第2話 帰路と運命
帰りの飛行機の座席に座りながら、俺はあの少年と少女のことを考えていた。あの、空腹に震える姿。寿司がどれだけ遠い存在なのか、その無力さに胸が締めつけられる。
「もっと……もっと、寿司を届けなければ。」
その思いだけが胸に渦巻き、同時に俺は疑問を抱えていた
この想いだけで、世界を変えることができるのだろうか?もし帰ったとして、何ができる? 何が変わる?
「きっと……何かが、変わるはずだ。」
自分を励ますように言葉を口にして、天井を見上げる。
だがその直後、突然、機体が大きく揺れた。
最初は軽い揺れだったが、すぐにそれは強さを増していった。周りの乗客が驚き、何かをつぶやく。
「あれ……?」
予感がよぎる。 だが、次の瞬間、飛行機が大きく傾き、身体がシートに押し付けられるような感覚に襲われた。シートベルトがギュッと胸に食い込み、俺の呼吸が止まった。
「えっ……!?」
周りの騒ぎが耳に入らない。窓の外を見る暇もなく、ただ激しい揺れが続く。身体が前後に揺さぶられ、心臓が一気に高鳴る。手のひらに汗がにじむ。
「これ、マズいんじゃ……」
声にならない声が漏れ、目の前がぼやける。 だんだんと揺れが激しくなり、機体が左に右に、異常なほどに傾いていく。乗客たちはパニック状態で座席を掴んだり、何かを叫んだりしている。キャビンアテンダントが冷静に指示を出しているのがわかるが、その声が遠く感じる。
「シートベルトをしっかりとお締めください!」
その言葉が、かすかに耳に届く。
だが、俺の心臓は激しく跳ね上がり、思考が一気に混乱した。
「嘘だろ……こんなことが……」
機体の揺れがさらに強くなり、頭を下げようとするが、強い重力に身体が逆らう。呼吸が浅くなり、冷や汗が額に浮かぶ。次々に響く金属音。機内が悲鳴のように鳴り響く。
「……死にたくない!!」
その言葉が頭を駆け巡る。俺は恐怖に支配され、息が詰まる。顔面が青ざめ、手が震え始める。
「無事でいてくれ……」
それでも、何かしら願いをかけるように心の中で必死に願いをかける。だが、揺れはますます激しくなり、まるで飛行機が、まっすぐに地面に向かって落ちていくかのような錯覚に陥る。目の前が歪んで、空気が薄くなっていく。
息が苦しい。耳鳴りがして、何も聞こえなくなったような気がする。
「頼む……頼む……」
無意識のうちに、口を動かしていた。だが、言葉は届かない。むしろ、呼吸が乱れるだけだった。機体の揺れが、ピークに達したとき、ものすごい衝撃が走った。座席が一瞬にして、身体から浮き上がり、再び重力に引き寄せられる。
その瞬間、胸に鋭い痛みが走り、視界が暗くなる。何かが、崩れ落ちていく音がした。
「まだ終わりたくない……」
意識がだんだんと、遠のいていく中で、頭の中に走馬灯が浮かんだ。
それは過去だった。
修行時代、厳しい師匠の目の前で、何度も包丁を振るった。 手が震え、汗が頬を伝う中で、ただひたすらに握り続けた。魚の種類も覚え、切り方を覚え、寿司の形を完璧に整えることだけを考えた。何度も何度も、試行錯誤を繰り返した。
「お前が握るのは、ただの寿司じゃないんだ! 一つ一つに魂を込めろ。」
師匠の声が響く。
確かに、あの時は寿司を握ることに全てを捧げていた。だが、その先に何を求めていたのか、未だに自分でも分からなかった。
一度、俺が握った寿司を食べた老人がこう言った。
「おいしいな、これが本物の寿司か。」
その言葉が、嬉しくてたまらなかった。誰かが本当に心から「おいしい」と言ってくれること。それが、俺がこの仕事を選んだ理由だった。
だが、だんだんと、違和感を感じるようになった。
銀座の高級店で握っていた寿司は、もはや金持ちの道楽の一部になっていた。大金を払って食べる寿司には、果たしてその人の心に届いているのか、という疑念が芽生え始めた。
金持ちのアクセサリーとして消費される寿司。 笑顔や感謝の言葉はあるが、その背後にある本当の意味を見失っていた。
その瞬間、心に深く刻まれたのは、貧困国で見た少年少女の姿だった。彼らは、空腹に耐えながら、わずかなパンの欠片を分け合って生きていた。そんな光景を目の当たりにしたとき、俺の心の中でひとつの思いが確かに芽生えた。
「こんな世界で、寿司は遠い存在だ」
本格的な寿司を食べることができるのは、ほんの一握りの人たちだけ。一部の人間の道楽として、誰もが気軽に楽しめるものではない。でも、あの子たちのように、飢えに苦しんでいる人々には、そんなことすら想像できないだろう。
それが、俺の心を強く動かした。こんな世界で、誰もが本物の寿司を食べられる場所を作りたい。そして、寿司を通して、どんな人にも笑顔を届けられるようにしたい。
そんな思いが、あの瞬間からはっきりと見えてきた。
「俺のこの手は、もっと多くの人を救うためにあるんだ。」
寿司を誰もが喜び、楽しめる場所を作りたい。その思いが、この先の人生の全てを変えるきっかけになると、心の奥で確信していたのに。
「まだ終わりたくない……」
飛行機の揺れが激しくなるにつれて、そんな願いも叶わぬまま、俺は冷たい空へと引き寄せられていった。
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