第15話 むかしむかし
それは遠い昔の話。まだエニモールの城塞の塔が今ほど高くも強くもなかった頃のこと。
魔王と名乗る一人の人間がこの地に遺構――当時はそうは呼ばれておらず、ただ『歪み』とされていたが――を立てたのだと言う。我はその詳細を知らぬ。生まれてすらいなかったが故にな。我はこの地にわだかまる歪みから生み出された。
魔王はここの他にもいくつもの地で歪みを生じさせてきたという。我はそれは少々知っていた。時に魔王を背に乗せ、あちらこちらを飛び回っていたが故に。
魔王は、どうやら人の世では爪弾きにされていた、不可思議な術を用いる者たちの一人であるようだった。しかも、異才と言って良い部類の。己のことはさほど語らぬ者であったが、時折決意の表れに似た吐露を聞かせてくれた。
こうして歪みを広げ、魔物を生じさせ、表の人間たちに己の矮小さを思い知らせることは、己の使命であると。
我は思う。それは一つの大きな動機ではあったろう。しかし、それだけでもなかったのではないか、と。
魔王はよく、誰かを待っていた。そのように見えた。
己の生み出した命ならぬ命に囲まれ、王と名乗りながら城も持たず、各地を巡り、その旅の中で誰かを待っていた。
魔王の拵えた歪みは、人一人の作とは思えぬほどに精緻で、彼らの術の粋を集めたものであった。もちろん、我には仔細はわからぬ。貴様ら人の赤子が、母親の胎がどのように出来ているかを知らぬように。
ただ、その歌曲は場を揺るがし、地に自然に生じては散るばかりであった瘴気を形とし、我らを生む。人においては脅威でしかなかったであろうな。
よって、幾人もの人間が我らを『退治』に現れた。現れ、多くは逃げ帰った。我らは生まれたての儚い在り様であったが、ことに魔王が奏でる
人は、学んだ。生き残り帰った者が、歪みの中の楽の力、歌の力の存在を知り、あるいは、と人の中の楽士を差し向けてきたのだ。
二人の若い人間が現れた。後に、勇者と語り部と呼ばれることとなる者たちだ。あの頃は、我は何も知らなかった。ただ、己の力になるはずの楽の音が遮られた時、動転した。魔王が高らかに笑い、我を止めたからだ。
もうやめてくれ、と勇者は言った。魔王は何も答えなかった。ただ、待ち侘びたぞ、とだけ告げる。浅からぬ因縁は感じた。それ以上のことは、何もわからなかった。
勇者の渾身の一撃で、魔王は刺し貫かれ、そのまま命を落としたからだ。
勇者は慟哭した。語り部はただ、それを見ていた。歪みは魔王が死した後も崩れることなく、そこにあった。実に堅牢であったが故に。我もまた。
■ ■ ■ ■
グログウジュはしばしその皿ほどもある目を閉じ、祈るように沈黙をしていた。
『済まぬな、遺構の話というに、我が思い出話ばかり語っておるようだ』
「いえ、これは……あんまりすごい話ですよ!」
レナルドは雷にでも打たれたかのような顔でそわそわした後、思い切った行動に出た。シャルロッテ姫の手紙の羊皮紙を裏返し、その辺りの平らな石を机代わりに、羽ペンとインク瓶を取り出したのだ。知らんぞ、と思った。
「だって、魔王と勇者はずっと、ただ魔王と勇者だったんですよ。繋がりや因縁があっただなんて、一言も聞いたことがない」
『我もそう語ることもなかったな。魔王亡き後は大抵眠りについていたし、人のやり口にさほど関心はなかった。鱗を剥がれるのだけは我慢ならなかったが』
「その術を使う人たちというのが、魔の者なのかな。今は全く聞きませんが……」
ことごとく、表の人間に殺されたからな。竜の低い声に、レナルドはしばし口を閉ざした。
「その生き残りが、あのスウリか」
おれは簡単に、遺構で出会った少女の話をする。竜は嬉しげに目をすがめた。
『おお、銀の髪に赤の瞳。懐かしいの。あの者と同じ』
この竜にとって、魔王は親で主のようなものだったのだろう。それを亡くし、本当に独りになって空を飛びながら見た光景は、どのようなものであったか。
『しかし、そのような者が遺構を見て回っておったとは』
「あんたのところは、何もなかったのか?」
『言うたであろう。大抵は眠っていたが故、人が一人二人現れようと気づきもせぬわ』
「威張ることじゃないだろ」
ともあれ、我は術に明るいわけでもなし、遺構そのものについてはこの程度の話しか出来ぬな、と竜は締めくくった。
「魔王は……勇者を待っていたんでしょうか。自分が倒されることを?」
『わからぬ。我には人の心はとんと読めぬし、あの魔王はことに己を見せぬたちであったよ』
知りたいな。羊皮紙を風に晒して、レナルドはつぶやく。この男は頭の中の箪笥にいくつも歌をしまっていて、すぐに取り出してくるくせに、これ以上引き出しを増やそうとしているらしい。
「語り部は全部見ていたはずなのに、語り残したことがある。勇者だって、自分で何かを残せたはずなのに……」
「そっちはお前に任せる。おれは言われた通りに魔物を倒すだけだ」
「気にならないんですか? 僕ら勇者と語り部の話ですよ」
あのなあ、とおれはこめかみを指で叩いた。
「勇者って言ったって、おれ自身の話じゃないだろ。役割は役割、記号は記号だ。おかしな思い入れをすると、おかしな間違いをするぞ」
そう、おれ自身が何か因縁ある魔王を刺し貫いて倒した、なんてことはない。おれはあくまで今、この時代に生きている、ごろつきの出のルー・カミュアに過ぎない。レナルドだってそうだ。おれたちは勇者と語り部だが、過去の人間とは全く別の考えで、別に生きている。そう、自分にも言い聞かせた。
放っておけば、何かと結び付けて考えてしまいそうなのは、おれも一緒だったからだ。
「そういうものかなあ」
レナルドは不承不承勢いを収める。
「そうだよ。大体今は勇者が何人何組いると思ってるんだ」
「そりゃそうですけど。まあ、いいや。僕の興味は僕の興味として……姫様に持って帰るお土産はできましたけど、まだ遺構の方に行ってませんよね」
「別に忘れてはないぞ」
本当かなあ、という目をされた後、おれたちは一旦グログウジュと別れて古い遺構に向かった。
▪️ ▪️ ▪️ ▪️
……一際大きな遺構。あの赤竜も悠々と収まりそうなほどの広間は、いつもの音もぐっと静かに落ち着いていた。魔物の姿も何もなく、ただしんと静まり返っている。
「これじゃあ、誰か来たのかこれから来るのかわかりませんねえ」
レナルドが周囲を見回す。歴史的事件の現場を決して見逃すまいとするように。
「……いや、来たな。おれたちは少し遅かった」
え、と瞬きをした奴に、おれは指を伸ばす。黒く綺麗に整った床の上、微かに段があり、そこには一輪の花が供えてあった。
「魔物はいないのに?」
「もう涸れてるのか、必要がなかったのか、それとも」
近づいて花を見下ろした。白い、まだ瑞々しい百合の花。
「弔いの地で騒ぎはしたくなかった、ですかね」
レナルドがそんなことを口にした。奴はどうもあのスウリにも、おれより甘いように見える。
銀髪と赤い目。魔の者。殺され、散り散りになり、隠れ住んだ者たち。
勇者という役割があり、記号がある。今は魔物退治が得意な奴ら、というような意味合いでしかないが、本来は勇気ある者、という意味のはずだ。
勇気があれば、何を考えて、何をするんだろうな。
おれは水袋を取り出して、酸っぱい酒を軽く床にこぼした。剣をもって魔物を屠る勇者の手に、花の当てはなかったからだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます