第5話 真相の開示と切り裂かれた世界

朝霧悠真は、捜査会議で提示された新たな証拠に目を奪われていた。

大きなモニターには、日向斗真の自宅マンション付近の防犯カメラ映像が映し出されている。

画質はあまり良くないが、はっきりと夜遅い時間に何者かが建物へ出入りしている様子が確認できた。


「この映像のタイムスタンプは、日向先生が投稿を止めた直後の夜10時半すぎから11時ごろにかけてです。シルエットは細身で髪が短めの人物…花村怜子さんの体型に近いようですが、顔は見えません。」

分析スタッフがそう説明し、別の画像を並べる。

「ですが、花村さんは四日前にしか会っていないと言い張っています。だからこそ、この姿が彼女だと断定はできません。似たような背格好の人物かもしれない。ただ、身に着けているものが黒のスーツらしき衣服に見えます。」


朝霧は花村怜子の写真を思い出す。

落ち着いた色合いのスーツを着こなし、ショートボブでメガネをかけている編集者。

仕事をそつなくこなし、スケジュールの厳守には余念がない。

「もし本当に花村さんがあの時間に日向先生の自宅に行っていたとすれば、嘘をついていることになる。」


会議室の空気が重々しく静まり返ったところで、上司が口を開く。

「花村氏を再度呼び出して事情を聞く必要がある。朝霧、頼むぞ。日向先生との最後のやり取りは本当に四日前だったのか、きっちり追及しろ。」

朝霧はうなずき、書類をまとめた。

そのとき、隣のスタッフが立ち上がって声を上げる。

「もう一つ情報があります。水瀬紗英さんがSNSに書き込みをしているんですが、事件当日の日付について微妙な書き違いがあるようです。彼女は『オフ会は9時半には解散した』と言い続けているのに、SNS上では10時近くまで店にいたと推測できる書き込みをしている。」


朝霧は唇を噛む。

「水瀬さんもまた、時間を誤魔化している可能性があるわけですね。真壁さんは10時過ぎに出たと言い、水瀬さんは9時半に解散したと言う。この30分のズレは何か意図があるんでしょうか。」


上司は片手で頭を押さえ、モニターを見つめる。

「真壁も水瀬も花村も、それぞれがあやしい時間の齟齬を抱えている。このままだと誰もが容疑者だ。朝霧、お前は彼らを順に呼び出して、もう一度状況を確認するしかない。」


その日の午後、朝霧はまず花村怜子を呼び出し、オフィスの一室で対峙する。

花村はメガネの奥でわずかに目線を揺らしながら、静かに口を開いた。

「どうしても外せないスケジュールがあるので、手短にお願いできますか。」


朝霧は用意していた写真を取り出す。

そこには防犯カメラに映ったスーツ姿の人物が写っていた。

「この映像に映っている人物をどう思いますか。時間帯は夜10時半すぎ。日向先生が最後の投稿を行った直後です。」


花村は硬い表情を見せ、少し間を置いて答えた。

「確かに私にも見えますが、私は行っていません。四日前の打ち合わせのあと、先生と会った事実はないです。」


朝霧はその言葉を聞きながら、あえて違う質問を投げかける。

「日向先生が新作を執筆中に、どんな状態だったか教えてください。新しいメタ手法を使うと言っていたようですが、それについて何か言及はありませんでしたか。」

花村は声のトーンを変えずに続ける。

「先生はいつも通り原稿を厳密にチェックしていました。私が新作の方向性を聞いても、特別なことは言いませんでした。むしろ“まだアイデア固まってない”とぼやいていたくらいで。」


言葉の裏に何か隠している印象はないが、どこか壁を感じる。

朝霧は手元のファイルを閉じ、メモだけを残して部屋を後にする。

彼女の言動に違和感があるものの、決め手はまだ見つからない。


次に、朝霧は水瀬紗英に連絡を取り、時間の齟齬について問いただす。

水瀬は電話口で戸惑ったような声を上げる。

「私、てっきり9時半に解散していたと思ってたんです。でもSNSの書き込みを見直したら、確かに10時くらいまでみんなで雑談してたみたいですね。記憶が曖昧でごめんなさい。」


「特に隠しているわけではないんです。解散がもう少し遅かったというなら、そうかもしれません。私、先生とは最後に別れたのがその時間なので…。」

朝霧は水瀬の慌てた弁解を聞きながら、彼女に嘘をつく動機があるのかどうか考える。

「もし解散が10時過ぎなら、日向先生が投稿をしたのは帰宅してすぐだった可能性が高いですよね。」

「そうですね。でも先生は疲れていたし、早く帰りたがってた気もします。私だって10時前には店を出たと思っていて…。意識して嘘をついたわけではないんです。」


水瀬の声には罪の意識はあまり感じられない。

それでも些細な時間の行き違いが、事件全体を混乱させているのは確かだ。


最後に真壁怜治を呼び出す。

彼はいつものように腕を組み、鋭い視線を向けてきた。

「SNSの空白時間が気になるって? 俺は店を出てすぐスマホをオフにしてたんだ。バッテリーが切れかけてたってのもあるし、何よりあんまり気分が乗らなかった。」


朝霧は真壁の言い訳を聞きながら、さらに突っ込む。

「店を出たあとは、まっすぐ帰宅されたんですか。それとも日向先生と会話を交わしたとか。」

「店を出たらタクシー拾って帰った。日向とは一言二言しか言葉を交わしてない。あいつ、なんだか落ち着かない様子で急いでたな。」


短い応答の中で、真壁が何も隠していないかどうかを読み取るのは難しい。

ただ、彼が強烈なプライドを持つことはわかっている。

「嫉妬は認めるが、殺人なんてするわけがない」と強い言葉で弁明していたあの姿を思い出す。


夕方、オフィスの窓からは街の灯りが見え始めている。

朝霧はデスクに戻り、改めて三人の証言を並べて頭を整理する。

「みんな時間を誤魔化すか曖昧にしているようだ。でも誰が嘘をついていて、誰が本当のことを言っているのか…。いや、全員が嘘をついている可能性すらある。」


メモ帳をめくると、そこには日向が残した新作の下書きのフレーズが書き写されている。

“ここからは物語の外側へ。僕は追われている”

そしてその下に、過去作『逆さに沈む月』の暗号めいたトリックのページ番号がメモされていた。

「もしかして、日向先生がここから何かを暗示していたのでは…。事件を解く鍵になる仕掛けがあるかもしれない。」


その時、分析チームから声がかかる。

「朝霧さん、日向先生のパソコンのクラウドデータを再度調べていたら、メタフィクション用のプロットらしきファイルを見つけました。どうやら実際のオフ会を下敷きに書かれた文章が含まれているようです。」


朝霧はすぐさまモニターに向かう。

そこには“オフ会に潜む影”という仮タイトルが付き、登場人物が数名記されていた。

“編集者E” “女性作家S” “バトル系作家M” “仮想読者A” という暗号めいたイニシャルが並び、ストーリーは“被害者が実際に危機を訴えるが信じてもらえない”という展開になっている。

「ここには“Eがスケジュールを操作し、Sは時間を誤魔化し、Mはアリバイを捏造する”と…何だこの内容は。」


朝霧は肩を強張らせる。

“E=花村怜子、S=水瀬紗英、M=真壁怜治”と読めるのは明らかだ。

まるで日向が自分の周囲で起こっていることを創作に落とし込もうとしていたかのようだ。

そして“仮想読者A”の項目にはこう書かれている。

“Aは真実を探るが、物語の中と外が交錯し始める”


「まるで俺のことを示しているようだ。日向先生は自分の世界に取り込もうとしていたのか。」

朝霧は息を飲み、最後の行を読み下す。

“いずれ読者は知るだろう。フィクションではなく、これが現実の殺意であることを”


夜遅く、朝霧は花村怜子を再度呼び出した。

彼女は目の奥に冷たい光を宿したまま、静かに会議室の椅子に座っている。

「お疲れのところ恐縮ですが、もう一度だけ話を聞かせてください。」

朝霧は深呼吸し、花村に向き直る。


「日向先生のパソコンから新作の草案が見つかりました。オフ会やスケジュールについて、あなたに関する示唆が書かれています。先生は実際にあなたがスケジュールを操作していたと考えていたのではないでしょうか。」


花村は言葉を失ったように唇を引き結び、硬い表情のまま目線を下げる。

そして、苦しそうに小さく息を吐く。

「そう、ですか。先生がそんなことを…。確かに、先生のスケジュールは私が管理していました。でも、私は彼に何も強要はしていません。作品を早く出すように圧力をかけることはあっても、殺す理由なんてありません。」


朝霧はさらに踏み込む。

「先生があの夜、あなたを待っていた可能性があります。四日前ではなく、事件当日の夜に訪問があったのではありませんか。」

花村は小さく首を振りながらも、淡々と続ける。

「当日の夜、私はたしかに先生のもとを訪ねました。スケジュールに関してすぐに確認しないといけない件が出てきたからです。でも、あれは夜10時より前でした。先生は『オフ会に行く』と言っていて、私は早々に退散しました。その後、先生の家には行っていません。」


朝霧はその証言を記録しながら、最後の一言を付け足す。

「防犯カメラ映像では10時半前後に黒いスーツの人物が映っています。あなたは違う、と言い切れるんですね。」

花村はメガネを少し持ち上げ、視線をそらす。

「言い切れます。その時間、私は社に戻っていました。」


一方で、水瀬紗英の再調査では、彼女のタクシー利用履歴が見つかった。

GPS情報から、店を出たのは夜10時少し前で、彼女が言う通り9時半ごろではない。

だがタクシーを降りてからの足取りは不明で、防犯カメラ映像にも映っていない。

「彼女が9時半と10時の時間をあいまいにしていたのは、単純な記憶違いか、それとも別の誰かと会っていたのか。」

朝霧は頭を抱えるが、最後に回収されたさらなる防犯映像が決定打となった。


映像には、夜10時半ごろ、日向のマンションのそばを歩く水瀬らしき人物が写っていた。

ウェーブヘアが見え隠れし、スカートの裾が揺れている。

彼女がマンションへ入ったかどうかは映っていないが、明らかに近くを通っている。

「何のためにここに…。」


真壁怜治にも、あの日の行動を詳しく問いただすと、彼のアルバイを補強する防犯カメラ映像が出てきた。

実際に10時半ごろタクシーに乗っている姿が確認され、帰宅先のマンションにも深夜には到着している。

つまり、真壁のあいまいな時間帯はあっても、日向の自宅近辺にはいなかったことがわかる。


「真壁さんの容疑は薄くなった。残るは花村さんか、水瀬さんか…。」

朝霧は映像と証言を突き合わせながら頭を働かせる。

「花村さんは“夜10時より前に日向宅を離れた”と言ったけど、防犯映像の人物が彼女なら時間が合わない。水瀬さんは解散後にタクシーで移動してるが、そのあとマンション付近を通っている可能性がある。」


SNSのタイムラインを再度チェックすると、水瀬の投稿には「まだ近くのコンビニに立ち寄ってから帰ろうかな」などという意味深な書き込みが残されていた。

時間は10時20分ごろ。

「ちょうど日向先生が自宅へ戻るタイミングに近い。これならマンション周辺で鉢合わせしてもおかしくない。」


そして水瀬紗英は翌日、朝霧の問いかけに重い沈黙を落とした。

やがて消え入りそうな声で口を開く。

「先生がオフ会を早々に切り上げたから、私…あとを追ったんです。何か悩んでいるように見えたので。別に恨んでたわけじゃないんですよ。ただ、会って話したかった。」


けれど、日向は混乱した様子で水瀬のことを振り払い、そのままマンションに入ろうとした。

「先生は『助けてくれ、殺される』ってあれほどSNSに書いていたのに、私が何を言っても聞いてくれない。私が追いすがると『やめてくれ、僕は一人でどうにかしないといけないんだ』って…。そう言ったんです。」


涙ながらにそう語る水瀬を前に、朝霧は押し黙る。

「でも、殺してなんていません。先生は私を振り払ったあと、一人で部屋に入って…。それで、私はつい感情的になってしまって…。でもどれくらいそこで待ったかは覚えてません。」


水瀬は事件の犯人ではなかった。

彼女はただ日向を心配するあまり、身勝手な行動を取ってしまった。

その帰り道の映像が、防犯カメラに映っていたのだ。


やがて、防犯カメラの解析がさらに進められ、決定的な瞬間が明らかになった。

日向の部屋から黒スーツの人物が再度外へ出る映像が出てきたのは、夜10時50分ごろ。

鮮明に映っていたのは、花村怜子の横顔。

彼女はメガネを外していて、わずかに俯きながら急ぎ足で通りを後にしている。


「…やはり、花村さんだったのか。」

朝霧は心の中で苦い思いを噛み締める。


取り調べで花村はついに口を開く。

「あの夜、先生の家に行ったのは事実です。でも、それは仕事の話がこじれていたから。私が勝手に新しい企画を進めようとしていたら、先生が反対するんです。締め切りも守れない状態のくせに、作品のコントロールは自分でやりたいって…。」


花村の声は震えていた。

「口論になって、先生が『こんなのは僕の作品じゃない。あなたは出ていってくれ』と怒鳴るんです。私は激昂して、先生を突き飛ばしたら…頭を打ったみたいで。そのまま動かなくなって…。怖くなって、咄嗟に逃げてしまった。殺すつもりなんてなかったんです…。」


朝霧はメモを取る手を止め、冷たい視線を花村に向ける。

「先生はSOSを発していたのに、誰もそれを信じなかった。あなたは先生が必死に抵抗する様子を見ても、そのまま放置したんですね。」

花村は顔を覆って小さくうめく。

「先生が“殺される”と書き込んでいたのは、私のような編集者や業界の圧力に追い詰められた気持ちを暗示していたのかもしれません。そんなふうにまで思いつめていたなんて…。」


数日後、花村は逮捕され、マスコミやSNSは大騒ぎとなる。

カクヨムのコメント欄には、悲痛な声とともに、「本当に現実だったんだ」「あの投稿はSOSだったのか」という書き込みが絶えない。

水瀬紗英や真壁怜治も、日向の死を受けて沈痛な反応を見せつつ、それぞれSNSを通じて自らの無実と哀悼の意を表していた。


朝霧は最後に日向の執筆データを見返し、残された一文に目をやる。

“この物語の最後に、誰が真実を手にするのだろう”

彼はそっと画面を閉じ、静かなオフィスの窓から街を見下ろす。

外には日向斗真の死を惜しむ多くのファンの声がSNSにあふれ、ファンアートや考察が絶えず投稿されている。

「誰もが日向先生の新しいメタ表現だと思っていた。でもそれは、紛れもない現実の叫びだったんだ。」


かつて日向が残した“物語と現実の境界を曖昧にする”という言葉を思い出し、朝霧は静かに息を吐く。

真犯人は、作品の世界に囚われた誰でもなく、編集者というごく身近な存在だった。

読者たちが“また奇抜な仕掛けかもしれない”と受け取っていた投稿は、本当のSOSだった。


朝霧はその後、カクヨムを開き、たくさんの追悼コメントが流れていくのを眺めた。

「日向先生は最後まで、自分の物語を創ろうとしたのかもしれない。それがどれほど孤独な戦いだったか…。」


デスクライトの下に置かれたメモ帳には、事件の全容が記されている。

朝霧は目を閉じて、日向の残したメッセージを胸に刻むように、そっと指でなぞった。

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カクヨム殺人事件~人気作家 死のSOS 三坂鳴 @strapyoung

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