校舎う/ⅤS美術室のモナ・リザ

「……自分を磨くのってね、すごく大事だと思うのよね?」

「あ、はい……」


 めっちゃ話しかけてくるな、この人。

 いや、人とは言えない。彼女は絵画でありながら意識を有しており、裏からは大量の腕が生えている。

 額縁の内側には微笑を絶やさない“モナ・リザ”が居座っており、フワフワと浮遊まま、アタシへと一方的に話しかけながら器用に筆を走らせている。


 そう。実はというと、アタシと彼女は対決の最中にある。

 この空間に備え付けられていた椅子に腰かけ、目の前のキャンバスへと鉛筆を滑らせているのだ。

 被写体は、正面に浮遊する異業の存在。



「……でも、どうして自分磨きなのに、お互いを描くんですか?」

「鏡だけじゃ、自分の都合の良いように見えてしまうでしょ? 他人の視点だって大事だとは思わない?」


 美術室らしき場所に飛ばされ、喋る“モナ・リザ”から一方的に提示された勝負の内容は、お互いの写生だった。

 なんでも、恋する乙女同士が身の上を語り合うにはこの形式が最適らしい。

 それに、この結界から脱出するためにも、この怪異をどうにかする必要もあるだろう。


 正直なところ、スキルをしようしてサクッと切り刻んだ方が早いようにも感じる。

 だが穏やかな雰囲気の彼女が相手では、アタシに対する侮蔑の発言はどうにも引き出せそうにない。

 恒くん以外の言葉では《クリムゾンフォーム》は発現できないし、八方塞がりだ。

 何にせよ今のアタシに選択権は無い。

 ただ黙々と、目の前のご婦人の絵を描くだけだ。



「こういう時間も、自分磨きの一環なのよ? そうでしょ?」


 そういえばこの女性は、どうしてずっと否定形で話しかけてくるのだろうか。

 求めてもいない持論を好き勝手に口走ってはいるが、それにしては自信が足りていないように感じる。

 大人びた外見を有してはいるが、その実、見た目にそぐわない精神だったりするのだろうか。


 ぼんやりとそんな事を考えつつ、アタシは再びキャンバスへと意識を向け直すのだった。




  ◆◆◆




 ゆっくりと時間が経過する。

 彼女の軽口も徐々に減っていき、鉛が擦られる微かな音だけが鳴り続けている。

 アタシはふと、頭に浮かんだ質問を投げかけてみることにした。



「……ねぇ、あなたの好きな人って、どんな人?」

「何よ突然……? まぁ、そんなに聴きたいなら教えてあげてもいいのよ?」


 そこまでは言っていないよ。

 ただ、恒くんだったら怪異の話に耳を傾けて、その根源から救ってあげようとするんだろうな~と思っただけだ。

 彼女が怪異になった原因を知れれば、この状況を打開できる術を見つけられるかもしれない。


 少し考えたのか、数秒の間を置いて彼女は言葉を紡ぎ始めた。


「イケメンで、足が速くて、みんなが好きだからかしらね?」


 いやいや、自分の意見なんだから自信持ってよ。

 尋ねられたところでアタシには何も言ってあげられない。

 しかし顔の良さは別にしても、足の速さがキッカケで好きになるとか小学生みたいだ。

 それに「みんなが好きだから」という理由も、嫉妬やら独占欲やらとは遠く離れた感情のように思う。

 それほど寛容な女性なのか、あるいはそんな感覚すら知らないお子様なのか。


「足が速いと、そんなにカッコよく見える?」

「……まぁ、周りのみんなが好きって言ってるし、私も好きかなって?」


 なんだか曖昧な返事だ。

 周囲の意見に流されているというべきか、自前の恋愛学を語る割には熱意が感じられない。

 ますます子供の恋愛ごっこみたいだ。

 そんなものとアタシの想いを同列には語って欲しくないんだけどなぁ。



「逆に、そっちの想い人はどんな人? 足速い?」

「……いや、足の速さは平均的だと思う」


 今度はアタシが話してあげるターンのようだ。

 やっぱり運動神経の良さが判断基準のようだ。ますます子供っぽい。


 しかし、恒くんの好きなところか……。

 アタシは彼のどんな部分に惹かれたのか、そういえば今まで深く考えたことすらなかった。

 出会い方があんな感じだったし、アタシのこの感情には“口裂け女”としての習性が大きく絡んでしまっているようにも思える。

 怪異へと成れ果てた状態で、彼へ純粋な愛情を向けられているかの自信は、正直言ってそれほど無い。

 だけど––––––––––––


「……隣に居てくれること、かな」

「はい?」

「アタシがどんなに不純でも、今よりも恐ろしいバケモノになったとしても、ずっと隣に居てくれるんだろうな~って」


 口に出して、我ながら凄くしっくりと来た。

 アタシが彼に惚れたのは、あの言葉を伝えられたからだ。


『少なくとも僕は君の痛みを受け止められるし、何があっても一人にさせないから』


 知り合ったその時に、彼は約束してくれたんだ。

 それが怪異と関わった人間を安心させるための言葉だったとしても、“口裂け女”を抑え込むために投げかけられた言葉だとしても、それはアタシにとっての御守り代わりになってくれている。

 彼はアタシを、一人にさせてはくれないのだ。

 そして、それをアタシは喜んでいる。



「……なにニヤニヤしてんのよ?」

「お子様にはわからない、大人の淡い恋愛ってやつよ」


 まさか夜中の美術室で“モナ・リザ”相手に惚気話を聞かせるなんて思いもよらなかったけど、お陰で少し恐怖心が薄れた。

 やっぱり、恒くんと会うためにもここから脱出しないと。


「ちょっと、お子様だなんて言わないで欲しいのだけど?」

「そうやってムキになるところがお子様っぽい、って言ってんの」



 …………ムキになる?

 そうだ、良いアイデアを思い付いた。

 言動やら恋愛の動機やらを鑑みて、仮にこの“モナ・リザ”が見た目に反した幼稚な性格だと仮定してみよう。

 そうすると、微笑を絶やさない表情すら、自分の浅い部分を見せてしまわないよう必死に取り繕う様にしか見えなくなる。


 ならば、煽ってみよう。

 この大人ぶった少女の化けの皮を、剥がしてみようじゃないか。



「それで、完成したの? こっちは描き終えたけど?」

「……うん。アタシも完成したよ」


 我ながら上手に描けたとは思っていたけど、仕方ないか。

 ちょこっとだけ加筆し、“モナ・リザ”ちゃんへと視線を向ける。


「ご覧なさい? これが貴女の姿よ?」


 無数の手でキャンパスがひっくり返され、鉛筆で刻まれたモノクロの絵が現れる。

 スーツらしき黒い服を着た、肩まで髪っぽいものが伸びた、女性らしき人物画だ。

 「らしき」とか「っぽい」といった表現を多用したのは、そうとしか言い表すことが出来なかったからだ。


 そこにあるのは、まさしく子供の描いた絵だった。

 線に勢いはあっても、線同士のつながりは粗雑。

 目や鼻やネクタイといったパーツはズレた位置にあり、人間であることは判別できても不格好にしか見えない有り様である。


「どう? 素晴らしい出来でしょう?」

「……あ、うん。ありがとね……」


 自然とタメ口になってしまう。

 彼女の自信満々な様子を見るに、悪意があってこんな風に描いたわけではなく、こうとしか描写することが出来ないのだろう。

 今からアタシがすることを考えると、ちょっとだけ申し訳なくなってしまう。


「じゃあ、そっちのも見せてちょうだい?」

「…………はい、どうぞ」


 せかされて、気が乗らないながらもキャンパスを返す。

 アタシが描いたこの絵が、これからの作戦の命運を握るといっても過言ではない。

 このアイデアが通用すると良いんだけど……。



「………………ん?」


 アタシの絵をまじまじと見て、彼女は目を丸くした。

 そして、無意識かもしれないが、無数の手がわきわきと動き始めた。

 ざわめいている原因は、おそらく怒りだ。


「……こ、これが……私だって言うの?」


 彼女の平坦な瞳に映るのは、アタシが描いた“モナ・リザ”の姿。

 しかし、後半まで丁寧に描かれていたはずのそれは、直前で異様な加筆を受けてしまっている。

 例を挙げるならば……過剰に濃い眉毛や、頬から生えた猫みたいな毛、あとはテキトーに付け足した鼻毛だろうか。

 そこそこ綺麗に線を引いていたこともあってか、それら不躾なパーツとのギャップはすさまじい。

 彼女の不格好な絵が技術不足によるものだとすれば、アタシの絵は意図的に醜く加工したものにあたる。


「……む、む、むきィィィィィィィィィィィィッッッ!!!」


 まぁ、そりゃ怒るよね。

 しかし、この絵は意図的に怒らせようとするための産物だ。

 彼女には申し訳ないけれど、アタシにだってやるべき事がある。

 子供の恋バナや癇癪に構ってあげられる暇なんてない。


「ふっ、ふざけてるのかしらぁ!? 私がこんなブサイクなわけないでしょお!?」

「ありのままを描け、って言ったのはあなたでしょ?」

「むっきィィィィィィィィィィィィィッッッッッッ!!!」



 怒り心頭に走る彼女は、背面から蠢く大量の腕を伸ばし始める。

 荒れ狂い、触手のように暴れ、アタシの方へと向けた。


「ふざけてるのよねぇ? そういうのチクチク言葉っていうのよぉぉ!?」

「ブサイクに対してブサイクって言っても嘘じゃないし。それに、あなたよりアタシの方がでしょ?」

「はぁぁぁぁ!? アンタの方がでしょうがあああああッッッ!!」



 怒号と共に、無数の掌が襲い掛かる。

 平手と握り拳が入り混じるその光景は、アタシに対する明確な敵意を惜しげもなく叩きつける意志を感じられた。

 豪雨となった手は、そのままキャンパスと椅子を貫き、置かれていた画材や棚を粉々にして埃を噴かせた。

 瓦礫がガラガラと音を立てて零れ、白とも灰色ともつかない煙が舞い上がっていく。


 そしてその中に、アタシは、いない。




「––––––アタシのこと、ブサイクって、言ったわね?」




 子供らしい浅い沸点なら、吹っ掛けさえすれば乗ってくれると信じていた。

 自分の外見の美しさに自信がある人間は、それを貶されると途端に感情を揺らしてしまう。

 アタシもそうだったから、彼女の気持ちは痛いほどよくわかる。


 でも、それだけじゃダメだ。

 外見を見つめても、磨き続けても、それだけじゃダメだと知ったから。

 両の手に得物を握り、真紅の髪を揺らしながら、アタシは彼女の顔を見つめる。

 恋する乙女として、人生の先輩として、大事なことを教えてあげよう。



「《鮮血化粧ドレスアップ:スカーレットフォーム》ッ!!」


 顔ばかりにこだわっているようじゃ、狙った男を虜に出来ないわよ?

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