第2話 震える心臓

 先代、先先代の魔王様であれば、戦況自体はここまではひどくならなかったでしょう。

 戦線の拡大に伴う物資の不足、各戦場に共通した魔王軍の主力たるゴブリン、オーク、騎兵ゴブリンライダーの即成課程による練度不足、指揮官級の実戦指揮能力の低下……。

 魔王国そのもののみならず、この戦争に参加している各国全般の経済と政治は長い戦乱により大いに疲弊し、混乱しております。

 特にその根幹、国民の命を数として、生産される単純兵力としてのみ把握している状態となっている事はこの先の深刻な懸念材料の一つとなっています。

 そうして兵力と個人の戦果、武力のみに着目して戦線を任せた結果、ゲオルグ殿は腕を斬り飛ばされてしまいました。


 私個人といたしましては四天王最強の武力と、最前線での豊富な経験……優れた指揮能力を期待していましたが、彼は個の武力に突出した存在ようです。


 片腕のまま人間側のゲオルグ殿枠の英雄と打ち合い、左翼を持たせているのは流石というべきですが。


「周りの兵は武勇に当てられ、士気は保てているようですね。

 これ自体は魔族の強みと喜ぶべきか、蛮勇のみの指揮官に呆れるべきか」


 無理な戦闘はいたずらに犠牲を増やすばかり、かと言ってゲオルグ殿以外があの場の指揮官であれば左翼自体崩れていたでしょう。

 現魔王様は各戦線の四天王、またはそれに準ずる司令官がそれぞれに優れた戦歴がある為、その信頼はとても篤い。

 しかし、だからこそ戦争という場面ではとにかく突撃、とにかく暴れ回ると言った過度な消耗戦になってしまいがちなのです。

 ……まぁ、一部戦線だけならばその限りではありませんが。


 私が前線送りとなったのも、側近という高位職でありながら、その功績は主に内政に寄ったものばかりだった為でしょう。

 おやつのプリンはあくまで口実。

 実のところは口うるさいばかりの私に魔王様が辟易していた為、遠くに追いやったというところでしょうか。

 魔王様のお子ちゃま加減には困ったものですが、今この現状にも同じくらい困ってしまいますね。


「側近様、左翼に増援を送りますか?」


 副官がそんなことを提案してきますが……さて、全体を俯瞰して見ればそれよりも気になる点がいくつか……両軍のぶつかり合いはこちらから見て左翼ばかり、その左翼も敵方には新兵ばかりの急拵えの陣容です。

 英雄殿が有利にこちらを押し込んではおりますが、その絶好とも言えるこの局面においてもアリシア共同国側に新しい動きはありません。


「中央軍、右翼軍を前進。

 予備兵力のうち騎兵を左翼側面から後方へ斜陣掛けで抜けさせろ。

 以後は騎兵単体での遊撃行動、崩せると踏んだ場所へ自由に動け」


 騎兵の指揮者は副官の部下から選出した者に任せ、本陣自体もいつでも動けるように準備するように指示を出しておきます。


 私が赴任する前、この戦線は両軍共に明らかな消耗戦を繰り広げていたと記憶しております。

 それがここ最近では一部前線の小競り合い、探り合いの戦いばかり。

 アリシア側の戦術変化の可能性もありますが、物資の枯渇、主力の疲弊も充分に考えられます。

 元々、魔王国と対峙している各国の中でもそれほど大きな国力を持つわけでもない彼の国かのくには、この数年の間に前線を徐々に押し込まれて苦しんでいたはず。

 だからこその反攻作戦、英雄の投入だと考えていましたが、別の可能性としてただの場当たり的な延命措置……時間稼ぎでは無いかと、少しこちらの都合のいいように感じ始めてきました。

 人間には、魔法による回復、あるいは蘇生というに対するチートがあります。

 しかし、兵が死ににくいという事はつまり、兵力を増す分だけそれを支える補給が必要になるという事。

 また、傷は癒せても、疲労自体をないものに出来るわけでもありません。

 もしも、物資の枯渇による戦線の維持限界がきているのならば、疲労の蓄積による軍事行動の限界がきているのならば……。


「この終わりの見えない戦乱の時代の終わりの一歩……とは、流石に言い過ぎでしょうかね……」


 動き始めた中央と右翼の両軍を見ながら、少し期待している自分が浅はかに思えてきました。




ーーーーー


 とんでもない事である。

 大言壮語、自意識過剰も甚だしい。

 死を持って詫びる、など生ぬるい程に今の私はあまりにも見窄らしくみすぼらしく情け無い。


「四天王ゲオルグ、貴様を殺し、この戦争を終わらせるのはこの俺、ナガン様よ!

 死ぬその瞬間まで、この名を覚えておくがいい!」


 早く、疾い。

 正に紙一枚、ギリギリで身をかわし、僅かに距離を取るので精一杯。


「ナガン、ナガンか……そうか、この私、ゲオルグの腕を斬り飛ばした豪傑の名はナガンと言うのか」


 側近殿に大口を叩き、意気揚々と突撃してのこの無様……恥以外の何者でもなく、さりとてたかだか人間がこれほどの力を身につけた事は素直に賞賛すべき事である。

 自らの失態は自らの責任。

 汚名を被ったとても、怒るべきは己の浅虜。


 ああ、思えば側近殿がこちらに来られてから、私はどこか浮ついていた。

 美しい黒髪に真っ直ぐな瞳、確かな強さ涼やかさを讃えつつと艶かしいほどの色気を感じさせる唇……美しいと思った。

 美しすぎると、種族の違いなど気にならない程に惹きつけられてしまった。


 いや、美しいばかりではない。

 冷静で、鋭く、冴え渡るその明晰なる頭脳は自分如き暴れるばかりの単細胞に非常に眩しく、魅力的に映った。


 側近殿来られて軍容が改められた。

 それまでは歩兵、弓兵、騎兵とは名ばかりの突撃するだけの混成部隊が、各兵科がそれぞれに作用し合えるように、組み分けがなされ、隊列が出来、戦陣が組まれた。

 人間が同じように陣を組むことは知っていた。

 しかしそれは、個々の力に劣るが故の苦肉の策だと思っていた。

 そして魔族は強者であると同時に単細胞である為、真正面からの突撃こそが最もあった戦い方であると思っていた。

 側近殿には聞こえないようにしたが、私の部下の中にさえ、人の真似事に見えるこの編成を笑う者がいたのは事実だ。

 しかし、結果は誰しもが彼女を認めざる得ないものだった。

 それまでは死力を尽くしてほんの少し前線を押し込むことができるかどうかだったものが、ほんの少しの緩急、ほんの少しの機動戦、ほんの少しの遠距離からの一斉射にアリシア共同国はこれまでの何倍も被害を出していた。

 つまり、食糧の肉が増えたのである。

 私は打ち震えた。

 着任早々から見事な指揮で、膠着した戦況を揉みほぐすその手腕に、その頭脳に。

 人間共が神託を受けるという、女神の降臨ではあるまいかと疑ってしまう程に度肝を抜かれた。


 側近殿は、同時に兵站、つまりは物資の補給も改善していた。

 前線指揮を執りながら、後方の指揮までもをこなしていたのである。

 それまではただ運び込まれた物をそれぞれ都合のいい時に好きに取っていた得物も、食糧などにがてなはっぱとかも、隊伍に合わせて配分されるようになり、日々の食事に必要な分が配給されるようになった。

 お陰で戦場から戻って食うものがないという状況が無くなり、餓死者が減ったことは単純に士気を上げるだけでなく、兵の質そのものすらも変わったように感じる。


 そんな麗しの君、才人の、その欠片でも吸収できないかと、少しでも力になれないかと柄にもなく人間が書いたという書物などをこっそり読んで勉学などをしてみた。

 言葉遣いにも気を遣い、僅かでも我が事を意識してもらえるよう期待しながら努力をした。

 色気を出し、陣の配置などに小細工を弄し、敵軍右翼を壊滅させんと息巻いた策がこの有様であるならば……


「……所詮は豚頭おーくの程度と言うべきか」


 自嘲は、死にゆく私の懺悔にも似ている。

 ……申し訳ありません、側近殿。

 貴女に苦労だけを残し、情け無い我が身を晒すこの愚か者をどうぞお叱り下さい。

 せめて、死に往く私の細やかな願い、そして僅かな悪あがきにて、汚名を濯ぐことが出来たなら、どうぞ哀れな骸に僅かな慈悲を……


(……ゲオルグ殿、そう悲観めされるな)


 頭の中に麗しの君の声が響く……どうやら私は、精神までもやられたらしい。

 無様に死ぬこの身に相応しい……。


(いや、妄想幻聴の類ではなく、事実として魔法で貴官に語りかけているのですが)


 では、今までの恥ずかしい、一人語りも……。


(まぁ、半分くらい……ですが……)


 半分……どこから半分、いや、どこまで半分なのか!


(まぁ、いや、その……と、よくそれだけの立ち回りをしながら頭で別のことを考えることが出来ますね……ある種、そちらの方が凄いことなのではと思いますが……)


 腐っても四天王であります、致命を避け攻撃をいなす程度ならばかろうじて。

 いや、それよりも側近殿。

 私の事よりも、戦場は、全軍の様子はどうなっておりますか?

 左翼はかろうじて士気を保ち、現状を維持しておりますがこちらが押さえ込まれてしまっては中央と右翼が攻められるやもしれません。


(いや、ゲオルグ殿。

 それは大丈夫です。

 と言いますか……)


 あ〜、なんか言い淀む側近殿もこれはこれで可愛らしくて好きだなぁ。


(ゲオルグ殿?)


 ……失礼致しました。


(……端的に伝えます。

 左翼はそのまま敵主戦力、つまりは英雄を引きつけつつ現状にて防衛、足止めを第一として決して崩れず、攻め上がらずを貫いてください)


 了解致しました。

 敵右翼及び英雄ナガンの足止め、遅滞戦術を主任務と致します。


(こちらからは中央、右翼をぶつけていくらか動きを見てみます。

 騎兵が掻き乱し、可能であれば右から包囲、殲滅若しくは本陣押し上げを考えています。

 ここで出来れば英雄……ナガンと言いましたか?

 それを排除したい為、機を見て本陣予備戦力と左翼による敵右翼の包囲、殲滅も同時に狙いますが……こちらは臨機応変に)


 欲張りすぎでは?


(はは、私もそう思いますが……)


 側近殿?


(……いえ……欲張りなのです。

 案外、私も夢想癖があるのかもしれませんね。

 ……まぁ、続きは今日の戦争がひと段落ついてから)


 そうですね、それではそれを楽しみにしております。


(決して安易に命を投げ出さぬよう。

 貴官の武運を祈ります)


 ……ふむ、どうやら通信コンタクトは切れたようである。


 はは、なるほどこれは……名誉挽回のまたとない機会。

 与えられた、ならば応えねばならない、男なら……いや、この場合は漢ならば、か。


 残された片手に握る得物、バトルアックスを強く握り締め、私は滾る闘志を抑え込む。

 呑まれてはいけない、コントロールするのだ。

 敵の足止めと、英雄の引きつけ。

 その為には命を散らしてはいけない。

 安っぽい英雄願望など捨て去れ、まして悲壮な決死の決意など以ての外。

 必要なのは理性と与えられた任務の遂行、機会を見誤ってはいけないのだ。


「感謝するぞ、人間、英雄ナガン

 私に麗しの君との語り合う機会をくれたことを」


「何を訳のわからぬことを、死に損ないめが!」


 激しくなるナガンの攻撃は、しかしもう私には届かないだろう。

 私はすでにこの者よりも先にいる。

 それは直感であり、確信だ。


 情欲は、私を強くする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

拝啓、魔王様 給油中の三輪車 @gagaji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ