20.なあ、どんな気分だ?

 マガネの荒げた声にも、命令のような言葉にも、リスイはマガネの目をじっと見ているだけだった。触れてしまえばすぐに分かるくせに、それなのに、どうしてそんな窺うような目をしているのだろう。手袋を外して、素手でどこか素肌に触れれば分かることなのに、どうしてそれをしないのか。

 そもそも普段はあれだけぐいぐい来るくせに、どうして今は踏み止まるような真似をしているのか。マガネのことなど構わないような素振りで、そうして自分の感情を発露してきたくせに。

 彼は何を考えている。その表情を、瞳の揺らぎを、些細なものひとつも取りこぼさないように、マガネは目を見開いて観察する。マガネはリスイのように人の心を読むことはできない。それでも、人を手の平の上で操り、そしてフォルモントの解放までした『策謀の蟲』だ。

 リスイが触れるだけでできることを、マガネは五感のすべてを使って確かめる、それだけのことだった。相手が何を考えているのかを読み取るというのは、策を巡らせる第一段階でしかない。

 その暗い紫色の目の中にある瞳孔は縦長で細く、まるで爬虫類のものに似ている。竜鱗族リーグは竜、竜は蜥蜴とかげに近しいもの。

 ああ、つまりこれは、竜の本能のようなものが出てきているのか。その本能でマガネを傷付けたり、その本能にマガネが怯えることを、彼は恐れているのかもしれない。

 そう考えれば、納得できることはいくつかある。彼はそもそもぐいぐいと踏み込んでくるようでいて、肝心の一線は踏み越えない。マガネに対しても線を引いて、自分自身に枷を嵌めている。

 純粋な竜というものは、最早アイオリア帝国以外では滅んでいると聞いた。

 フォルモントにはそもそも存在していたという言い伝えすらないが、西隣のオルキデ女王国や、その隣のバシレイア王国にはある。オルキデ女王国はそもそも奉じている太陽神シャッラールナバートとその兄弟神である月神カムラクァッダは金の竜と銀の竜であるというし、バシレイア王国に至っては十二ある領地のそれぞれに、かつては神に近しい竜がいたという。

 竜とは、人よりも強大な力がある存在である。その本能は執着が強く、自分の宝を奪うものには容赦をしない。自分のこれと決めた宝を守るためならば、暴力的にもなる。そしてその荒れ狂う暴力は、まさに災害だ。

 リスイはそういうもので、マガネを傷付けたくないのだろうか。竜鱗族リーグは竜ではなく、竜に近しい亜人でしかない。つまりその『人』の部分が、リスイを押し留めているのだろう。

 なんだかそれはそれで、ひどく腹が立つ。まるでマガネを侮られているかのようだ。マガネはそれほど弱くはない。そして、本気でマガネを怯えさせたいのなら、マリアンデール平原の戦い以上の地獄を見せてみろと、そう言いたい。

 リスイは笑みを浮かべて、けれど動こうとはしなかった。それならばそれで、マガネは勝手にするだけだ。


「マガネ様、俺は……「もう良いです。私が勝手にします」


 何かを言おうとした彼の手は、片方は解けている。左手が自由になるのならば、今からすることは何も問題はない。

 左手を伸ばして、リスイの首の後ろに手をかける。どうすれば心の声が彼に聞こえるのかなど分からない、手で触れなければならないのか、それとも素肌の接触であれば聞こえるのか。どのようなものであったとしても、これからするのは心の声を聞かせるためのようなものではないのだから。

 引き寄せれば、リスイの頭は簡単に動いた。マガネがそんなことをするとも思っていなかったのか、初めてリスイが驚きのような表情を見せた。

 ――ざまあみろ、仕返しだ。そんなことを思ったわけではないけれど、少しだけ胸がすく気がした。

 自分の口で、ごちゃごちゃと言葉ばかり並べ立てるリスイの口を塞いだ。もっとも今は何かを喋っていたわけではないけれども、これで少しは彼の中にあるものを吸い込んでやればいい。

 イベリスの時のような不快感はなかった。ああそういうことかと、マガネの中でもすとんと答えが落ちてくる。

 多分これは、ほだされたとか、そういうこともあるのだろう。けれどマガネのために何かをしようとして、一生懸命にマガネを見て、あの地下室から連れ出して、そんなことをしたのはリスイだけだ。

 誰も、マガネのために何かをすることなんてなかった。誰もが、自分のためにマガネを使っていた。でもマガネはそういうもので、それで良いと思っていた。

 もう片方のリスイの手も離れていく。それと同時に、顔を離した。


「なっ、まっ、は?」

「何をそんなに驚いているんです。貴方の『愛しています』とかそういうものの中には、こういうことをする感情は含まれていないということですか? まあ、結婚しているので今更そんなの関係ないですけど」


 リスイは明らかに狼狽えた顔を見せていた。そんな彼に笑って、もう一度引き寄せる。

 やはり、不快感はない。むしろイベリスの感触も消えて、ちょうどいい。と、こんなことを言ってしまっては台無しなのかもしれないけれど。

 理由なんて単純だ。マガネがしたかったからした、それだけのこと。どこか人工呼吸にも似ている、息の交換のようなもの。これでリスイの中にある何かを奪ってしまえばいい。

 マリアンデール平原の戦いは、地獄だった。分断されて蹂躙されて、生存者は絶望的だった。累々と積み重なった屍の山から遺品になりそうなその人を示すものだけを集めて、抱えて、それでようやくたった一人の生存者を見付けた。

 けれど別に、リスイがあのときの生存者だったからとか、それだけが理由ではない。それもあるのかもしれないけれど、ただそれだけのことでこんなことをマガネはしない。

 リスイのマガネに向ける感情は、崇拝も入っていたのだろうか。地獄の底で出会って、救われて、けれどそんな崇拝されるようなものにはなりたくない。神のようにでも思われているのならば、マガネはそこから自ら降りる。


「怯えてなんかいないことが、これで分かりましたか」

「ああ、もう……俺が、どれだけ必死で……!」

「知りませんそんなの」


 ついでとばかりにぐっと力を入れて引き寄せれば簡単にリスイの体が落ちてきて、そのままくるりと上と下を入れ替えた。今度はマガネが、リスイの上にいる。

 真っ白なシーツの上に、全体的に暗い色彩の男がいた。その上にぱらりとマガネの白い髪が落ちて、色の落差が目に眩しい。


「これで形勢逆転ですね?」

「はい、降参です」


 両手を挙げて、リスイが万歳をするような姿になる。その目の前で、マガネはにんまりと笑った。

 ずっとされるがままだったが、ようやくリスイに勝てた気がする。マガネばかりわたわたと慌てさせられていてリスイは涼しい顔をしていたのは、なんだか負けたような気がしていたのだ。


「とでも、俺が言うと思ったのか。マガネ」

「へ?」


 気付けば、また上下が入れ替わっていた。


「え? あれ?」

「なあ、どんな気分だ? 俺が必死で抑え込んでたのに、自分で枷をぶっ壊したのは」


 リスイが片方ずつ自分の手袋を口で外しては、寝台から床へと放り捨てていく。手袋に覆われていないリスイの手が、ひたりとマガネの頬に触れる。

 それでもやはり、不快ではないのだ。イベリスに触れられたときは、あれだけ気持ち悪かったのに。


「遜って、信望者じみたことをして、それでようやく踏み止まってたって言うのに。自分で下りてくるんだもんなあ、貴女は。竜の手の中に、自分で転がり込んでくるなんて」


 様をつけて呼んで、敬語で話をして、線を引いて。マガネが怯えるかどうかを、まさかこの男は試していたのだろうか。俺に怯えますかと、自分のことも明かして。

 果たしてどこまでが、リスイの計算だったのか。


「ああ、そうか」


 顔はやはり、綺麗だ。

 とはいえもう今はその顔だけに鼓動が早くなっているのか、それとも自覚してしまった感情のせいなのか、どちらなのかが分からない。


「俺のことを、どう思ってる?」

「き、聞かなくとも、今分かったでしょう!」

「嫌だ。心の声を読むのと、直接言われるのとは違う」


 リスイの指先が頬を辿って、顎をなぞり、マガネの首の中心に至る。


「なあ」


 そこを押さえつけられれば、マガネは死ぬだろう。リスイが力を込めれば、この状態のマガネなどすぐに殺される。

 そう分かっているのに、リスイの顔から目が離せなかった。どこか恍惚としているようなその顔は、美しく笑っているときよりも色気が漂うようで、ぞくりとするのに視線が外れない。逃げ出せもしない。


「どうなんだ、マガネ」


 名前を呼ばれて、我に返った。


「い、言いたく、あ、ありません!」

「そうか。なら、全部終わってから、聞くさ」


 寝台は二人分の体重を支えたところで、きしりとも音を立てない。リスイの手がマガネの顎を取り、そしてリスイの顔が近付いてきた。

 顎にかかった手はそれほど力は入っていない。だから今なら、マガネは顔を逸らせる。けれど、マガネはそうしなかった。


「んっ、んんっ」


 ただ唇と唇を合わせるだけなら、マガネから仕掛けた。今回もそれと同じだろうと高をくくっていたのに、リスイの舌がマガネの口の中へと侵入してくる。

 ぞろりと口の中を舐められて、背筋が震えた。いつ終わるのかも分からないままに受け容れていると、だんだんと呼吸が苦しくなってくる。とうとう限界がきて、マガネはリスイの腕をばんばんと叩いた。

 それでようやく、リスイが離れていく。


「はっ、ちょ、な、何をするんですか! 息ができないのです!」

「鼻で息をしたら良いだろうに」


 確かにそれはそうかもしれないが、こちらも心の準備というものがある。いきなりこんなことをされてはどうにもならないし、そもそもどうして急にこんなことをしようと思ったのか。

 心の中でそんな文句にもならないことを連ねていると、リスイが鼻で笑っていた。


「あの男の痕跡を全部消してやろうと思っただけだ」

「これで満足ですか……」

「ははは、まさか。こんな程度で俺が満足するとでも?」

「あんなものはただの事故です!」

「向こうはそう思っていないだろうな」


 ふっと、リスイの目から光が消える。そうしていると、笑っているのにやはりうすら寒い。


「あの男は、いつか殺す」

「貴方はまたそういう物騒なことを……! んうっ」


 今度は、短く。そうして至近距離でリスイは満足げに笑ってから、マガネの唇を仕上げとばかりに舐めて、それから離れた。


「今はここまでで我慢しておくか。終わったらご褒美も貰えることだし」


 何を言っているのだとか。

 そもそもこれで十分ではないのかとか。

 思いつく限りの文句と罵詈雑言を並べ立ててやりたかったが、どれも言葉にはできないまま。結局マガネは諦めて、そのままリスイに背を向けてそこで丸くなった。

 もう今日はこのまま、ここで眠ってやる。リスイはせいぜい、寝台が使えなくて困れば良い。

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