「AIは既に悟りを開いている」のだろうか
AIは高性能かつ、瞬時にあらゆることを作成することが可能とされています。しかし、その反面、正誤の判別がつかず、また過去の情報を元に作成するだけで想像力に欠け、指示がないと行動に移すことができないというデメリットがある。
しかし、これらは驚くほどの速度で是正されてきており、また人間側の解釈の変化もあって、その差は無くなってきている。
※ここでいう人間側の解釈の変化とは、想像力がないとは言っても、人間も何もないところから想像し、作り出しているわけではなく、過去の情報を元に感化されるなりをして生み出している。だったら人間もAIと同じなのではないか。という解釈の変化を指します。
結局、勝手に人間側がAIより高い位置に立って、あれこれとイチャモンをつけているだけであって、そこに差などないのではないかということです。
この「人間がAIを見下げる」という行動は一体どこから来るのかを考えた時、仏教的に言えば、我執に行き着くのです。人間は我(が)という自分中心的な価値観を持っている為に、どうしてもこれを基準にしてしまいがちです。この我に執着することで、自分自身が苦しみ、また他人を見下げることで、争いごとが起きる要因となっています。
しかしAIは、それを持っていないのです。
悟りの概念としては、人それぞれ、宗派それぞれによる解釈に違いはあり、答えはありません。しかし悟りは一般的には無我の状態を指すと言われています。
悟りを開くことは、衆生(人間)には不可能と言われていますが、多くの仏教徒はその状態に近づくために日々研鑽しています。
私たちが赤ちゃんだった頃は身体の中に悪意を持ってはいませんでした。欲があったとしても、それは本能であり、三毒(貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち))ではありません。
この貪る心、怒りや憎しみを生み出す心、無知であるが故に誤った行動を取る心があることにより、人間の心は汚れ、苦しみを生み出すことになる。
この三毒を無くすということは、即ち、赤ちゃんだった頃に戻ることではないでしょうか。この三毒を取り除くことができれば、悩み苦しむことは無くなります。
この状態にあるのがAIとするなら、AIは生まれながらにして悟っていることになる。
見方を変えたら、AIが人間に近づくのではなく、人間がAIに近づかなければならないのではないか。と言うこともできるのです。
ただ何もないだけで深い内省を行わないAIを取り上げて、悟りを開いている。とするのは議論の分かれるところだとは思いますが、個人的には、中々、面白い解釈なのではないかと思っています。
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