鮮血む/口が裂けても

 それからの話をしよう。



 まずアタシの目が覚めると、そこは知らない天井だった。

 胴体を起こして周囲を確認してみると、異様な光景が広がっていた。

 蛇の目傘が立てかけられ、窓際にカラスが停まり、枕元には日本人形が置かれている。


「……あ、おはよう」


 そこに居たのは鮎川くんで、そこは鮎川くんの部屋だった。

 彼の膝には黒猫が丸まっており、彼に撫でられて恍惚そうな様子を見せている。

 そして彼自身は、何故か顔や手に絆創膏を大量に付けていた。


「えっと……白いオオカミにドつき回されたといいますか。お説教の結果といいますか……」

「どゆこと?」


 だけれど安心した。

 あの時の昂っていたアタシのせいで、ケガをしてしまったのかと心配した。


 ちなみにだけど、“口裂け女”に憑りつかれていた間のことは全部憶えている。

 アタシが妖怪さんたちに乱暴をしてしまったことも、鮎川くんがアタシに言ってくれたことも、全部。





「……と、いった感じでさ。音切さんが事実上の“口裂け女”になっちゃったんだよね」


 鮎川くんの説明で、アタシが人間ではなくなったこと、そして人間社会で今まで通りには生活できないことを再確認した。

 だから、鮎川くんが就職予定の「異譚課」という警察の部署に入らないかと勧められた。

 聞くところによれば、彼も今やまっとうな人間ではないらしく、そんな存在でも働ける環境とのこと。


「もっとも、音切さんが希望すればって話なんだけどさ」


 なんだか、とても申し訳なさそうに話してくれている。

 彼がアタシの顔を傷つけたわけでも、あの体育館で罵倒した訳でもないのに。

 きっと、すごく優しい人なんだろう。栖桃と同じだ。

 名実ともにバケモノになったアタシを、まだ人間として扱ってくれている。


 もちろん承諾した。

 内心、この顔じゃあ普通の仕事は出来ないだろうな~って思ってたし。

 色々と不安なことはあるけどね。



「公務員か……勉強いっぱい頑張んなくちゃね」

「ごめん。僕がしっかりしてれば、怪異にはならなかったかもしれないのに」


 気にしなくてもいい、そう言おうとして、彼の顔を見た。

 そこには強い後悔があった。きっとアタシに対してだけじゃない。

 アタシ以外の人間に対する罪悪感が見て取れた。



「……実はさ、二枝さんが通り魔に襲われたらしくて」


 驚いたけど、納得がいかないわけじゃなかった。

 アタシはもう、何度もバケモノを見てしまっている。

 彼がここまで気に病んでいるということは、仁美を襲ったのもバケモノなのだろう。


「……今は病院で眠ってるらしいんだけど、顔全体に傷が残っちゃうんだって」


 彼は、仁美のことも助けたかったのだろうか。

 それとも、アタシに対して気を遣ってくれているのだろうか。

 どちらにしても、すごく優しい人なのは違いない。



「怪異……あの藁のバケモノみたいのが、沢山いるってことだもんね」

「みんなが悪い奴ってわけでもないけどね」


 やっぱり不安だ。

 怪異になっても、怪異に襲われた恐怖はこの顔に残っている。

 あの時の無力感を、絶望を、アタシはまだ振り切れそうにない。


 それに、公務員になるということは、少なくとも大学で勉強をする必要がある。

 高校も残り半年ほど残っているし、この顔のまま何年かは普通に暮らさないといけない。

 果たしてその間、何度怖がられてしまうだろう。

 この傷に対する疑問や嫌悪に対して、アタシは耐えられるのだろうか。



「僕も普通の人間じゃないしさ、二人で笑ってやろうよ。外見しか見れないような奴らを笑ってやるんだ」


 そんなアタシの表情を見たのか、彼はそんなことを言ってくれた。

 歯の浮くような台詞だったが、それでもアタシにはとても心強く響いた。


「少なくとも僕は君の痛みを受け止められるし、何があっても一人にさせないから」


 うひゃぁ…………。素面でそんなこと言うんだ。

 心臓が煩いくらいに高鳴っている。

 もしかしてアタシって結構チョロいのかな。


 いや、待て、焦るな。

 ここでがっついて、折角出会えた内面を見てくれる王子様を逃したら笑えない。

 あんなことまで言ってもらった以上、アタシは彼無しでは生きていけない。

 まぁ、もう一度死んではいるらしいけど。



「……とりあえず、長い付き合いになるかな?」

「呼び方とか決めとく? 毎回「音切さん」って呼ぶのも大変でしょ?」

「じゃあ、琴葉ちゃんで」

「ならこっちは、恒くんで!」


 その場で考えた渾名で読んでみたら、思いの外照れてくれた。かわいい。

 だが、これで親密度はあがっただろう。


 それにしても変な部屋だな。周囲からたくさんの目線を感じる。

 特に、恒くんの膝で寝っ転がる黒猫と、枕元に置かれている日本人形から、とてつもないプレッシャーをかけられているような気がするのですが。


「にゃぁ……とんだ泥棒猫にゃんねぇ……」

「…………女狐、許すまじ」

「ぬわああっっっ!? 喋ったああっっっ!!」

「待って待ってハナビ何で僕の太もも噛んでんのイデデデデッッッ!?」




 ……それから、ハナビちゃんのこと、ヒマワリちゃんのこと、ツムジさんのこと、アマグモさんのことを話してもらった。

 みんなと話して、アタシのことを話した。

 アタシがこれから、一生をかけてお世話になる仲間を、得ることができた。


 誰一人として、アタシの顔を見て、嫌悪を抱くようなことはなかった。




  ◆◆◆




「あ、お~い! 口裂け女! なんで学校来てんだよ!」



 それからも、アタシは普通に学校に行った。

 もちろんマスクは付けているけど。


 いつも通り教室に入り、机に座ったタイミングで、他のクラスの男子が声をかけて来た。

 たしか、数か月前にアタシに告白した男子のはず。

 思っていた通り、女性を外見でしか見ないようなクズ男のようだ。


 恒くんとは違う。コイツは彼の足元にも及ばない。



「その口裂け女に一目惚れして、告ってきて、見事に惨敗した愚か者は誰だったかしら?」

「––––––なっ、ちょ、はぁ!?」


 周囲の女子から、せせら笑うような声が聞こえてくる。

 お調子者で自信過剰なこの男が、慌てふためいている様子が面白いのだろう。

 だから、アタシも鼻で笑ってやる。

 外見でしか人を判断できない愚か者には、アタシはもう負けたりしない。



「ひゅ~、やるね琴葉ちゃん」

「琴葉はやっぱりこうでなくちゃね!」


 男が恥と屈辱に悶えながら逃げていくと、二人の生徒が近づいて来てくれた。

 恒くんと栖桃だ。

 アタシが学校に戻って来てからも、二人はずっと隣に居てくれている。

 それこそ、このクラスのみんながアタシのマスクを気にしなくなるまで、支えてくれていた。


 ちなみに、仁美は自分から退学を選んだらしい。

 何者かに顔を傷つけられ、それがよっぽど懲りたのか……自分からアタシの頬を傷つけたことを先生に告白し、クラスのみんなの前でアタシに謝罪してくれた。

 アタシに対するクラスの雰囲気が改善されたのも、そのことがあったからだろう。


 くわしく聞いてはいないけど、恒くんの上司の方が色々と手を加えてくれたらしい。

 本当に、彼には頭が上がらない。


「恒くん、ありがとうね」

「お構いなく。秦野さんに頼まれただけだから」


 だから、感謝をちゃんと伝える。

 彼は必ず「気にしなくていい」とか言って真面目に受け止めてはくれないけど、それでもいい。

 アタシは、そんな彼の姿勢が、考え方が、彼の心意気が好きなのだ。


「…………琴葉ってそんな顔するんだ」


 そんなにアタシの顔は真っ赤になっていたのだろうか?

 アタシと恒くんを交互に見ながら、栖桃は明らかにニヤニヤしていた。


「うぷぷ、あんなに男には興味なさそうだったのに~♪」

「……ん? 何?」


 栖桃の勘が鋭いのか、それとも恒くんが鈍感すぎるのか。

 ともかくアタシは、親友がニヤニヤしてしまうほどに彼に滅入ってしまっているようだ。


 少し気恥ずかしくなって、栖桃を連れて廊下に出る。

 恒くんは何もわかっていない風だったが、この際後回しだ。

 こっからは、乙女同士の作戦会議だからね!


「あははっ♪ 琴葉ったらわっかりやす~い!」

「しょ、しょうがないじゃんか! 初めてなんだもん、あんな素敵な男子……」

「んも~! そんなに好きなら告ればいいじゃん!」

「…………いや、それだけはダメなの」



 彼は絶対に逃さない。絶対にアタシのものにしてやる。

 その気持ちに嘘は無いし、これから確実に外堀を埋めていくつもりだ。


「でも、もうとっくに決めてるから……!」


 それでも、は絶対に譲れない。

 アタシの方から本気の告白だなんて絶対にしてあげない。


 必ずアタシは、自分の心を磨いて、あの朴念仁を虜にしてやる。

 必ずアタシは、世界でたった一人の王子様から、追われるくらいに輝いてやる。

 必ずアタシは、鮎川恒吾を惚れさせて、彼の口から告白させてやる。



 その日まで「他の誰よりも愛してる」だなんて、口が裂けても言ってあ~げないっ!

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