第10話 岩巨人
異変はすぐにわかった。音だ。
遺構の中に響き渡る音が異様に冴え渡り、中に聞き覚えのある音色が混じっていた。ハープの囁くような調べだ。あの少女がここにいる。奥にまた人影がある。広さや構造の単純さは、以前見た場所と同じような形だった。
「堅き巌、寄り集まりてさらに堅く、人の形取りて人にあらず」
声が凛と鳴った。おれはその言葉を遮るように叫ぶ。
「おいっ、また魔物を呼ぶつもりか!」
「現れ出でよ
遅かった。集まりつつあった瘴気の塊は、さらに濃さを増し捻じれ固まり、巨大な人型を取る。先だってはわかりにくかったが、今はよく理解できた。あの少女の言葉が呪文のように働き、魔物を形にするのだ。
本物の魔物になる前に、散らしてくれようと剣を構えたその時だ。
かたり、と小さな足音がした。おれでもレナルドでもない。振り返る。誰かが侵入してきたのなら大事だ、と。
そこに立っていたのは、小さな子供だった。ラフィーネの養い子、ボーだ。彼は今まさに生まれようとする魔物の姿に、かたかたと震えていた。先ほどの道端で戻っていったはずが。
「ついてきちゃったの!?」
レナルドが頓狂な声を上げ、リュートを用意しながら子供を背に庇う。
「ええっ、何、子供?」
聞き覚えのある少女の声もまた、驚いたのか上擦っていた。
「ちょっと待って、聞いてない」
「安全なところまで逃がす。魔物を止めろ」
「無理。もう出来上がってしまっている」
「せめてあの子たちだけ外に出させろ!」
「入り口が開けば魔物も出ていく、そう組まれている!」
向こうにとっても想定外で、望ましくはない状況だということはわかった。だが、瘴気は既にごつごつとした岩肌を持つ
「語り部、ボーを頼む」
息を呑むような声の後、はい、と返事が来る。上手く外に出せればいいのだが、その場合巨人の動向がどうなるか未知数だ。出ていくと言っていたが、そのために何をしてくるかわからない。
剣を抜き、巨人の前に立ちはだかる。これでおれだけを狙ってくれれば良いのだが。
ガギン、と音が鳴って、剣に拳が叩きつけられた。受け止めるが、重たい。何度も鉄の音が鳴る。このままではおれか剣かどちらかが保たない。
「おい、勇者の伝説だ。何か
「……ええと、勇者剣を閃かせ……どこかに名が刻まれている、それを消してやるんです」
「どこだ!」
「そこまで考えて歌ってくれなかったんですよ、昔の語り部は!」
くそ、とそれらしきところを狙う。額。首。背中。だが、剣は固い腕に阻まれてしまう。目を凝らして探しても、なかなかに見当たらない。体勢が崩れて、壁に肩がぶつかった。子供が泣く声が聞こえる。
くそ、こっちがどうあれ、向こうからすれば頼れる勇者様で、今は唯一の命綱だ。ここで倒れているわけにはいかない。何とか踏み止まって……。
待て。やけにボーの泣き声が近く聞こえる。先ほどよりもよほどだ。
遺構に溢れていた音の気配が、弱まっている。さらに言えば、中心にあったはずの音がひとつ、足りない。
ハープの音が消えていた。
「……子供まで害するつもりはない、から」
少女が、ハープを抱えてこちらに向かってくる。
「でもここまで。味方はしない。表の人間がどこまでやるか、見せてもらうから」
そうして、壁に寄り掛かってそのまま腕を組んだ。観戦の姿勢でいるらしい。上等だ。
「レナルド!」
おれはおれの語り部の名を呼んだ。
「
「無茶を言いますよね!」
言いながらも、宝玉が転がるような音色が遺構に満ちる。おれの腕に力が満ちる。巨人の腕を押し返すほどには、やれる。それほどにこの音は力強かった。
いけるか、と思う。同時に、まだだめだ、とも理解する。手ごたえがない。レナルドの言葉通り、この巨人には明確な弱点があるに違いない。そこを突かなければじりじりと押され返してしまうだろう。
「おい、そこの……」
観戦気分の少女に話しかけようとして、名前を知らないことに気づく。野郎だとか女だとか呼びかけるのはやや憚られた。だが娘さん、だのと優しくしてやるつもりはない。
「銀髪」
これでも礼儀を尽くした方なのだが、少女は頭巾の下で顔を顰めたように見えた。
「スウリ」
名前なのだろう。短い呟きが返ってくる。
「スウリ、こいつの弱点は何だ!」
「さっき言ってた。名前を削りなさい」
「名前はどこだ!」
「私だって知らない。私が計算して作ったものじゃないから」
ぴい、と泣き声が高く響いて、リュートの音を、共鳴する厳かな響きを僅かに削いだ。のしかかる腕が重くなる。支え切れるだろうか。額に汗が滲んだ。
「がんばってえ」
小さな声が重なった。
「がんばって、勇者さま。負けちゃやだ」
それは、もちろん子供だって打算があり、必死にもなるだろう。無力な自分を助けられるのは、居合わせたおれたちだけなのだから。だが、その声はおれに予想外の力を与えた。
そう、おれたちだけなのだ。
一瞬弱まった音楽は、再び力を取り戻す。レナルドが何か歌っている。本来なら場違いですらあるその声も、おれに活力をくれた。
「……魔物は遺構に属し、遺構は歌に従う」
鉄を弾く音の合間に、少女の……スウリの苦々しそうな声が、耳に届く。
「物語の魔法。歌えば叶う、定められていないことなら」
レナルドのリュートが、微かに音色を震わせる。おれはここに来てからの会話を思い出していた。
(嘘を歌っていた間の僕は、僕の語り部としての気持ちを曲げて……ずっと曲げ続けて……)
(まるでどこかで読んだ物語の写本でも写すような気持ちで、歌を作っていました)
ああ、あいつはそうだ。起きてもいないことを造らされて歌わされるのが嫌なんだったっけな。それも、自分の手で事実を捻じ曲げるのはもううんざりなんだろう。
犯した罪に追われて、正そうとしたことでまた責めて、忙しない、仕方のない、どうしようもない……『人間』だ。
「レナルド、これは違う。これから起きることを変えるんだ」
ギン、と弾かれた剣が宙に弧を描く。そのまま腕をしならせてもう一度正面に構え、次の攻撃に備える。その後は……できれば攻めに回りたかった。剣が耐えるうちに。
「羊皮紙に新しい絵を描くように歌え、決まった写本じゃなく、新しい物語を」
拳が叩きつけられる。おれは転がり、そのままなんとか起き上がった。二人に巨人を近づけてしまった。ここからなんとか持ち直して――。
「おれの物語をお前が作るんだよ!」
息を吐き出して、吸う。その呼吸の合間に歌は流れた。
言葉はどうやら、砂にならずに届いた。
「勇者の眼光鋭く、ひたと敵の目を見据えたり」
おれは顔を上げる。おれはおれの語り部の言葉に従った。
「巨人の目また鋭くも、その奥に見つけたり」
視線を合わせる。窪んだ穴のような目の奥に、ちかりと光が見えた。それで十分だった。
「魔の力刻まれしその瞳、その奥の真の名を――」
おれは跳んだ。
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