第46話 総力戦



1939年12月、市ヶ谷、皇軍省。



「西澤軍需局長、お待ちしておりました。皇軍省戦争経済研究所へようこそ、わたくしは研究所所長を務めさせていただいている星野直樹と申します」


その部署があったのはつい最近竣工した皇軍省本庁の建物ではなく、プレハブの仮設庁舎、本庁が出来るまで皇軍省が置かれていたところである。出迎えたのは軍人でも文官でも無く、これまた皇軍省には珍しい民間人だった。


「ああ、お邪魔させてもらおう。受け入れていた研修生の方はどうだ、上手くやっているか?」

「それは勿論、皇国みくにの未来を担う逸材揃いですので。各々分析研究に努めております、研究成果の進捗状況を確認するために何度か机上演習の予行も実施しました」


星野は西澤を研究室へと案内する、道中見かけたのは軍人の風貌ではない者ばかりである。これは西澤の軍需局長という権限を使って、そして伏見宮殿下のコネを少々借り軍官民問わず広く研究者を集めた結果であった。設立云々は皇軍省に任せていたが、人選などには一応西澤も関わった。


「で、肝心の結果はどうなった? 対米戦の演習シミュレーションを要望していたが」

「はい、それをご覧になっていただくのも今回の招待の目的ですから。隅々まで報告させていただきます」


廊下の突き当り、上の壁に『戦争経済研究部』とプレートがある扉を開き、星野と西澤は研究室へと足を踏み入れた。待機していた研究員が姿勢を正すが、やはり軍隊生活に慣れている西澤にとって彼らの所作は子供の見まね程度にしか見えない。


20m四方はあるのではないかと思うぐらい広い部屋の中央には、大きな机が置いてある。どこか海軍艦艇の司令室の図上演習を思わせつつも、机の上にある地図は使っていないようだ


「軍需局長の西澤だ。早速だが研究結果の報告を願おう」

「は、こちらがその資料と結果です」


研究員の一人から資料を手渡される、西澤と星野は中央の机を囲んでいる長椅子に腰を下ろした。黒板に張ってある資料を指し、研究員達は報告を始めた。


「まず結論から申し上げますと、我が国がアメリカに対し総力戦で勝つことは不可能です。現在我が国は石油の76.7%をアメリカから、14.5%を蘭印から輸入しており、また鉄、ニッケル、ボーキサイト、ゴムといった戦略資源のほぼ全てを海外、それも仮想敵国からの輸入で賄っています。戦争となればこれらの輸入は途絶し、満州で幾らかは賄えるでしょうが、兵器の生産もままならなくなります。対するアメリカは国内でそれらの戦略資源をほぼ自足出来ており、工業力の面で見ても自動車を例に取ると我が国は年間4万台程ですが、アメリカでは年間300万台に突入しようとしています。これらの生産工場は戦時には装甲戦闘車両やトラック、そして航空機の生産に転用できるため、純粋にそれらの生産力で75倍もの差が開いているということです」


それは西澤もよく知っていることである、だからこそ現実逃避に軍が精神論に走ってしまうのも痛いほど理解している。西澤自身量産量産と言ってきたが、半世紀遅れの産業革命から始まった国内産業には限界があり、また戦略資源も外部依存、どう足掻こうがアメリカに追いつくことは向こう四半世紀、いや100年はあり得ない。


「肝心の軍備については軍縮の影響もあり、初戦においては互角に戦うことも可能ですが、1年半もすると消耗が生産を追い越し、またアメリカの巨大な軍産複合体から生み出された膨大な兵器によって数も揃い始め、いよいよ形勢はアメリカに大きく傾き逆転は完全に不可能になります」


報告はかれこれ2時間に及んだ。演習では模擬内閣を作り各研究員にそれぞれの役職を与え、同じく敵国側にも模擬政府を作り、戦争がどう推移するかを研究したが、最終的にはどのように立ち回っても敗戦しか無く、日本のアメリカの足元にも及ばない国力では勝ち目が一切存在しないことが明らかになった。


分かっていたことだが、実際に数値化、戦争結果を示されるとでは訳が違う。結局量産主義というのは産業の表層を整形するだけであり、根本的な解決には至らない。いや、根本的な解決というものはつまり国内産業、工業技術の発展であり、それこそ一体何世紀必要になるのだろうか。


「対米戦争は絶対にあってはなりません、負け戦に身を投げることなどしてはならないことです、それが良くお分かりになったでしょう。海軍の方は知米派が多く、実際に戦争となったら敗けると分かっている人は多いのですが、具体的にどのぐらい善戦できどのぐらいで劣勢になるのかはよく理解されていないようですので。参考になれば幸いです」


星野所長がそう口にする。西澤はあることを思い付いた、それは半分は子供じみた妄想の好奇心であり、もう半分は今の世界と日本の世論を鑑みてのことだった。


「ああ、参考になった。ところで演習について1つ願いがあるのだが?」

「軍需局長は何かご注文があるのでしょうか、何なりとお申し付け下さい」


立ち上がり、部屋中央の大机の方に向かう。広げられている世界地図を覗き込むと、何を言い出すのかと緊張している研究員達に向かって言った。


「戦争は一国対一国で行われる訳では無い、この演習も戦争終盤にはソ連が参戦してくると予測したな。亜細亜に植民地を持つ英仏も介入してくるだろうし、また隣国も無関係というままに、そう上手くはいかないだろう」


どこかの某氏の『満州領有論』が頭に浮かぶ、だが、満州だけではとても足りない。もっと、もっと多くの資源と労働力が必要だ。


「そこでだ、少し条件を変えてもう一度演習を行ってくれ。ほんのちょっとだけ数値を弄るだけだ、簡単だろう?」




※ ※ ※




1940年3月、某料亭。




新聞では連日第二次欧州大戦、英仏とドイツの戦いがとり上げられているが、ポーランドでの戦い以降戦線は一切動いておらず、人々はこれを奇妙な戦争ファニー・ウォーと呼んだ。それに代わって注目を集めていたソ・フィン戦争もフィンランド軍は善戦はしたものの、マンネルハイム線が突破されたことにより実に呆気なく終結し、ソ連はここ半年でバルト三国とカレリアを領土の版図に加えることになった。


「だから、それらの影に、地球の裏側で多少事を起こす程度では、目をつけられることは無いと踏んだ。そうでしょうね、板垣


西澤の目の先には、かつての満州事変で計画石原、実行板垣と言われたその板垣征四郎がいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る