ。




 きっかけは、本当に些細なことだった。

 体の大きな隣町のガキ大将が、将太たちの遊んでいる公園に乱入してきたのである。名前は知らないが、その姿は以前にも見たことがあった。


「お前ら、一体どこの学校だよ。ここは俺たちが使う。お前らは邪魔だから、さっさと失せろ」


 そう言って、因縁を付けてきたガキ大将。すると友人の山岡が、ガキ大将に抗議したのだ。山岡は正義感が強く、理不尽な仕打ちを黙って見過ごせないタイプの少年であった。

 両者は言い合いを始め、やがて取っ組み合いの喧嘩へと発展する。

 しかし、ガキ大将の体格は山岡を遥かに上回っていた。山岡はあっという間に叩きのめされ、地面に這いつくばる。

 普通なら、そこで終わりだろう。だが、ガキ大将は止まらなかった。山岡の髪の毛を掴み、地面に顔を擦りつける。勝負は既についているはずだ……にもかかわらず、ガキ大将の一方的な暴力は止まらない。馬乗りになって殴りつけ、口の中に砂を詰め込み、顔面を地面に叩きつける──

 山岡は鼻血を流しながら泣きじゃくり、何度も許しを乞う。しかし、ガキ大将はなおも痛めつける。山岡を立ち上がらせては殴り、さらに蹴りつける。その暴力は、子供の喧嘩のレベルではない。完全に、常軌を逸していた……。

 その間、将太はその場に立ち尽くしていた。恐怖のあまり、体が動かなかったのだ。友だちである山岡が度を超した暴力を振るわれているのに、何も出来なかった。

 幸いなことに、近くを通りかかった数人の成人男性が、力ずくで止めに入ってくれたのだ。ガキ大将はこっぴどく叱られ、ふてくされた表情で引き上げていく。一方、山岡は足を引きずりながら、将太たちのことを見ようともせずに帰っていった。




 翌日、山岡は学校に来なかった。三日後にほ登校したが……彼は完全に変わってしまった。教室の中で、誰とも口を利かずに沈みこんでいるようになったのだ。それまでは、明るく正義感の強い少年だった山岡だが、真逆のタイプへと変貌した。凄まじい暴力が、少年の心を破壊してしまったのか。あるいは物理的に、脳のどこかを傷つけてしまったのかもしれない。

 山岡は小学校を休みがちになり、中学校に進学すると同時に登校しなくなってしまったのだ。

 その後、この少年の姿を見た者はいない。どこかの病院の閉鎖病棟に入院したという噂を聞いたこともあるが、定かではない。将太は一度だけ、山岡を訪ねようと彼の家の前まで行ったものの……会う勇気が出せず、逃げるようにその場を離れた。

 しかし将太は、山岡のことを忘れられなかった。いや、あの日のことを忘れられなかったのだ。

 山岡は、泣きながら将太たちの方を見ていた。助けを求める目を、将太に向けていたのだ。それなのに、何も出来なかった。ガキ大将と闘うことも、ガキ大将の暴力を止めることも出来なかった。常軌を逸した暴力の前に、ただただ怯えて立ち尽くすだけであった。

 そんな自分を、将太は未だに許せないでいる。山岡が理不尽な暴力で傷つけられたことよりも、その場にいて何も出来なかった自分のことが許せない。名前も知らぬガキ大将に怯え、友の危機よりも自身の身の安全を優先してしまった……その事実だけは、承服することが出来ないのだ。

 それ以来、将太はひたすら強さを求めた。体を鍛え抜き、武術や格闘技の本を読み漁り、あちこちで喧嘩を繰り返す。将太は勝つためなら、何でもやった。場合によっては、周りの物を武器として使うこともためらわない。その、異常なまでの凶暴さゆえ……将太は周囲から恐れられる存在へと変貌していった。

 成長してからは、近所の空手道場に入門する。もともと運動神経はいい方だったし、力も同級生の中では強い方だった。将太はめきめきと上達していく。

 普通は格闘技を続けていれば、町のケンカなどには興味を示さなくなるものなのだ。しかし、将太の場合は違っていた。彼のこだわり、それは本物の戦い……いや、殺し合いである。たとえ、何者が相手であろうとも戦える強さを、将太は求めていたのだ。

 結果、度重なる喧嘩や暴力沙汰により、将太は空手道場を破門される。その後、総合格闘技の道へと進んでいった。

 そんな将太が、片目の視力を失い路上での格闘に身を投じるようになったのは……ある意味では、必然なのかもしれなかった。




 ふと、将太は我に返る。気がついてみると、既に夕方になっている。どうやら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 久しぶりに、嫌な夢を見た。昔の思い出したくもない、それでいて忘れることの出来ない記憶……将太は不快な気分になってきた。

 思えば、自分が路上で不良やチンピラを狩っているのも、その記憶が理由の一つなのだろう。理不尽な暴力を振るう輩を、暴力で叩きのめす……ひょっとしたら、あの時の復讐をしているのかもしれない。

 何も出来なかった、自分への復讐を──


 ぼんやりした頭で、そんな事を考えていたが……ふと、別の考えが浮かんだ。


 ひょっとしたら今、また別の手紙が入っているのではないだろうか?


 一昨日、そして昨日と二日続けて、ポストに手紙が入っていた。手紙といっても、ノートの切れ端のようなものだが。

 しかし、そこに書かれている内容は無視できないものだった。もしかしたら、手紙の続きが入っているかもしれない。

 将太は立ち上がり、玄関へと歩いて行く。

 玄関を出た将太は、まず周囲を見回してみる。誰も見ていないことを確かめると、やや緊張した面持ちでポストの中を覗く。

 すると、四つに折られた紙切れが入っていた。将太はその紙切れをポケットに入れると、素早く家の中に入る。


 そんな将太の姿を、遠くからじっと見つめている者がいた。






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