偽物る/頭蓋を喰らう紛い物

 毎年のように行われている「くだん様のお目見え」というイベントは、現在のくだん村における一大イベントだ。

 2万円という破格の値段のチケットを購入した人間だけが、牛舎での出産シーンを観ることができる。


 そして、このイベントには様々なルールが敷かれている。


 その一部に「くだん様のお姿を、撮影してはならない」というものがあり、カメラなどの撮影機器はもちろん、携帯電話の持ち込みすらも禁止されている。

 イベントを経営している村民たちが異常なまでの警戒態勢を敷いているらしく、鞄の中まで念入りに調べられたり、イベント中も動向を常に監視され続けられるようだ。


 そんな状態のせいか、直近5年分の“件”の姿に関するデータは一つも存在していない。

 唯一の映像データも、12年前に突如現れた“件”を撮影したものだけ。

 これまで現れたとされる全個体が、同一の存在かどうかも判然としないのだ。


 目撃した観光客はおおよそ好意的な感想を抱いており、ちゃんと牛のようなツノはあったらしいし、日本人と同じ言語で予言を残してもいたらしい。

 ただ、一部で「不気味だった」とか「思っていたよりも怖かった」といったネガティブな意見が出ているのも事実だ。

 撮影が非常に困難な以上、せめてこの目で確認はしておきたいのだが……。



「……尾上さん、なんか騒がしいっすよ」

「あん?」


 釜島次男の声でようやく現実へ引き戻される。

 牛舎の方角から、何やら大人数の騒ぎ声が聞こえて来る。

 見れば、ちょっとした人混みができているようだ。



「––––––から……たえら……て! みん……どう……って……だろ!!」



 多分だが、若い男性の声だ。

 ただ、距離があるせいか語気の強まった部分しか明確に聞こえてはこない。

 単なるトラブルならいいのだが、俺の勘は嫌な予感を告げている。


「行くぞォ」

「うっす」


 再び自分からリールを引っ張る形で、俺は釜島次男と共に人混みへと近づいた。






「––––––おい、落ち着け勇一!」

「落ち着けられるかって! 俺はもう限界なんだよ!!」


 村民たちに抑え込まれ、がむしゃらに暴れている男性がいる。

 年齢は10代後半ぐらいだろうか、服装を見る限りでは農家の息子といった風袋だ。

 周囲には面白がっている様子の観光客が群がり、スマホをカメラを彼に向けている。

 その目前で駐在が意識を逸らすべく奮闘しているようだが、きっと無意味だろう。


「勇一! 人前だぞ!」

「うるせぇ!! もう我慢の限界だ……全部喋ってやる!」


 あの若者の名前は「勇一」というのか。

 互いに遠慮なしに怒鳴り合っている様子を見るに、彼を羽交い絞めにしているのは実の父親だろう。

 単純に反抗期を原因とした口喧嘩ならいいのだが、どうやらそのような雰囲気ではない。


 観光客を遠ざけようとしている駐在に声をかけようとして、どもる。

 忘れていた。俺はオオカミだったな。

 釜島次男に視線を向けると、俺の意図を察して動いてくれた。



「本庁の警官です。これはいったい何の騒ぎですか?」

「…………へ、ほ、本庁っ!? あ、えっと、その……た、単なる親子喧嘩ですから!」

「んな訳ねぇって言ってんだろォがよォ……」

「……えっと、今の声はどこから……?」

「あ、ああああっ! いや、何でもないですから! とにかく情報を!」


 釜島次男がめっちゃ睨んでくる。悪かったって。

 しかし、単なる親子喧嘩を往来のど真ん中でするわけが無いだろうに。

 どうにも、あの勇一という青年に何らかの意図があるように思える。


 事情聴取は釜島次男に任せ、俺は渦中にもう少し近づこう。

 こういう時、人間の膝元までしか無いこの体躯は非常に便利だ。人混みをすいすいっと避け、勇一の声が明瞭に聞こえる場所へと赴く。



「み、みんな聴いてくれ! この村のくだん様は、守り神なんかじゃない!!」


 観衆のスマホに向け、これ見よがしに声を荒げる。

 それは、この村を救った救世主に対する暴言ともとれる言葉だった。

 当然、周囲の村民からは非難が飛ぶ。


「……おい勇一! くだん様になんてことを言ってるんだ!!」

「そ、そうよ! 明日がくだん様のお目見えだっていうのに……!」

「罰当たりだぞ! 早く引っ込めろ!!」



 だが、俺は彼らの表情に違和感を覚えた。

 勇一なる青年に対する怒りというより、周囲の観衆に彼の言葉を聴かれまいとしているようだ。

 「くだん様は守り神なんかじゃない」という発言には、形状し難い強迫観念じみたものが伺える。


 やっぱり、どうにもきな臭い。

 俺たちの知る“件”ならば、そんなことを言われることはない。

 一体この村には、どんな謎が隠されているんだか。



「あれはバケモノなんだ!! この村は呪われてるんだよ!!」




  ◆◆◆




 結局、勇一青年は村民たちに諫められ、山の方角へと連行されていった。

 追おうかとも考えたが……無駄にデカいオオカミが一匹寄っても、煙たがられるだけで終わるだろう。


 釜島次男の方は結局、駐在にはぐらかされて終わりだったようだ。

 わかったこととしては、「森下勇一もりしたゆういち」という名前のみ。

 やはりこの村で生まれたようで、父親の畑を継ごうとしていたらしい。


 だが、くだん様なる存在のお目見えを翌日に控え、突然に観光客の前で声を荒げ始めたとのこと。

 そのお陰で、彼の主張や行動はネットを介して晒されるだろう。


 現状、あえて沢山の部外者の前でそんな凶行に至った理由も、彼が得体の知れない強迫観念を感じていたように見えたことも気掛かりだ。

 村民たちは、そんな村民の痴態を世間に見られることを忌避したのか、あるいは“件”に関して秘匿したいことがあるのか……。



 どちらにしても、森下勇一に話を聴かなければならない。

 彼ならば、この村が隠している秘密を教えてくれるかもしれない。



 俺と釜島次男は聞き込みで森下の家を調べ、彼に直接話を伺うことにした。

 既に日は傾き、観光客の大半が旅館へと戻っていた。

 しかし、駐在に「本庁の警官である」と釜島次男が告げた以上、この村の中で長時間油を売るのは得策とは言えない。


 出来ることは早めにしておくべきだろう。

 鮎川にも音切にも日頃から言ってることだ。俺が実践できなきゃ話にならない。

 空が暗くなる前に、俺たちは彼の家へと訪問することにした。




「––––––いや、アイツはまだ帰って来てねぇぞ」


 しかし、勇一青年の所在はわからなくなっていた。

 父親によれば、村民たちでお説教した後、「腹いせに山菜を採って来る」と山に行ったきり帰ってきていないようだ。


 やはり妙だ。

 彼の声音は、こんな時間になっても帰宅していない息子を心配しているようには見えない。

 釜島次男が警察手帳を掲げた際の、過剰なまでに焦った表情も気になる。


 ああいう人間の顔はよく見て来た。

 隠したい秘密を明かされそうになって、心中穏やかではなくなった、嘘つきの顔だ。


「……では、僕が山に入って調べてきます。幸い、救助犬を連れてきているので」


 おいおい、俺は救助犬扱いかよ。

 勘は鋭い方だと自負はしているが、別段鼻が鋭敏な訳ではないんだけどなぁ。

 だが、このまま勇一青年に話が聴けないのは惜しい。

 やっと掴みかけた手掛かりだ。逃がすわけにはいかない。


 …………それにしても、釜島長男はともかくとして真面目な性格の釜島末妹からの連絡が全く来ない。

 「こっちで調べたいことがある」とメールは貰ったが、それにしたって音沙汰が無さすぎる。

 まただ。嫌な予感が消えてくれない。

 どうして俺の後輩たちは、こうも不安要素ばかり引き込んで来るんだか。




 森下家の裏の方向から、山へと足を踏み入れる。

 この村の気持ち悪さやら、二人の現状やら、複数の気掛かりが頭の中でグルグルして、まともに獣道も歩けないかと思ったが、そうはならなかったようだ。


「……尾上さん? 何か見つけたんすか?」


 思考を乱すほど、濃く嫌な香りが風に乗って漂って来た。

 嗅覚に自信がない俺にでもわかる。

 血の匂いだ。


「行くぞ!」


 釜島次男は疑問を口に開きかけたが、悠長に会話をしている暇はない。

 ここまで濃厚な匂いとなれば、大量に失血している可能性がある。

 これが、狩りに遭った害獣のものであればいいのだが、生憎にも村民が山から戻っていない。


 頭を叩きつけて来る不安が的外れなことを祈りつつ、俺は匂いの強い後方へと走る。




 そして、現在地がわからなくなった頃。

 俺の視界には、四肢の付いた大きな物体が倒れていた。



「……おいィ、これってよォ……」

「森下……勇一の…………」



 仰向けで転がっていたのは、森下勇一青年の遺体。

 腹部には複数の刺し傷。周囲の草には大量の血液が散っている。

 嫌な予感が、見事に的中してしまった。


 そして、頭部が異様なほどに潰れている。

 脳があるはずの部分のみが膨らんで、それ以外はしぼんだ風船のようだ。

 この様相は、村の郊外で見つかった変死体と非常に酷似している。


「……これはよォ、一体どうなってんだァ?」

「やっぱ、頭蓋骨だけ抜けてるんすかね……?」

「どんな絡繰りだよォ……」

「––––––っ!? 尾上さん、これって!!」



 釜島次男の差した指の先、勇一青年の潰れた口腔内には、布のような物体が詰め込まれている。

 ピンクっぽい赤色で、ところどころ白くなっている。

 これは、肉だ。薄切りの肉。おそらくは––––––


「……牛肉かァ?」

「だと思いますけど……」


 ろくに噛み切られていない様子を見るに、おそらく殺されてから口内に詰め込まれたのだろう。

 ハッキリ言って異常だ。

 遺体を埋葬する際に口内にモノを入れる風習が無いわけではないが、生の牛肉というのは極めて特異な事例だろう。


 いや、“件”を崇拝する村では当たり前の儀式なのだろうか。

 だとすれば、彼を殺害したのは間違いなくこの村の人間ということになる。

 このタイミングで殺されるとすれば、口封じの線が濃厚だろう。


 なら、村民が晒したくなかった秘密とはなんだ?

 それが、“件”という希少な怪異が毎年現れる原因と関連しているのだろうか?



「……釜島ァ、とりあえず救急車呼べェ!」

「いやいや、まずここが何処かわからいんすよ!」

「村の方角なら匂いでわかる。いいから運ぶ––––––」

「––––––––––––何ダ、貴様ラ」



 背中に冷や水でも浴びせられた気分だった。

 きっと、不安が重なったせいで勘が鈍っちまったのかもしれない。

 俺たちの背後には、真っ黒な影が直立していた。


「牛ノ肉ノ匂イガスルガ……料理ガ済ンデナイナ?」


 影のように暗い全身はボロい外套を着こんでいるようで、その内側は虚空のようにスカスカだ。

 唯一、色味が違うのはその頭部。

 乳白色の頭部は、目と思しき部位には穴が空いており、並んだ歯も剥き出し。

 雄牛のような立派なツノは左右に生えてはいるが、そこには猛々しさも神聖さも感じられない。


 それもそうだろう。

 影に包まれたその頭部は、まさしく牛の頭蓋骨だ。

 肉と皮を失った牛の生首が、外套を伴って浮いているように見える。


「仕方ナイ。ソノ首、戴クゾ」


 この仕事をしていると、怪異の身勝手さだけでなく、人間の浅ましさにも数多く直面する。

 くだん村も典型的なパターンと一緒だ。人間が半端な知識で、怪異を利用とするから痛い目を見る。



「…………上級怪異譚“牛ノ首”かよォ、オイ」



 コイツを“件”だって言ってるようじゃ、この村は救われねぇなぁ。

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