第12話 羊皮紙姫

 領主への報告とシャルロッテ姫への歌の献上は滞りなく終わった。滞りなくというには、レナルドが期限に間に合い損ねかけて大混乱を起こしていたのだが、まあ、結果としては終わった。韻がどうしても合わなかったらしい。


 スウリの件はどこまで深刻に受け止められているのかは、いまいちわからない。話が通じそうである旨は伝えてはいるのだが。


 さて、これで今回も成し遂げて、再び勇者の休日か、と廊下を二人で歩いていた時のことだ。失礼します、と後ろから女の声がした。


 振り向くと、広間で姫についていた侍女が、礼儀正しく辞儀をする。


「シャルロッテ姫様が、あなた方お二人をお待ちです。お部屋への入室を許す、と」


 どういうことだと問い正したかったが、ここは宮廷で騒ぐわけにもいかない。ましてや、呼び出しを断ることなどもってのほかだ。


 冷たい石造りの廊下を行く。広間から先に進むことは初めてだった。ドラシアン家の歴史を綴ってでもいるのか、色鮮やかな綴れ織が壁を飾っていた。


 やがて、一つの部屋の前で侍女は立ち止まり、扉をゆっくりと叩く。応えるようにゆっくりと、ゆっくりと扉は開かれる。この中に、姫の私的な場所があり、それだけではない、姫本人が待っているのだ。


 正直なところを言うが、おれは九頭蛇ヒュドラーに相対した時と同じくらいの緊張と、心臓の締め付けを感じた。レナルドはちらりとこちらを見て、大丈夫かな、とでも言いたげな顔をする。大丈夫ではない。


 そうしておれたちは、姫の私室へと招き入れられた……のだが。


 おれの拙い想像では、少なくともおれの泊まる部屋よりは色彩と芳香に満ちた、かわいらしい……花の一つでも飾ってあるような場所を思い描いていた。


 思い違いだ。花はない。あるかもしれないが、もはや隠れて見えない。


 代わりに満ちているのは薄めた獣の匂い。犬や猫がいるわけではない。見ればすぐにわかった。羊皮紙だ。


 壁一面に様々な大きさ形の羊皮紙が貼り付けられ、装飾的なものを飾る場を奪っている。机や棚の中にも羊皮紙の束や書物の形にしたものがどっさりと置かれている。とりわけ大きなものは壁の地図で、表面にはいくらか印が付けられていた。


 そうして、その机の前に先ほども顔を合わせた青い衣装のシャルロッテ姫が腰掛け、おれなどは名前も知らない崖の上の花のように上品な笑みを浮かべていた。周囲には召使が何人かいて、何か粗相があればすぐに人を呼ばれることだろう。


「ようこそおいでくださいました。どうぞお掛けになって」


 目の前にはよく出来た細工の椅子が二脚あり、ひたすらに圧倒されていたおれたちはゆるゆるとその言葉に従った。


 おれは、おれはこれまでずっと、言ってしまえばこの姫君に惹かれてきたのだと思う。だが、よくわかった。おれはこの人の上面以外のことを何も知らない。知らないのだ。


「お疲れのところ、またご足労いただき申し訳ありません。ただ、どうしてもお二人にお聞きしたいことがありまして」

「聞きたいこと、ですか……」


 レナルドはおれよりは度胸があるのか、震える声で相槌を打つ。おれはもうだめなので、ただ全身を耳にして話を聞いていた。姫の声は相変わらず金糸雀のようだ。


「聞かせていただいたお歌、素敵でした。とても胸が躍ります。ただ、気になるところがあるのです」


 細い指が、大麦など食べたこともなさそうな華奢な顎を押さえる。青い目が薄い悩みに揺れた。


「あの場所に、他の誰かはいなかったのか、ということです」


 馬鹿みたいに悲鳴でも上げそうになった。なんで知っているんだ?


「私、皆様の物語を、歌を聞いて、たくさん学び、たくさん調べました。実は、父上への報告も盗み読みしてしまったこともあるの」


 悪戯好きな村娘とそう変わらない表情で、姫は語る。そういえば、地図の印は遺構の場所と一致しているようでもあった。


「遺構に、それまで見られなかった変わった魔物が現れた時は、必ず誰かがいて、人為的にそれを生み出している」


 スウリだ。他にもいるのかもしれないが、おそらくは魔の者と名乗っている者たち。


「そうしてその魔物を倒せば、その遺構はしばらく休眠を迎える、というのが私の調べた結果なのですけど……」

「ひ、姫様は」


 声が震える。勇者がなんだ、こんな年下の娘相手にガタガタと、情けない。


「それを調べてどうするんでしょうか」

「難しいことを聞きますのね」


 気を悪くした様子もなく、少しだけ考える。


「ただ知りたい、というのではいけませんか。今私が把握している、本当に小さな世界の中で何が起きているのか。そして、私に何ができるのか」


 おれは姫の、歳のわりには細すぎる頬を見た。身体の弱い、城からなかなか出られない姫。脚で駆け巡る代わりが、歌や、この地図やたくさんの羊皮紙なのだろうか。


「ですから、どうか、あなたたちがご存知のことを……本当の歌を私に教えてくださいませんか」


 おれは逡巡した。父親のドラシアン卿には既に報告し、歌からはいくらかの事実や、過激な内容を省くよう話をしている。だが、この穏やかな態度でいるただの病弱な姫に隠し事をする意味とはなんだろうか。


「私、外の世界をあまり知りませんから。歌だけが頼りです。あなた方の本当の活躍を知りたいと思っているの」


 お願いします。金細工の髪が揺れ、姫は立ち上がる。目を伏せたおれの前に来てしゃがみ込み、目線を合わせた。


 勇者は、どんな相手とでもしっかりと目を……。


 眩しかった。青い目はやはり話に聞く海の色で、ここまで近くで見られれば、太陽に近づきすぎた小鳥のように灼かれてしまいそうだ。


「魔王遺構の影響で困っている方が、大勢いらっしゃるのは存じています。皆が安心して暮らせるようにできたら、それはもちろん嬉しいわ」

「……もし、その誰かが遺構にいたとして」


 ちょっと、ルーさん、とレナルドが慌てた。


「その相手は、どうするんですか。退治をしますか。それとも……」


 きょとん、と表情が幼子のようになった。ボーを思い出す。


「待ってくださいね。それ以外のやり方があるかもしれないというの?」

「たとえばの話です。話が通じる相手で、理由があってやっていることだったら」

「それは……」


 ぱっ、と顔が華やいだ。


「それは素敵ね。すごいわ。ちゃんと話せるなんて、私が何も知らないことを教えてもらえるかもしれないということでしょう?」


 ほ、と息を吐く。なんとなくわかった。この姫君に何か攻撃的な野心はない。ただ、ただ知りたいという言葉通りの人間なのだ。少なくともそう信じたいと思った。


「レナルド、話せ」


 なんで僕が、ともごもご言っていたが、概ねおれと同じようなことを思ったのだろう。何より、隠し事をするより本当のことを話してしまいたいのはレナルドの方だってそうに決まっている。


「……我々が遺構に入った時のこと」


 リュートはさすがに控えたが、普段よりも粛々とした語り口で語り部は見事に歌の欠けたところを補足した。よく覚えているものだと感心する。簡単ではあるが、スウリの話をし終えると、席に戻ったシャルロッテ姫は小さく拍手をした。


「そうなの。魔の者がまだ残っているのは知っていたけれど、今も遺構に関わっていたのね」


 本当に興味深いお話、と周りの羊皮紙をばさばさとかき集める。


「その、魔の者というのは……?」

「昔から、私たちとは折り合いが悪かった人たちがいたと聞きます。その中から魔王が生まれ、人に仇成す遺構をいくつも作り、魔物を生み……ええと、そう。でも、私たちや昔の勇者様は、彼ら全てを滅ぼしたわけではなかったはずです。ですから……」


 私たちは当然、恨まれているでしょうね。悲しげな声で続ける。


「でもそのスウリさんは、理があって動いてらっしゃるようなのね。危険ですけれど、何とか止められないものかしら」

「姫様もそう思いますか」


 レナルドが身を乗り出す。


「悪い子じゃないとは言いません。でも、魔物を使って土地をめちゃくちゃにしてやろうとか、そういうことを考えてるわけじゃなさそうなんですよ」


 シャルロッテ姫はうなずき、壁の地図を見た。遺構らしき印のうち、いくつかはさらに赤い丸が横にある。


「あの赤は、ここ最近大きな魔物が出たと報告があった場所です」


 見て、西から東の線になっているでしょう。細い指が宙を辿る。おれたちが通ったコオルネの遺構の北東に少し離れて、山の中に大きめの遺構があった。


「次はあそこではないかと思うの。もしかしたらスウリさんに会えるか……そうでなくとも、痕跡を掴めるかもしれません」

「……すごいですね」


 おれの間の抜けた感想に、姫はくすりと笑った。笑ってくれた。


「こんなことばかり、考えております」

「待ってください、ここって……」


 慌てた声を上げたのはレナルドだ。おれもすぐに気づいた。北東の山脈。


「赤竜が棲んでいる山、ですよね?」


 ええ、とあくまで姫は穏やかだった。加えてとんでもないことを言い出す。


「ついでのことですから、お願いも頼みたいわ。お友達にお手紙を持って行ってくださいな」

「お友達なんて、あんな山奥にいる……いらっしゃるんで?」


 おそるおそる聞いてみる。


「ルーさん、そんなことも知らないんですか」


 お前に聞いたんじゃないと言いたかったが、堪えた。


「有名な話ですよ。シャルロッテ姫のご友人は……」


 こほん、とやけに引っ張る。


「赤竜グログウジュその人なんですよ」


 何か言おうとして、口を開けたままでいた。人ではないだろう、などと言っている場合ですらなかった。どういう交友関係を持っているんだ、この姫様は。


「お願いいたします。勇者様……」


 彼女は言いかけて、また指を顎に当てて少し考える素振りをした。


勇者様と、語り部様」


 ね、と悪戯っぽく笑う様に冷たい言葉をかける勇気など、おれには残っていなかった。


 断言をしたい。おれは腰の名無しの剣アノニム九頭蛇ヒュドラー岩巨人ゴーレムを打ち倒した、一応は勇者の端くれのつもりであるが……。


 これまでのどんな敵よりも、この姫君の方が強かった。そう思う。

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