第34話 最初の物語

 何をどうやって、というのがレナルドの顔に浮かんでいた疑問で、おれもそれが聞きたかった。


「それほど難しくはないさ。いつも通り、これまでの道のりを歌ってくれればいい。余白はそれを受け止めて記憶する。これまで、ぐるぐると回ってばかりいた力の逃げどころができるというわけ」

「普通に、弾いて歌えば?」

「そういうこと。もう一度、この物語に名前を戻してやるの」


 勇者ルーの物語ですね。お任せあれ、とレナルドがリュートを構え、手慰みのように爪弾き始めた。


「良いじゃないですか。僕が……僕の最良の勇者の話を残せるなら」


 レナルド、とおれは名前だけを呼んだ。おれが自分でも少し恥ずかしくなるような『善いこと』をした時の奴の顔を思い出す。


 おれは、お前にとってのそういう、たったひとつの存在でいられていたのか。おれの語り部。


 おれは、座り直して奴に向き合う。


「……最初はやっぱり、城から始まるのかな」

「そうですねえ、僕ら出会ったのがあそこですし。卿も姫もいて、何だか不思議な気持ちがしますね」

「あの時は、こんな関わり方をするとは思わなかった」


 勝手に見た目だけで憧れたシャルロッテ姫、ただの雇い主としか思っていなかったドラシアン卿。思えば、奇妙な縁に恵まれたものだ。


「剣を貰って、遺構に行って……スウリと会った」

「あいつの怪しさといったらなかったな……。俺はまだ完全には許してないぞ」

「でも、いなかったらここには来れてませんよ」

「お前はあいつに甘い!」


 瘴気を操って魔物を産む者。魔の者という者たちがなぜこんな力を持っていたか、については未だにわかっていない。スウリや魔王自身は、知っているのだろうか。


「で、九頭蛇ヒュドラーだ。いやあ、すごかったですね。地面に蛇がごろごろ転がってて」

「気持ちの悪いところを覚えてるな。そこは省けよ」

「その後、コオルネに行って、岩巨人ゴーレムを倒して」

「お前の泣き言を散々聞いた」

「……子供たちに慕われる姿、良いものでしたね! さすがは勇者」

「思うんだが、語り部の話が語られないのは何というか、不公平じゃないか? その場にいたのに」

「そういうものでしょ? ですよねえ。魔王さんもそうって」

「おればかり持ち上げられるのも、お前の都合の悪いところは省かれるのも、何となく納得がいかん」

「考えすぎですって」


 おれたちは、いつの間にか思い出語りをするように来た道を振り返っていた。子供の頃、地面に木の枝でがりがりと絵を描いた、そんなことも思い出す。地面は広く、いくらでも広がっていて、話すことはたっぷりとあった。おれたちの、冒険の物語だ。


「そこからロッテ姫に呼ばれたんだ。いやあ、あの部屋はさすがに驚いたな」

「……うん」

「ああも才色兼備の方だとは思ってなかったですし」

「うん」

「今回飛び出してきたのもあれ、驚きましたよ。どういう度胸をしてるんだか」

「ああ」

「ルー様、態度が大変おわかりやすくなっておられますよ」

「ロッテはそんな言い方はしない」


 ロッテ。シャルロッテ姫。ともすれば一番、己の役割に対して考え、もがいている人。おれがずっと……。


 おれがずっと、慕っている人。


「それで、山脈行きでしたっけ。あそこ寒すぎませんでした?」

「苦労した分、盛り上げて歌っておけ。帰りは楽だったんだがな」

「グログウジュさん、便利に使わせていただいちゃったけど、考えれば考えるほどすごいことですよ。山を越えて飛ぶなんて」

「あいつもここに来てるのかな。何やってるんだ?」

「竜には竜の歌があるのでは」


 グログウジュに感じていたわだかまりは、いつの間にかどこかに行ってしまった気がする。あいつとおれたちは、友誼を結ぶことができたのだ、それで良い。そういうことは、あるのだ。魔物が転じることだって。


「それから……」


 おれは少し言葉を止めた。この辺り、おれがあまりに落ち込んでいたことを思い出し、何だか身体が痒いような気持ちになったからだ。


「まあ、おれの昔の話なんかは」

「歌いましょう」


 こんな場だからこそ、歌いましょう、とレナルドは言う。


「ちゃんと残してあげましょう」

「……そうか」


 そうだ。おれには昔、三人の仲間がいた。勇者ではない、何者でもないままに倒れてしまったが、確かに奴らはいたのだ。


「……ありがとう」


 どこかで何かが、ひび割れる音がしたような気がした。


「なあ、レナルド。それなら……」

「やめろ」


 割れる。何が? この場そのものが。魔王の背後に亀裂が入り、そこから二本の腕が生えている。


「イヴーリオ?」

「語り部は、私だ」


 抱き寄せるように、腕が蠢く。


「私たちの物語に、私以外誰も何も足すな」


 ひびが広がる。余白という白い世界が黒で覆われていく。崩れ落ちる。


「ルーさん、これどうなるんですか!?」

「知るか、どうすれば出られるのかも……」


 フラン、と懇願するような声が響く。ここでずっと一緒にいてくれ、最後の時まで。


「無理だよ。もう、終わってしまう」


 魔王は、赤子でも慈しむかのように目を細めた。


「もっと早く来れば……そうすれば……」

「おれたちはどうする! 何をすればいい!」


 余白の世界の壁の欠片は、触れるたびに消えてしまう。もはや、何かを書き込むどころではない。


 地面が、割れた。おれは真っ逆さまに落ちる。


「どうか、わたしたちの物語を、……」


 物語を一体どうすればいいのか、なにもわからないままにおれは放り出された。


▪️ ▪️ ▪️ ▪️


 亀裂の黒が、いつの間にか見覚えのある艶のある黒に変わっていた。遺構の壁の色だ。おれは遺構の中にいる。


 目の前には……ああ、さっきまでもいた相手が、魔王フランが黒い服を纏って立っている。横には、グログウジュ。おれの隣には、顔に大きな傷のある男が、イヴーリオがいる。おれは誰かの目でものを見ているが、身体を自由に動かすのは難しい。周囲の風景は勝手に進んでいく。


「もうやめてくれ」


 おれは、この台詞を知っている。グログウジュが語ったかつての、最初の勇者の言葉だ。おれは、勇者エルデの目でこの風景を見ている。


「もうやめてくれ、そんな風に自分を使うな!」


 エルデ? おれは、身動きができないままに目を見張った。渦中にいながら何も知らないままだったと、そう思っていた人物なのだが。


「待ち侘びたぞ」


 魔王フランの方は、聞いた通りの返事だ。だが、その声に込められた万感の想いをおれは知っている。本当に、本当に待ち侘びたのだ、彼女は。会いたくてたまらなかったのだ。たとえそれが、自分の最期だとしても。


 エルデは、剣を抜く。彼女の覚悟の程をわかっていたのだろう。そうとしか思えない。真実を知っていたのだとすれば。


 後は、同じだった。勇者の渾身の一撃で、魔王は倒れる。何度も聞いた物語通りのことが起きる。ただし、物語と違っていたのは。


 グログウジュが大きく咆哮をした。まだ今の奴になるには幼い竜が、それでも主の死を悲しんでいる。それがよくわかった。


「……これが、魔法の核だな」


 エルデが、倒れたフランの首に掛けられた石を取り出す。


「これがあれば、この地はしばらく穏やかでいられる、そうだな?」

「ああ、彼女の手紙によれば、数十年は」


 イヴーリオ。お前、エルデに手紙のことを話したのか。おれは物語を聞くように、エルデの中でじっと耳を澄ませていた。


「その年月、延ばすことはできないのか?」

「歪みの扱い方は多少はわかったが、私の力でそこまでできるかどうかは……」

「試してみてはくれないか。彼女がここまでして、命をかけて、それが……俺たちの次の子供の時にはもう終わってしまう、そんなのは我慢できない」


 やめろ、とおれは聞こえない声で叫んだ。それで良かったんだよ。フランは、自分たちの物語を刻めれば、それで。その道は犠牲に続く道だ。最後には災いが来る。止めろ。


 イヴーリオはしばらく考え、それを了承した。おれは、もうこの先が見ていられなかった。こいつは半分成功して、半分失敗する。月日を延ばすことはできても、犠牲は繰り返し必要となった。自分は魔法に取り込まれ、その様をずっと見守ることになった。


 全てを作り上げ、己の魔法のために倒された魔王と、結局彼女を倒し、魔法を延ばそうとした勇者と、二人に応えて全てを叶えた語り部と。一体誰が悪い? 誰を責めれば良い? それとも何も知らないで平和に過ごすただの人々か? それも違うよな?


 勇者と語り部は凱旋する。街では嵐のような歓迎を受け、領主は彼らの栄光を讃える。山のような褒美と栄誉、それから、美しい姫君。本当のことは、とても話せなかった。


 物語は、保たれねばならない。


 エルデはしかし、浮かない顔をしていたのだろう。二人きりになったその時、姫が言う。豊かな金髪の、若く美しい娘。


「あなたがどなたかを想われているのは、わかります。でも、いつか心を通じることができれば」


 もうやめてくれ。おれが叫ぶ代わりに、エルデが嗚咽した。


 それでも、エルデは栄光と地位と力を手に入れ、よくやっていたようだった。ただし、人々が魔の者を迫害することは何度も止めたが、叶わなかった。


 苦しかったろうな。


 姫とは、結局何人かの子供も生まれ、どうにかやっていたのだろう。二人の仲で心がどれほど癒やされたものかは、おれにはわからない。少しくらいは幸せであってくれと思う。


 めでたしめでたし、で物語は終わる。大いなる繰り返しの最初の一回は、このようなものだった。

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