最終話

 ダストが飛び出した後、呆然としていたエドウィンは我に返ったあと、弾かれたように後を追った。


「おれの血ではない。」


 あの言葉の意味は――。


 息を切らしてダストを探していると、路地裏辺りで異様な人混みが出来ていた。邪魔だと思っていると、ぐったりとした女が見える。しかも、血塗れの。警備隊に抱えられた時、女の顔がはっきりと見えた。女の指には赤い石の指輪がはめられており、血にぬれて鈍く光っている。エドウィンは絶句した。


「メアリー……。」


 それはエドウィンの母が代々受け継いでいた指輪を、彼の妹へと譲った物だった。

 エドウィンはメアリーに駆け寄る。

「メアリー……メアリー!」

「お知り合いですか?」

「妹です。生き別れの……。どうしてこんな事に……。」

 警備兵に尋ねられて、困惑しながら答えた。警備兵は気の毒そうに言った。

「ここいらで客引きをやっていた私娼だそうです。数時間前、綺麗な男をひっかけて自分のねぐらへと連れ込んだらしいのですが、おそらくその男が下手人でしょう。」


 綺麗な男。


「砂色の髪をした?褐色肌の?」

「目撃者はそんなことを言っていました。」

 愕然とした。何故。そればかりが頭を埋め尽くす。

 何故妹は殺されなければならなかった。何故彼は殺した。何故。何故。

 錆びたナイフと、血で汚れた袖口。

 彼が妹を殺したのは間違いないだろう。

 エドウィンは覚束ない足取りで、しかし確実にダストを探しに歩き出した。


 見られた。見られた。見られた。

 凶器を。血を。

 死体は特別隠す気もなかったからすぐに見つかるだろう。自分が殺したことは町の人間にすぐに知れるだろう。そんな事はどうでもよかった。だが自分の行いを彼に知られてしまった。もうそばにはいられない。


 ダストはひたすら走った。辺りは真っ暗だった。星一つ見えない。町はとっくに出ており、境界を表す小さな橋の辺りまで彼は走ったが、血を吸ったその体はひどく重かった。

「はあ、はあ……っつ!」

 もたついた足が絡まってダストは転倒してしまった。忌々しい足だと思った。見れば右脚にひびが入っている。

「血が足りない……。」

 暗闇につぶやくと自分の影が現れた。誰かが後ろからダストを照らしているのだ。ゆっくりとダストは振り向く。

「あの女……。商売女を殺したのは君か。」

 エドウィンだった。存外に静かな声に、戸惑いながらダストは頷く。エドウィンの表情は見えない。小刻みに震えるランタンとその手元だけが見えていた。

「なぜ殺した。」

「…………。」

 今更ながら化物だと知られたくない気持ちが勝り、ダストはうつむき、黙っていた。エドウィンはため息をつく。

「メアリー。」

 ダストは不思議そうに顔を上げる。ランタンに力がこもるのが分かった。

「君が殺した商売女の名前だよ。」

「それが……何だと……。」

「おれの生き別れの妹だ。」

 ダストは目を見張る。あの女が、エドの妹?それはつまり――。


 ああ。おれはもう許されない。


 ダストの体から、力が抜ける。

 淡々と、エドウィンは語る。

「おれの父は遠く東の国の領主でね。おれは跡取りだった。だけど父は欲を出して他の領地に手を出して、その戦で負けてしまった。逆に領地はとられ、おれ達家族は生き別れになった。その時せめてもの家族の印にと、妹には赤い石の指輪が贈られたんだ。おれは何とか生き抜いたけど、妹は私娼に身をやつしてしまっていた。それが君が殺した商売女だったんだよ。」

 ぐいと胸ぐらをつかみ上げられ、そこで初めてエドウィンの顔が見えた。

「私娼になってまで生きようとした妹の強さと悲しさを思うと胸が痛い。」

 見たことのない、怒りの顔だった。

「何故殺した!おれの肉親だったんだ!彼女が君に何をしたって言うんだ!」

 エドウィンの黒い瞳から涙があふれる。怒りか悲しみか、あるいはその両方か。ダストには分からなかった。

「怒りでも涙が出るものなのだな。」

 場にそぐわないほど、いつもと変わりない調子でダストがつぶやく。

「怒り?ああ、怒っているとも。でもそれ以上に悲しい。」

「妹が死んだからか。」

「そうだよ。でもそれだけじゃない。」

 かぶりを振りながらエドウィンは答える。濡れた瞳でダストの砂色の瞳を見つめる。

「妹を殺したのが、他ならぬ君だからだ。」

「誰が殺そうと、妹が殺された事には変わりないだろう。悲しみには変わりない。」

「違う!おれの特別な友人の君が……妹を殺したからだ!」

 どん、とエドウィンの拳がダストの胸を打つ。鼻水交じりの声でエドウィンは再び訊いた。

「どうして。メアリーを……殺したんだ。」

 もう黙っていることは出来ない。どうせ許されないのだから。何よりダストは深い悲しみにあるエドウィンの姿を、これ以上見ていたくなかった。だから右脚のひびを見せながら言った。恐ろしく、冷酷に。

「血が必要だったからだ。」

 ダストはランタンを持つエドウィンの手をとり、ゆっくりと自分の右脚へと導く。エドウィンは最初は不思議そうにしていたが、やがて眼を見開いてひびを見つめた。

「身体が乾くとこうしてひびが入るようだ。おれが人間の姿でいるには、人間の血が必要だった。」

 見開いた目が、今度はダストの瞳へと移る。

「お前は最初に言っただろう。手足だけの化物を見に来たと。それはおれなんだよ。元々はただの砂塵だった。偶然かわざとか、もう忘れたが、追いはぎにあって殺された男の血に触れた。するとどういうわけか砂が固まって人の形を成したんだよ。それでおれは、血を得れば人間になれる、そう思ったんだ。」

 触れていた手を放す。ダストは目を伏せて語る。

「それから血を求めて彷徨った。そして荒廃した村に訪れた旅人を殺した。その血を浴びてこの姿になった後、お前と出会ったんだ。お前があの時おれに笑いかけてくれなかったら、お前も殺していたところだった。」

 エドウィンは黙っていた。何を考えているのか、ダストには分からない。

「では君は、おれも殺そうというのか。」

 全く予期していなかった言葉に、ダストは困惑する。

「何故おれがお前を殺さなければならない?おれに笑いかけてくれるお前を、何故?お前があんな風に笑っていてくれるから、おれはいっそう人の姿のままでありたいと思うようになったんだ。」

 ダストは両手でエドウィンの頬を包む。エドウィンはわずかに、すり、と身をよじり、そしてダストの手を頬から外した。

「じゃあやっぱりおれの事も殺すんだね。」

 冷たい声と瞳でエドウィンはつぶやいた。

「おれはもう君に笑いかける事などない。」

 その言葉と共にダストは押し倒された。そしてエドウィンはダストの顔を体重をかけて右拳で殴った。

 ぴしり、とダストの顔にひびが入る。今度は左拳で殴る。更にひびが入る。ダストの表情は変わらない。

 ぽたり、ぽたりとダストの顔に水滴が落ちる。エドウィンは泣きながら殴り続けていた。ダストは一切抵抗しなかった。ただ、砕けていく顔が砂に戻り、さらさらとこぼれ肉体の重さがなくなっていくのを感じていた。

 はあはあとエドウィンはひとしきりダストの顔を殴った後、彼の顔を見た。半分は砕けて砂になっている。口元や目元は、ひびこそ入っているものの、砕けてはいなかった。

「どうだい、これで、君は、おれを殺すしかなくなった。そうだろう?人でありたい君を壊しているんだから。」

 息も絶え絶えにエドウィンは言う。未だ涙を流しながら。砕けていないダストの右手に、いつの間にか落としていた錆びたナイフを持たせながら。

 ダストは半分の口元で、嗤った。

「どうして笑う!」

「おれにお前を殺す気なんて、端からないからさ。」

 エドウィンは呆然とした。

「言っただろう?おれはお前の笑う顔が好きだ。ずっと見ていたかったさ。だから人でない事がばれないように、血を得るためにお前の妹を殺した。だがそれは許されない事だった。結果的に、おれはお前の笑う顔を二度と見られなくなったわけだが。」

「じゃあ君はおれの為に妹を殺したって言うのか?それじゃあ妹はおれのせいで死んだって言うのか!?」

「違う。殺したのはおれだ。おれのせいで死んだ。」

「違わない!!」

 どん!とエドウィンは強く地面を叩いた。さらりと風が吹く。砕けたダストの体が、風に揺れる。それを見たエドウィンは何故か狼狽した。エドウィンの手をいたわるように、ダストは彼の手を握る。

「おれが憎いんだろう?だったらおれを壊せばいい。それでお前の気が済むのなら。おれには他にお前に贖罪する方法が思いつかない。お前が罪の意識にさいなまれることはない。おれはただの砂だ。砂になった後は、風の乙女にさらわれるだけだ。」

「……。そうか。」

 エドウィンはそうつぶやいて、力尽くでダストの左腕をもぎ取り、地面へと叩きつけた。左腕はさらさらと砂へと形を変える。

 びゅう、と風が強く吹いた。風の乙女が砕けたダストの体をさらっていく。

「それでいい。お前の手で壊されるのなら、それがいい。もっとも、今この時すら笑っていて欲しかったが、それはもう叶わない。」

 右腕を、左脚を、右脚をエドウィンは次々と砕いていく。砂となった体は軽く、心地よかった。

 ふと何を思ったか、エドウィンは錆びたナイフを手に取り、ダストの心臓辺りを突き刺す。ナイフはあっけなく深々とダストの胸に突き刺さった。びくりとエドウィンが体を震わせる。

「そこを刺しても意味がない。壊せ。おれの全てを壊せ。」

 ダストは淡々と告げる。エドウィンはかぶりを振ってまた、涙をこぼした。ひく、とひきつるような声をエドウィンはもらす。

「――出来ない。」

 エドウィンはナイフを自分の首元へと持って行った。絶望の果てに自死をしようとしたのだ。だが彼の手は震えていてそれも出来なかった。

「おれにとって君は……。だから……。」

「全て壊せ。おれはお前の妹の仇だ。そう思えないのなら、おれが人たらんとする為に死ぬはずである人間の為に壊せ。」

 絶望の色をした瞳にランタンの明かりが反射する。鈍い動きでまたエドウィンはダストの体を壊し始めた。

 どれほどの時間をかけただろう。エドウィンの周りはほとんど砂だらけだった。残っているのは半分の口と両の目元だけ。思った以上の労力に、はあはあと息を切らしている。ざあっと風が強く吹いてそのほとんどが宙に舞った。

「まだ顔の半分が残っているぞ。」

 半分の口が、ひび割れた目でエドウィンを見つめて言った。

 エドウィンは息を整えると、丁寧な手つきで慎重にダストの欠けた顔を持ち上げ、振りかぶる。


 ああ、これで終わりだ。


 だが。ぴたりとエドウィンの動きが止まる。しばらくそうしていたかと思うと、突然がくりと力を失ったように両手を下ろした。そして、ダストの顔をまだ残っている砂の上に置いた。エドウィンの目元は赤く腫れている。やがて何を思ったか、エドウィンは自分の左手の親指の根元をぎちりと噛み切った。そこから赤い血があふれ、そしてそれをひびの入ったダストの右目に注いだ。たちまちダストの瞳は美しい砂色を取り戻した。

「何をしている?」

 エドウィンは答えず、自分の手に割いたシャツの切れ端を巻き付け、手当てを始めた。

「おい。」

 ダストの問いかけに、抑揚のない声でエドウィンは答える。

「おれには君を殺せない。」

 手当てが終わると今度は自分のマントをナイフで割き始めた。

「何を言っている?さっさと――。」

「いやだ。出来ない。だからこのまま君をそばに置いておく。」

 ダストが理解できないでいると、割いたマントで半分の顔を包んだ。目元と口元はわざと包まずに。

「この状態なら君は誰も殺せない。そうだろう?」

「おれはまだ生きている。仇なんだろう。」

「どうせ殺したって死なないんだろう?それに仇であっても、そう思っててもおれには殺す事が出来なかった。それほどまでにおれは君というものが好きなんだよ。」

「おれもお前の笑った顔は好きだ。だがもう笑いかけてくれる事はない。おれの存在価値など、もうない。」

 エドウィンは一度うつむき、ややあって、それから顔を上げた。それはもう、妖艶と言った顔でにっこりと笑った。ダストは息を呑む。

「お前は――。」


 狂ってしまったのか。

 

 そう問いかけようとした時、エドウィンは自嘲するように言った。

「おれは中途半端な男さ。妹の仇だって討てないほど。君の前で笑わないだって、そんな事すら出来ない。」

「何を考えている。」

「憎いとか悔しいとか、そういう気持ちは勿論あったよ。でも最終的におれに残ったのは、君と旅をしていたいという気持ちなんだ。でも君は血を摂取しないと干からびて砂になってしまう。それはいやだ。砂になって風の乙女とか言うのにさらわれるだなんて、いやだ。許せない。」

 エドウィンは包んだダストの顔を自分の目の高さへと持ち上げた。

「さっきも言ったように、この状態なら君は誰も殺せないだろう?」

「そうだな。」

「そして今の君位なら、おれの少しの血で直せる。」

「そのようだな。」

「だからおれは今の君と旅を続けることにしたんだ。」

 またにっこりと、エドウィンは笑った。その笑みには狂気が色濃く出ていた。ダストはそれでも、エドウィンの笑った顔が好きだった。


 お前が望むなら、そうしよう。


 ダストは狂ってしまった親友と共にある事を誓った。


「さあ、次はどこへ行こうか。」

 エドウィンはダストへ尋ねた。ダストは半分の顔で笑った。

「どこへでも。お前の望む所なら。」

 エドウィンはマントで包んだ半分の顔を左手に大事そうに抱え、右手でランタンを町とは別の方角へ向けた。

 

 くすくすと最初は忍ぶように。やがてあははははと木霊するように、二つの嗤う声が闇夜へと消えていった。

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嗤う声 梶とんぼ @kj-tombo

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