校舎う/ⅤSプールから伸びる腕

「びひぇやあああああッッッ!! 助けて班長ぉぉぉぉぉッッッ!!!」


 ったく、ジタバタジタバタと暴れやがって。

 引っ張ってあげなきゃいけないボクの身にもなってほしい。

 そうやって暴れられると、その振動がボクの腕にまで伝わって来てしまう。

 これで手を放してしまったら本当に笑えない。


 ボクと辰真は現在、不自然なほどに薄ぼんやりとした月明かりが照らすプールに居た。

 長さは25メートル、幅は1から5の番号の振られたレーンが五つ。

 小学校にしてはなかなかのサイズ感を誇るこのプールからは強烈な塩素の匂いが漂っており、プールサイドにまでその悪臭がこびり付いている。

 全体的に妙に湿っており、油断すれば足を滑らせて水の中へと落下してしまいそうだ。

 これほど暗い時間帯ということもあり、きっと水分が渇くほどに暖かくないからだろう。


「やだぁぁぁぁぁぁッッッ!! 死にたくないっすよおおぉぉぉぉッッッ!!!」


 ……そこだけ注目すれば、夜の情緒に溢れた雰囲気のある空間だろう。

 学校に到着した際に辰真が話していた「リミナルスペース」にピッタリの光景だ。

 しかし、ああいうのは人気が無かったり、薄暗かったり、なんとなく見ているだけで不安になるような外観を持っているだけで、実際に危害を与えて来るような要因が潜んでいるわけではない。


 この“お化けプール”とは違う。

 これは今まさに、一人の人間を溺死させようとしている。

 不安を与えるどころか、実害を及ぼそうと蠢いている。


「ああああああああああッッッ!! 身体が千切れるよぉぉぉぉぉぉッッッ!!」

「–––––ぅるせぇなぁッッッ!! 男なら踏ん張れアホンダラぁッッッ!!」



 プールから伸びて来たのは、触手だった。

 いわゆる、ミミズなんかに似た外見の、血肉みたいな色をしている触手ではない。

 細長くとも半透明で、淡い光を反射していて、先端は五つに別れている。

 まるで掌と腕のようだ。実際、“お化けプール”にとっての触腕の役割を担っているのだろう。


 プールサイドに飛ばされた直後、水面からは大量の触腕が生えて、その掌をボクたち二人に向けていた。

 その異様な光景に目を奪われていたのがいけなかった。

 プールの縁からこっそりと伸ばされていた数本の触腕は、ボクの視界が中空へと向けられていた隙を突き、近場にあった辰真の右足首へと巻き付いたのだ。

 足を引っ張られ、辰真は勢いよくプールの中へと引きずり込まれる––––––その前にどうにか異変に気付いたボクは、彼の両手を握って反対方向へと引っ張っているわけである。



「んだぁぁぁ! クソ……マジで綱引きみたいになっちまったぜ……!」

「なんで僕が綱やんなきゃいけないんすかぁぁッッッ!!」


 ちなみにだが、ボクはそこそこ鍛えている。筋持久力がある方だと自負している。

 腕中心のテクニックを重視した斬鬼、スピードに全振りしている辰真、完全にサポート担当の治歳……そんな釜島三兄弟と比べれば、漫然なく全身を鍛えているはずだ。

 怪異となるより前からトレーニングをしていた元アスリートのランとは多分どっこいだろう。なんなら休日は一緒にランニングするくらいだ。


 だというのに、なかなか煩い綱を引っ張り上げられない。

 確かに“お化けプール”は複数本の触腕をコイツの足首へと巻き付けているし、十分な量の水さえあれば何本でも触腕の数を増やせるのだろう。


 それでも、あれは水だ。

 軟水とか硬水とか区別は存在するが、本当に鋼のように硬い水があるわけではない。

 これほどまでに引っ張る力が強いだなんて想定外だ。

 そもそも、液体だったら人体に巻き付いた状態を維持できているはずがない。



 そういえば、尾上班が“八百比丘尼”とやり合ったという報告を受けたな。

 なんでも相手は、空気中の水分を増幅させることで街中に池を作り出したらしい。

 そこで鮎川たちが案じた対処法というのが、「竹永八恵の脳筋パンチで、池の水を吹き飛ばす」という手段だったそうだ。

 …………雑すぎるな。


「このプールの担当ぉぉ、絶対ぃぃ……竹永の方が良かったよなぁ……!!」

「はいいいッッッ!! 僕もそう思いますぅぅぅぅぅッッッ!!」


 アイツだったら触腕なんざ気にせず、脳筋パンチでプールの水を全部吹き飛ばしていただろうに。

 鮎川を“二宮金次郎像”から守るために、我先にと飛び出しやがった。

 御淑やかな常識人かと思っていたのだが、あの女も大概色ボケしてやがる。

 尾上も大変だな。



「班長ぉッッッ!! 竹永さんみたいに、ワンパンで水吹き飛ばしたりできませんかぁぁぁぁッッッ!!」

はしても吹き飛ばすのは無理だぁぁぁ! そういうのはお前の担当だろ!!」

「––––––あ、そっか! おんどりゃああああッッッ!!」


 やっと喚き散らす以外にやれることを思い出したらしい。

 辰真は腰を軸にして両脚を思い切り動かし、風車の羽のような要領で振り回す。

 “鎌鼬”の風担当である釜島辰真は、自身の下半身を気流の渦へと変質化させることが可能であり、かなりの速度と自由な機動での挙動を行うことが出来る。


 ボクが両腕を掴んで固定することで、本来なら移動に使うべきの脚部を扇風機のように風を撒き散らす手段として使用しているのだ。

 咄嗟のアイデアにしては上出来だし、それに即座に気付ける辰真もなかなか頭が良い。


 その分、ボクに伝わって来る振動はかなり大きい。

 だが、お陰様で彼にまとわりついていた触腕を晴らすことに成功した。

 水の塊が飛び散って、プールの内外へと帰っていく。



「……はひぃぃ! 怖かったぁぁ……!」


 やっと地に足を付けられた辰真は、安堵の息を吐く。

 だが、依然として“お化けプール”は健在だ。

 綱引きの綱から解放されたとしても、再び引きずり込まれてしまえば元の木阿弥になってしまう。

 二人が縛られていない間に、手を打たないといけない。


「ったく、どうしよっかなぁ……」

「––––––––––––あ! ねぇ班長、ことは出来るんですよね!?」

「……あぁ、出来るけど」


 割る、というのはおそらく、先ほどの会話のことだろう。

 鮎川はまだ無理らしいが、ボクの剣技ならば水の流れを一時的に断ち切れる。

 これはボク自身の筋力というより、特異な刀を所持していることが理由だ。



 巫術係によって開発された名刀、“雨羽々斬あまのはばきり”。

 日本神話において“須佐之男命すさのおのみこと”が“八岐大蛇ヤマタノオロチ”を退治した際に振るったとされる神剣を、巫術係の職員が模倣して作ったレプリカだ。

 名前の通り、雨の一粒も、気流に揉まれて踊る羽すらも、一刀の下に斬り捨てられる大いなる刀剣である。


 元より刀一本で怪異と渡り合っていたボクはその試験運用を頼まれ、十分なデータを採り終わった後も使用させてもらっているのだ。

 この刀とボクの技術があれば、あの触腕の断絶も、プールの水を分断させ空気の通り道を作ることだって出来る。


「……でも、それがどうしたよ?」

「その技をプール全体にすればいいんっすよ! プールの中の水を全部無くすんです!」


 プール全体だと?

 いや、確かに理論上はプールの水を奪うことは可能だろうけど、それは実行できたらの話だ。

 プールを割るのは頭を空っぽにして出来ることではなく、意識を研ぎ澄まし、腕の使い方に対しても感覚を集中させなくてはならない。

 何回も連続で発動できるようなものではないし、刀を横に振っても一発でプールの水を晴らすことは不可能だ。


「お前よぉ、テキトー言ってるだけじゃ––––––」

「いや、出来ます! さっきの扇風機作戦ですよ!」



 扇風機作戦……辰真の風を用いた、移動以外の使用方法。

 だが、気流の影響を与えられるのは彼の周辺に限られているし、それではボクの刀よりも切り裂ける範囲が非常に狭い。


 しかし辰真が伝えたいのはそういうことではないのだろう。

 下半身を風へと変質化させるスキルと、水の流れを断ち切れる刀を、組み合わせる必要があるということだ。

 例えば、辰真の脚にボクを固定し、その状態で風を発生させ、ボクの身体を高速で振り回すのはどうだろうか?


 扇風機の刃の役割を、ボクの身体と“雨羽々斬あまのはばきり”で担うのだ。



「……やっぱ勘が良いよな、お前」

「もっと褒めて下さい! 褒められて伸びるタイプなんで!」


 あれだけ泣き喚いていたくせに、途端に元気になりやがった。

 そう言われると一気に褒めたくなくなってしまうが、せめて飯くらい奢ってやろうかな。

 そのためにも、この湿った空間を切り抜けなければならない。



「やってやるか、扇風機作戦……!」


 綱引きなんて子供のお遊び、忙しい大人がしている暇なんて無い。

 無口な“お化けプール”にはご退場していただこう。

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