鮮血む/人を呪わば穴二つ
僕の叫びは増幅され、暴風と爆発の入り乱れる戦場に響き渡る。
暴れに暴れていた“口裂け女”は、攻撃の手を止め、傘に隠れた僕の方向へと目線を向けた。
「…………何だってぇ?」
「「僕はまだ答えてないんだよ。他の奴みたいに外面の話をした憶えはない」」
単なる屁理屈だ。
彼女が発した諦念を、真正面から否定しただけだ。
それでも、話を聴いてもらわなきゃならない。
「そういえばそうだったわねぇ……いいわ。上等じゃないの」
僕の言葉を反芻して、数秒後。
振り回された暴力の豪雨は、突然に音を止めた。
蛇の目傘から顔を出せば、彼女と妖怪たちの戦闘は一旦の空白を迎えたようだ。
というより、“口裂け女”からの攻撃が止まっている。
そして僕たちの陣営は迎撃に徹していたため、相手からの攻撃が止まった以上は何もしない。
抵抗を止めたということは、僕の誘いに敢えて乗ってくれるということだろう。
「だったらアンタは、今のアタシを見たうえで「キレイ」だって言い切れるのかしら?」
分かり易い挑発だ。
でも、そう来てもらわなくちゃ困る。
詳しい顛末は知らないが、今の音切さんは“口裂け女”の状態になっている。
本物に取り憑かれてしまったのか、あるいは後天的に怪異になったのかは不明だが、彼女を救う方法には心当たりがある。
“口裂け女”と出会った時の対処法として、有名なのは「ポマード」と三回唱えるというものもあるが、今回僕が実践するのはそれとは異なるものだ。
それこそ、面と向かって「キレイだ」と言い切ること。
言い返された彼女は、顔を真っ赤にして照れるという。その間に逃げることが可能らしいのだ。
といっても、これは子供のころに聞いた話でしかないため、本当に有効かどうかはわからない。
それでも、彼女の心を救うと秦田さんと約束したんだ。
このまま醜悪な怪異と成り果てて、二枝さんに復讐をするだなんて見過ごせない。
そんなことをさせる前に、必ず無力化させてみせる。
「……みんな、何があっても手を出さないでくれ」
静かに、それでも僕への信頼を確かに見せながら、妖怪たちが後方へ退いていく。
僕としても内心、アマグモさんの傘が遠ざかっていくのは非常に心細い。
それでも、この戦いは血で濯ぐべきじゃない。
和解できるのであれば、それに越したことは無い。
そのために、僕は異譚課の人間を志しているんだから。
信号機に、横断歩道に囲まれた、狭い空間。
対角線上の位置に、僕と“口裂け女”が相まみえる。
嫌でも心臓が強く跳ねる。
彼女の両手には刃物が握られたままで、今の僕であっても致命傷は免れない。
だが一つだけ、自分でも不思議と落ち着いている部分があった。
「……アタシ、キレイ?」
憎悪で真っ赤に染まった眼球が、僕の顔を凝視する。
それは宣戦布告だ。
僕から吹っ掛けた以上、逃げることは許されない。
でも、大丈夫だ。
だって、僕には、怪異と関わった経験がある。
今の僕にとっては、口が裂けているだけなんて––––––
「……あぁ。綺麗だよ」
それだけじゃ、今の僕には醜く映らない。
恐ろしいほどに身長の長い女や、過剰なまでに頭の大きな集団や、不気味な顔をした妖怪たちをたくさん見て来たんだ。
あの夏休みに積んだ、巨頭山での基礎トレーニングと妖怪達との交流は、本来の目的とは異なる方向で効果を見せていた。
「…………………………ぇ?」
僕の啖呵に対する返答は、呆然だった。
正直に言えば、僕だってビックリしている。
この状況でこんなに落ち着いていられるなんて、僕も怪異に慣れたということなのかな。
「う、嘘よ! ウソよ!! アタシを見て、綺麗だなんて……嘘ウソ嘘ウソよッ!!」
「––––––––––––っ!?」
狼狽に苦しんだのと同時、包丁を手放した左手が僕の胴体を掴んだ。
腕が動かせない。握力が強すぎて上手く呼吸ができない。
首元にあてがわれたノコギリから、強い金属の匂いが香る。まるで血のようだ。
「にゃ––––––」
飛びかかろうとしたハナビを、“山彦”たちが止めてくれている。
そうだ。これは僕と彼女の戦いだから。
デートの邪魔は許さない。
横目で確認すれば、“覚”が心配そうにしながらも、必死に頷いてくれている。
「彼女は動揺している」……僕の言葉が効いている証拠だ。
「さぁ……これでも言える? キレイだなんて言ったら、アンタの首を斬り飛ばすわよ?」
「何度でも言ってやるさ。キレイだよ」
お前はそういう怪異じゃないだろう。
自分の美醜を問いかけて来るのは、常にキレイであり続けようとするからだ。
乙女としての本分を、怪異化しても失っていないからだ。
自分から醜いことを認めてしまうような、そんな弱い存在じゃないはずだ。
それとも、そう言わせているのは音切さんなのだろうか。
だったら、ハッキリ言ってやる。
「君の綺麗さってのはさ、口が裂けた程度のことで損なわれるようなものじゃないだろ……?」
顔が傷ついたくらいで、調子に乗るな。
顔が傷ついたくらいで、醜くなったなんて考えるな。
そんなの、僕を慕ってくれる仲間たちに失礼だ。
僕の命を守ってくれた、“巨頭オ”たちを侮辱するな。
「秦田さんが応援してくれたのは、自分らしさを取り戻そうと立ち上がった君を、応援したいと思ったからじゃないのかよ?」
猫耳が生えているから、嘴が付いているから、頭がデカいから、人型じゃないから。
外見の差異なんかで、その存在の優しさは測れない。
バケモノだって孤独に苦しむし、仲間と支え合う気持ちを持っている。
だったら、人間にだってあるはずだろう。
外見じゃわからない、その人なりの心の輝きが。
「口が裂けても、それでも君はステージに立った。自分と親友のために立てたんだよ」
そんなの、カッコよすぎるだろ。
そんなの、優しすぎるだろ。
そんなの––––––––––––
「––––––めちゃくちゃ綺麗じゃんか」
人間不信で陰キャな僕には、きっと一生かけても出来ないことだ。
それでも、君は出来たんだ。
ならその勇気は、優しさは、決意は、音切琴葉の強さであり、美しさだ。
「…………………………」
僕の言葉を聴いた彼女は、放心するよう表情のまま、僕の身体を降ろしてくれた。
地面に足を着け、改めて彼女に向き合う。
“口裂け女”は右手のノコギリすら手放し、僕の瞳を見つめていた。
「––––––君を、祓う」
少なくとも、怨念の渦からは掬い取れたはずだ。
右手で刀を抜き、その刃に意識を集中させる。
夏休みの間に習得した剣技、《
「……待ってもらえるかしら?」
刀を振り払う、その直前。
彼女は懇願するように口を開いた。
「この子、トラックに轢かれちゃったのよ。だから、アタシを祓ったら、この子が死んじゃうわ」
今のはきっと、音切さんではなく“口裂け女”としての言葉だ。
そうか……僕が遅くなってしまったばっかりに、そんなことが。
そうなると、僕の力ではどうにもならない。
“百鬼夜行”を率いる“ぬらりひょん”でも、失った命を取り戻すなんてことは出来ない。
夏の特訓で、僕は自分が万能ではないことを痛感している。
つまり、音切琴葉は既に死んでいる。
生きていた状態には、戻せない。
「……だからよ。だから、アタシの存在をこの子にあげるわ」
彼女は涙を流しながら、僕に、僕たちにそう言った。
自身の命を、能力を、誇りを、そして美しさを、音切琴葉に託すと宣言した。
「そうしたら、あなたが消えちゃうんじゃ……」
「こんなアタシよりも、この子の方が“口裂け女”に相応しいのよ」
僕が漏らしてしまった不安を、彼女は真っ向から否定する。
僕としては、できれば“口裂け女”も救いたかったのだけれど、そんな理想を語っていられる状況ではないということだろう。
残酷な現実を呪いつつ、僕は彼女の言葉の根拠を尋ねる。
「だって……キレイと言ってくれる人がいるんですもの。アタシよりも幸せな、“口裂け女”になれるわ」
そう言って、伝説の怪異は、痛々しく微笑んだ。
◆◆◆
「……おめぇらはよォ、またたいそうな結界張りやがってよォ」
「にゃ、ダーリンがやれって」
「うむ、親方様の命令には逆らえん」
「拙者は言う事を聴いただけでござる」
「…………あるじが悪い」
「おいてめぇら!?」
忠義とか無いんか!? 速攻で大将の首売ったぞ!?
“口裂け女”が暴走を止め、通常の音切さんの外見に戻った頃。
気を失ったように眠る彼女を介抱しようとしたら、尾上さんと竹永さんが駆けつけてくれた。
そして、お説教を受けている。
やっぱり相談もせず、資格を持たない僕たちだけで対処したのがよくなかった。
どうやら夏休みの間に、みんなで尾上さんにボコボコにされたことが効いているようだ。
未熟な僕を含んだ五人で立ち向かっても、尾上さんには傷一つつけることは叶わなかった。
仮に“百鬼夜行”で雪崩れ込んでも、そう簡単には負かすことは出来ないだろう。
「ったくよォ……未熟者のくせにいっちょ前に専門家面してんじゃねェ」
「…………ごめんなさい」
痛い、痛いですって。
左手をめっちゃガブガブされている。
だけど、本気で咬みついているわけではない。
怒られたのは「勝手に動いたこと」であって、「あの子を助けようとしたこと」ではないからだ。
「しかし、“口裂け女”としての存在を他者に受け渡しただなんて……」
僕への事情聴取を終え、竹永さんは驚愕の声を漏らした。
僕も同じだ。殺意の高そうな怪異が、年端も行かない少女のために命を捧げてくれるだなんて。
彼女も“巨頭オ”たちと同じように、自分の後悔や怨嗟に縛られていたのだろうか。
「オリジナルの心情はともかく、今はこの子が“口裂け女”だろォ? お前が「綺麗だ」って答えられたんなら、その逸話に新しい解釈が生まれかねねェ」
「ひーくんの影響で、怪異としての新しい能力が生まれるかもしれないんだよ」
二人から伝えられたのは、僕としても想定外の情報だった。
僕は彼女を救うことで頭がいっぱいで、怪異を穏便に祓うことばかり考えていた。
しかし、音切さんが事故に遭った事や、それを哀れんだ“口裂け女”の行動で、想定とかなり離れた事態となってしまった。
未熟者が先走ったせいで、音切さんが異譚課から危険視されてしまうかもしれない。
「……あ、あの、尾上さん! この子も、異譚課に入れないですかね?」
「…………まァ、お前はそう言うだろうと思ったよォ」
「だったら––––––」
「でもなァ、それはこの子自身が決めることだぜェ?」
そうだ。その通りだ。
いつから僕は他人の将来を決められるほど偉くなったのだろう。
また先走って、周囲の迷惑も考えずに動こうとしてしまった。
これは、僕の明らかな改善点だな。
「––––––尾上さん、これ……」
僕が後悔を抱いている間、視界の端で竹永さんが尾上さんに問いかけていた。
彼女の手には、僕が先ほど手渡した、藁人形が。
二枝仁美が呪術に使用した、“呪いの藁人形”があった。
尾上さんは、不細工な人形を凝視し、困ったように呟く。
「……ったく、素人はこれだからいけねぇなァ」
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