第33話 ようこそ魔法へ

 気がつくとおれは真っ白な部屋にいて、背もたれのない椅子に座っていた。痛みはない。怪我は残っているが、身体が動かしづらいということはなかった。


 隣には同じくレナルドがいる。おれと顔を見合わせて、きょとんとした様子だった。何もわかっていないのは同じか。


 目の前には、汚れひとつない白い服を着た若い女がいた。銀色の長い髪、赤い瞳。


「初めまして。ようこそ、わたしの魔法へ」


 あなたは、とレナルドがつぶやく。予感はあった。


「わたしは最初の魔王の残り物。ここは、土地守りの魔法の中。もっと言うと、その中に魔王が残しておいた、余白の部分」

「フランさん?」

「物語には名前は歌われていないから、ただの魔王」


 よろしく、と落ち着いた声音で言う。おれは魔王によろしくと言われたことなどないので、どう返事を返したものかわからないまま話を聞いていた。


「他の人たちは? 無事なら良いんだけど」

「それぞれにわたしと話をしているよ。話しやすいように分けさせてもらった。イヴーリオなんて泣いてる」

「泣いて……」


 二百年ぶりの再会が行われているのだ。それは泣くだろうが。


「あなたたちをまとめて呼んだのは、勇者と語り部の任を持っていたから。何もなければ無事帰してあげられるから、安心するといい」


 また勇者か、と思う。この魔法がある限り、役割からは逃れられないものだろうか?


「ええと、聞きたいことがあります。率直に、土地守りの魔法はもう先がないんですよね? ここからどうにか立ち直せるものなんでしょうか」

「そこは、あなたたち次第というところ。ここは元々、魔法と歪みが限界を迎えた時のための逃げ場だからね」


 レナルドの質問にも、魔王はやけに明るい口調でてきぱきと答える。魔王フラン。他の魔の者の力があったとは言え、一人で土地守りの魔法を作り上げ、魔物を率いて戦った傑物、という印象だったが、どちらかと言えば物好きな遍歴学生に近い空気がした。


「そのためにやってもらいたいことがあるんだ。この余白に……」

「その前に、聞きたいことが山ほどあるんだが」

「あまり長くは答えられないよ」

「それでも良い。どうしてこんな魔法をかけたんだ? もう少しやりようがあったんじゃないのか?」


 おれが尋ねると、魔王は軽くかぶりを振った。スウリに似た銀の髪が揺れる。さらさらと。


「少なくとも、全てをまとめて叶えるにはこの方法しかなかったんだ」

「全て?」

「瘴気を集める、集めた瘴気を払う、表の人間に意趣返しをする、久しぶりに幼馴染に会う、彼らに栄光を届ける」


 指折り数える答えは、どこか歪だった。そして。


「あの人に忘れずにいてもらう」

「勇者エルデ?」

「名前は歌われていないから、わたしの中に想いだけが残っている」


 あの人の心に残るためなら、何だってやったさ、と。


 おれは真っ白すぎるこの部屋を見た時と同じく、うそ寒いような、汗が滲むような気持ちを味わった。


 この女は深く想いをかけた相手の中に自分の存在を残すため、自分自身を手にかけさせたのだ。


 なるほど魔王か、と思った。同時に、そうでもしなければ結ばれることなどなかったろう、魔の者のことを思う。今よりもさらにずっと、その境遇は苦しかったはずだ。


「悪いが、やりようがあったかも、というのは後からの言葉だよ。かつてのわたしは手一杯だった。悪名でも良い、名を残したかった、というのもあるね。ところが」


 イヴーリオが、語り部が魔法を捻じ曲げた。


「この魔法もね、せいぜい勇者たちが生きている間に皆を守ってくれれば良かったんだけど……彼は、もっと遠くを見ていたんだね」


 物語から名を削り、筋書きへと置き換えた。その過程で彼は魔法に取り込まれる。全ての道行きを見守る者へと生まれ変わる。見守るだけならば良かった。彼は自ら魔王を作り出していった。倒されるためだけの存在を。


「……どうしてそんなこと、したんですかね。最初の歌は……本当のことを知らないで聞いていた時のあの歌は、素晴らしい、完璧な歌でした。僕、あれが歌いたくて何度も練習をして」

「さあ。完璧すぎたから、何度も繰り返さずにはいられなかったのかもね」


 おれは思う。魔王フランが勇者エルデに強く執着し、あるいはイヴーリオに無限の信頼を置いていたのと同じく、語り部イヴーリオも、フランに、あるいはエルデにも深い気持ちを持っていたのではないだろうか。


 要するに、彼らはお互いが好きすぎて、歪んだ三角形を描きながらぐるぐると踊っていたのではないか、と。


「美しいものを見てしまったんですね」


 が、レナルドの見解は違っていた。


「見たものがあんまり綺麗だと、どうしたって語り尽くせなくて、何度も頭の中で繰り返すんです。それを、実際にやってしまったのじゃないかなあ」


 おれは初めて竜に乗って飛んだ時のことを思い出す。風と空と世界と。あの時のレナルドは、そんな気分だったろうか。


 お前は、このどうしようもない愛憎のやり取りに、それでも美しさを見出すんだな。


「どれということもなく、全部だったのかもしれん。イヴーリオに聞かないとわからないし、聞いてもわかるとも限らないな」

「そういうことだ。それは後でゆっくりおやりなさい」

「……あなたはなぜ、自分を犠牲になんてしようと思ったんだ。思えたんだ?」


 そんなの、とまるでおれがおかしなことを言ったような反応をされた。


「皆を救う良いやり方を見つけて、ただし、それには命がたったひとつだけ必要となったら、使うのは自分のもの以外にないだろう?」


 余計な苦しい思いなんて、他の人がしていいものじゃないんだから。


 おれは黙ってしまう。似たようなことを考えたことはあったからだ。ただ、命までも簡単に捧げられるのかどうかは怪しい。生前の彼女も、迷ったろうか。それとも、忘れられないでいてもらえれば、それで良かったのだろうか。


「……その後、大勢が殺された。魔王の巻き添えになって」


 少なからぬ魔の者たちは、ただ平穏を守ろうとしただけだったというのに。


「……そうだね。それだけは、大失敗だ」


 初めて魔王の表情が崩れる。悔悟に揺れる瞳は、彼女を当たり前の若い娘に見せた。


 わたしは、『その他』の人たちのことをあまりに考えなさ過ぎたんだね。そして気持ちを切り替えるかのように、小さな声でつぶやいた。


「さて」


 やってほしいことというのはね、と魔王は気を取り直したように手を叩く。


「この余白に、新しい物語を作ってほしいんだ」


 おれとレナルドは、再度顔を見合わせる。


「今度は繰り返しの筋書きじゃない、本物の勇者の物語を」

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