六月四日 隆司、バイトの面接を受ける
「では、採用の場合は電話で連絡しますので……」
「はい、わかりました」
そう言って、佐藤隆司は席を立った。向かい側に座っているスーツ姿の男に向かい、ペコリと頭を下げる。退室する時にもう一度頭を下げ、部屋を出て行った。
建物を出て、隆司は立ち止まった。空を見上げ、ほっと一息つく。正直、ひどく疲れた気がする……アルバイトの面接など、何年ぶりだろうか。最後にアルバイトをしたのは学生の時だから、少なくとも十年近く前になるだろう。その後、大学を卒業し、何とか就職は出来た。
しかし、今はただのニートでしかない。三十を過ぎた前科持ちのニートなど、もはや笑う気にもなれないような状態である。
その上、昨日はヤクザにスカウトされてしまった。いや、スカウトというほどのものではない。ただ、顔を合わせて食事をしただけだが。
しかし、このままでは奴らと同じ道を歩むことになる気がする。前科者にとって、お決まりのコース……刑務所で知り合った悪い仲間とつるみ、本人も気がつかないうちに悪に染まっていく。刑務所の中で、嫌というほど聞かされてきた話だ。
最近、自分もそのお決まりのコースを歩んでしまいそうな気がしてきた。結局、人間は長いこと暇でいると、確実にロクなことをしない。ただでさえ前科者はマイナスのスタートなのだから……この上、余計な荷物を背負いたくはない。
アルバイトでも構わない。今のうちに、まともな仕事を経験しておくのだ。さらに職場での身の処し方なども……そうでないと、就職した際、まともな会話も出来ないかもしれない。
今日、面接をした企業は運送会社である。募集していた業務は、倉庫内の荷物整理だ。よほどのことがない限り、応募した人間のほとんどを採用するとの噂を聞いていた。しばらくはアルバイト生活をしながら、就職先を探していこう。
刑務所の中では、決められた時間内で刑務官から配られる新聞を読むことが出来る。また、本や雑誌を購入することも可能だ。さらに、決められた時間内であればテレビを観ることも出来た。
つまり、本当に最低限の「シャバ」の情報は刑務所内でも入ってくる。しかし、あくまでも上っ面の情報だけだ。そこには、どうしても限界がある。外の世界で、情報を肌身で感じていた者とでは雲泥の差があるのだ。
これから隆司が就職したとして、彼が刑務所に入っていた時期に流行っていた物のことなどが話題に上がったりした場合、ボロが出ないよう上手く誤魔化さなくてはならない。
ましてや隆司の場合、七年間ものブランクがある。七年の刑務所暮らしは、今のところ何の役にも立ってくれていない。この社会でまともに生きるにあたっては、マイナスの知識ばかりが身についてしまう。
隆司は、会社の周辺をしばらく歩いてみた。人通りの多いオフィス街だが、今は何とか普通に歩けている。前のように、おかしな気分になったりはしていない。どうやら、普通の生活にやっと馴染んできたようだ。
隆司は、さらに歩いて行く。自分の過去を知っている者は、ここには居ない。自分は前科者ではある。だが、刑務所で罪は償ったのだ。
自分はもっと、堂々としていいはずである。
隆司の起こした事件は、テレビのニュースで報道された。ほんの数行ではあったが、新聞にも載った。もちろん、世間から見れば大したニュースではない。だが、それでも心の何処かに引っ掛かるものを感じている。
ひょっとしたら、目の前を通り過ぎて行く人々の中には、自分の起こした事件を知っている者がいるのではないだろうか……という不安があった。
しかし、もう何も気にしなくていい。自分は、人生をやり直すのだ。
歩くことにも飽きた隆司は、家に帰るため駅に入った。電車に乗るという簡単な行動も、最近になって、やっと慣れてきた気がする。刑務所を出た直後は、電車に乗るのも一苦労であった。周りの人間は皆、ICカードを使って自動改札を通っているのに、自分は切符を買って乗っている。そんな些細なことが、ひどく気になったりした。もっとも、今はさほど気にかからなくなってはいる。これも、慣れというものなのだろう。
電車の中で、吊革に掴まり外の風景を見ている隆司。そんな彼の耳に、若い女の話し声が聞こえてきた。
「ねえ、こいつ人殺しだよね」
「ああ、そうだよ」
その時、隆司の体はビクリと反応した。恐る恐る、そちらを見る。だが、当の女たちは自分のことなど見ていない。二人は、スマホの画面をじっと見つめている。制服を着ている姿から察するに、女子高生であろうか。
隆司は思わず苦笑する。自分は考え過ぎだ。テレビのニュースを見れば、いつも誰かしら人が殺されている。人殺しという言葉が出たからといって、自分に結びつける必要などない。
そんな中、女子高生の会話は続いていた。
「そいつ、ネクタイで首絞めて殺したんでしょ?」
「そうそう。そんなに首絞めたきゃ、自分の首絞めてりゃいいのに」
「本当にクズだよね。こんな奴、さっさと死刑にしちまえばいいんだよ」
その話を聞き、隆司は思い出した。真幌市の周辺で、若い女が三人、ネクタイで絞殺されたのだ。それも数日の間に……。
そして一昨日か昨日、容疑者と思われる人間が警察で事情聴取をされているらしい。事情聴取というが、要は取り調べだろう。
マスコミは名前を伏せている。しかし、報道は続いていた。となると、後は時間の問題だろう。警察は起訴できるだけの証拠を集めた後、検事のもとに送り出すつもりなのだ。起訴されれば、本名は報道されることになるだろう。
もっとも、隆司の知ったことではない。まずは、自身の生活を安定させなくてはならないのだ。でないと、犯罪者の仲間入りをすることになる。
そんな隆司の思いをよそに、少女たちの会話は続いていた。
「いっそさ、みんな死刑にしちゃえばいいんだよ。人を殺した奴は死刑。クスリやった奴も死刑。悪いことした奴は、みんな死刑にしちゃえば世の中は良くなるよ」
「本当だよね。悪い奴は、みんな死刑でいいよ」
「そうすれば簡単なのにね。裁判なんか、しなくてもいいしさ」
もちろん隆司も、少女たちに他意は無いのは理解している。これはあくまでも、他愛ない仲間うちでの雑談なのだ。
にもかかわらず、少女たちの無邪気な言葉は、隆司の胸のうちにしばらく残っていた。
突き刺さったトゲのように──
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