第10話 撃つ者、撃たれる者


一九三六年二月二六日、陸軍歩兵第1連隊の一四〇〇名強が蜂起。


首相官邸、各大臣の私邸、新聞社などに兵を向かわせ、要人の殺害と政府中枢の制圧を目論んだ。


岡田啓介総理大臣が居た首相官邸にも三〇〇あまりの兵が向かっていた。

町中を武装した兵士が列をなして進んでいくものだから、周囲に居た一般人は何事かと騒ぎになったが、それが警察機関に伝わる前に、首相官邸に襲撃部隊は到着した。

そもそも警視庁にも部隊を向かわせており、気づく前に警察は行動できなくなるだろう。


しかし、その襲撃部隊を指揮していた栗原中尉は、そこで予想外のものを見た。

完全武装の歩兵が、首相官邸の周りを囲むように展開しているのだ。

反乱軍の兵士たちが小銃を構えるが、それよりも早く銃声が響いた。


威嚇射撃だった。


「武器を捨てて今すぐ降伏せよ!貴官らの行為はれっきとした反逆である!国賊に情をかけるつもりは無いが、武器を捨てればそれ相応の処遇を約束する。武器を捨てて降伏せよ!」


首相官邸内からぞろぞろと兵士が飛び出し、反乱軍を包囲した。

路肩に降り積もった雪に軍靴の足跡が刻まれてゆく。


「まさか...」


反乱軍の兵士も、栗原中尉も、向かい合った兵士たちが自分と同じ軍ではないことに気づいた。

彼らは三八式小銃の他に、ドラム型弾倉が特徴的なベルグマン式機関拳銃を装備し、陸軍の国防色の軍服とは異なる、青褐色のそれに身を包んでいた。


「海軍陸戦隊か!?」


何故海軍が此処に? まさかこの計画を事前に察知していたのか? 栗原は想定外の事態に頭を抱えた。

だが、彼の思考もそこまでだった。官邸の二階に待機していた狙撃兵が発砲、三八式小銃の6.5ミリ弾が彼の右肩を貫いた。


雪に血潮が飛び散り、彼は肩を抱えてその場に倒れた。他のめぼしい青年将校も致命傷にはならないところを撃たれ、悲鳴を上げている。

陸戦隊がさらに射撃をする素振りを見せると、反乱軍の兵士の間にも動揺が広がった。

指揮官を失った反乱軍は、完全に混乱状態に陥っていた。


第一歩兵連隊には機関銃小隊もあり、反乱軍でありながらもそれなりの武装を持っていたのだが、如何せん指揮官を失ったことで混乱していた。


一人の兵が小銃を手放し、両手を上げた。

それに釣られるように、隣の兵士が銃を置くと、更に隣の兵士もそれを見て銃を置いた。水面に水滴を落としたように、その波紋は隣へ、隣へと伝わっていく。


もともと、兵士の中には成り行きで加わってしまっていた者も多く居た。

戦意は大して高いわけでもなく、現状をよく理解していないものが大半だ。


数分後、首相官邸を襲撃しようとしていた陸軍第一歩兵連隊の三個小隊は武装解除、完全に降伏した。



※ ※ ※




「しかし、 よくやりましたね」


首相官邸内、双眼鏡を当て、漆原大佐は降伏していく反乱軍を見ていた。

  

「この戦力じゃ守りきれるかどうか不安だったが、反乱軍はそこまで戦意があるわけではないようだったからな。犠牲も最小限で済んだ」


西澤は、奥で伏見元帥と共に反乱軍の様子を見ていた岡田首相の方にも目を向けた。

首尾よく反乱軍が鎮圧されたので驚いていたが、ご無事で何よりだった。


西澤も漆原も艦政本部務めで、本来はこのようなことには関わるはずが無かったのだが、話は三日前に遡る。


長谷川次官から陸軍青年将校が蜂起する可能性があると聞き出した伏見軍令部総長は、陛下に上奏すると共に鎮圧のために横須賀鎮守府に陸戦隊を編成するように命じた。

陸戦隊の武器や車両は勿論艦政本部の管轄であり、艦本総出で準備をすることになったのだ。


しかし第一師団は陸軍であるから海軍が踏み込むわけにもいかないし、蜂起しない限りは決定的な証拠も残らない。

そのため陸戦隊は予め反乱軍の襲撃目標に展開し、その上で鎮圧を行うことになった。岡田首相は当初こそ完全武装の兵士が大量に入ってきたので困惑していたが、同じ海軍軍人のだけあって直ぐに了解してくれた。


一方、当の陸軍には情報が回っていなかったのか、陛下への上奏はしたものの、勅令が降る前に反乱軍が決起した形だ。しかし、陛下は事前に大海令を出し、伏見軍令部総長を海軍の反乱軍鎮圧責任者に任命していた。


「大蔵大臣、内務大臣、教育総監の各私邸に来た襲撃部隊も鎮圧したようです」


官邸に展開している電信班が、首相に状況を知らせた。警視庁には陸戦隊は置いていないが、事前に知らせてあるので機関銃なり拳銃なりで防御を固めているだろう。

残すは...一つ。


「そうか...あとは陸軍大臣だけか」


「少なくとも、これから陸軍がどう動くかによって政府の出方も考えなければなりませんぞ、岡田首相」


戒めるように言ったのは伏見宮博恭王、海軍軍令部総長だ。


「改革の意思があるともいえど、彼らは逆賊。万が一にも陸軍が彼らの味方をするような事態が起これば、陛下の意思にも反し軍が内政に介入することになる。海軍としては政府、もとい岡田首相には、理性ある対応を望むと言っておきましょう」


岡田の方が年齢的にも海軍最長老だが、権力的には伏見殿下の方が海軍の実権を握っているに等しい。


「伏見軍令部総長、お言葉感謝する。私としても、反乱軍の所業に手を貸すつもりはない。問題は陸軍がどう動くかだが」


ほぼ同時刻の五時半頃。陸軍省、陸軍大臣官邸に一〇〇名あまりの襲撃部隊が到着、部隊を率いていた香田大尉は陸軍大臣に面会を求めた。

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