第三話 闇の気配

「ルークス!」

 案内された部屋のベッドに座り待っていると、そこへアルドルとケオが現れた。

 部屋の扉が開いた途端、ケオが飛びつくようにしてこちらに駆けて来る。

「大丈夫? 心配したんだよ? なかなか会わせてくれなくて…」

「大丈夫だ。ケオ。アルドルも、心配かけてすまなかった」

「いいや。だが、ケガの具合は? そう大きなものはないと聞いたが…」

「大丈夫だ。軽い打撲と頬にかすり傷程度だ。もう、君たちはここまででいい。帰ってくれて構わない。君たちの力を借りられてとても助かった」

「って、大丈夫か? …ここに、残るのか?」

「ああ。主人の許可を得られた。ここに二、三日残って様子を見る。先ほど、館へも連絡を入れておいた。ここで特に何も発見できなければそれで終了だ」

「そうか…」

 アルドルはちらと背後に立つシンに、不信の目を向けた。

「こいつに聞かせて大丈夫なのか?」

「光の神子だと知られている。主人にもな。彼らは闇とは関係ないとのことだが、一応、上から言われている以上、形だけでも探索しておかなけれなならない。それが済めば館へ帰る予定だ」

「なら、いいが…」

 それでもアルドルは心配らしい。

「何かあればすぐに駆けつける準備はしておく。…連絡してくれ」

「分かった。ありがとう、アルドル。ケオもな」

「うん! ルークスも気をつけてね」

 そう言って、抱きついてきたケオの頭を軽く撫でると、ルークスにしか聞こえない小さな声で。

「ルークス。シンはきっといい人だよ…。崖に落ちたルークスを助けるため、直ぐに飛び降りたんだ。カッコ良かったよ…。気がつけば肩に担ぎ上げて、上がって来てさ。信じていいよ」

「そうだな」

 思わずクスリと笑んでしまった。ルークスの答えに、安心したのかケオは満足した様子で腕を解き身体を起す。

「ルークス、これが終わったら帰りに僕らの村に寄ってよ。沢山ご馳走する!」

「ああ。必ず寄らせてもらう」

 すっかりルークスを気に入った様子に、アルドルも頭をかきつつ。

「ルークス。気を付けてな。本気で終わったら寄ってくれ。待っている」

「分かった」

 手が差し出されそれを握り返す。

 アルドルの手は大きく固く、包み込むようにルークスの手を握り返してきた。シンばかりでなく、この男も信用できると感じる。

 シンは一通りの挨拶が済んだのを見て取ると。

「さあ、そろそろ時間だ。ルークスは俺がきちんと見ておくから安心してくれ」

 すると、アルドルが厳しい視線を投げかけ。

「あんた…。二、三日してもルークスが俺たちの所へ来なかった時は、ここへ乗り込んでくるからな。そのつもりでいろよ?」

 シンは肩をすくめると。

「荒っぽいな。だが、そうはならないよう、充分注意する」

 ふんと鼻を鳴らす勢いで、アルドルは顔を背けると、ケオとともに村へと帰って行った。

 その姿を部屋の窓から見送る。


 これで自由に動けるな。


 彼らがここにいては、何かあったとき危険が及ぶ。動くには一人の方がいい。

 早速、午後から屋敷内と敷地の探索を開始した。


+++


 敷地の殆どは深い森に包まれていた。

 そこをシンと共に調査する。

 と言っても実際調べるのはルークスのみで、シンはその後をついて回る程度。時折、道の指示やどういった場所かを教えてくれる。

 監視のためなのだろうが、何故かシンからはその気配がなかった。

「シンはどうしてデセーオの元へ?」

 茂みの先、アルドルが闇を見たという場所へ向かいながら、シンを振り返る。

 気にはなっていた。デセーオが闇の神子なら、このシンもそういうことになる。しかし、シンからはそういった気配が感じられなかったのだ。

 何かを抱えてはいそうだが、それはドス黒い人を陥れる様な闇ではなく、何か傷を負っているようなそんな闇だ。

 その理由を知るため、軽く話しを振って見たのだが。シンは小さく息を漏らしたあと。

「他に生きる道がなかった…。生まれつきのこの髪だ。デセーオの様な者の下にしか居場所はなかった」

 その眼差しは暗く闇の色を帯びる。

 確かに黒髪は疎まれる。疎まれるがため、彼らは結局、闇に落ちるしかないのだと、光の神子の修養で教わった。

 闇の神子。自分とは相対する存在。けれど、この男には何か共通するものを感じる。

 シンはポツリポツリと語り出した。

「生まれてすぐ親に捨てられ、孤児院で育った。…もしかしたら、俺は突然変異だったのかもしれない。黒髪は忌み嫌われる…」

 軽くかき上げて見せたその髪は、漆黒で艶のめいて見えた。綺麗だと素直に思った。シンは続ける。

「成人したはいいが、まともな職などない。剣術が少しばかり出来たお陰で、剣の腕を見込まれ、用心棒の様な仕事をしてきた。汚れた仕事だ…。言われるままに人を始末もしてきた。そうして行き着いた先が、デセーオだった。奴は俺の様に汚れた仕事をする人間を集めていたんだ。心が荒んだ者ばかり。自分の思い通りに動く、そんな人間だ」

 そこでルークスは堪らず言葉を挟む。

「シン。君は自分が言うほど、汚れてなどいない。荒んでいるとも…」

「あなたにそう言われると、お世辞でも嬉しい。あなたは? 自分を汚れていると言ったが…。話したくなければ話さなくていい」

 シンはキッパリと口にするが、ルークスは首を振ると苦笑いを浮かべ。

「君にだけ話させて、それはない」

「いいのか?」

 ルークスは頷いて見せると。

「私も似たようなものだ。この金色の髪は突然変異だ。両親も弟も共に濃い栗色の髪。幼い頃、家計を助けるため働きに出ていた農園で、地主に目をつけられた。…私は、外見だけはひと目を惹くらしい。その地主は俺を正式に養子に迎え入れ、自分の息子として光の館に申し入れたんだ。俺はそこで修養し光の神子として認められた…。あの時は嬉しかった。漸く人として認められた気がして…」

 当時を思い出し、笑みを零す。光の神子としてこれからだった。

「そこで、とある人物に出会った。彼も光の神子で…俺に元々興味があったらしい。それで、隙をついて奴の好きにされた…」

 金色の髪に紫の瞳。そこになんの感情も見いだせなかった。冷たい手。唇。行為。

「…俺も甘かったんだ。相手がどんな人物か分かっていたと言うのに…。シンは俺を綺麗だと言ったが、それは上辺だけだ。中身はすっかり汚れている…」

 苦い笑みを浮かべる。

 オレオルの腕の中で、どれだけ醜態を晒したのか。どんなに感じまいと歯を食いしばっても、結局、オレオルの手練手管に翻弄され、喘いだのは事実だ。

 今、思い出してもおぞましく、腹立たしい。

 愛情など生まれる様な行為では無かった。

 ただ、酷い苦痛と、それに相反した快楽とに挟まれ。行為の最中、早く意識を手放したいと思った。

 しかし、こんな事を何故この男に話しているのか。シンにしてみれば、他人の痴情など聞きたくもないだろう。

「…そんな事はない」

「シン?」

 思いもしなかった言葉に顔をあげる。

「汚れてなどいない。むしろ汚れているのは、あなたに手を出した者だ。あなたは、綺麗なままだ…」

「フフ…。君に言われるとそんな気がしてくる。他の人に言われたなら、知りもしないくせにと言いたい所だが──」

 それは、いつかオレオルに言ったセリフだった。するとシンはムキになってルークスの手首を掴み。

「本当だ。あなたは綺麗だ」

「……」

 ルークスはシンを見つめ返す。

 なぜだろう。この男に見つめられると、バカみたいに胸が高鳴って、目が離せなくなる。

「君は…真っ直ぐだな。いいだろう。そう言う事にしておく」

 俯いて笑みを浮かべた。

「…信じてないな?」

「そんな事はない。君に言われて嬉しかった。あんな事を聞かされて、軽蔑されるかと──」

「しない」

 眼差しは、熱く真剣だった。

 先程から手首を掴んだまま離さない。その手を振り解こうとも思わなかった。

 ただ、見つめ合う。それだけで体温が上昇し、息が上がる。

「シン…。俺は──」

 と、そこで不意に傍らの茂みが揺れた。ハッとしてそちらに顔を向ける。


 誰かいるのか?


 しかし、そこから飛び出して来たのは、真っ黒な艶のある毛並みの犬だった。

「ノヴァ!」

「っ!」

 真っ直ぐルークス目掛け飛び掛かってきた。身体に飛びつかれ、以前と同じく地面に倒されると、顔を舐められる。

「止めるんだ! 離れろ!」

 シンが必死に首輪を掴み、引き離そうとした。ようやく離れた所で、息をつき身体についた草を払い起き上がる。

「気に入られた様だな?」

「すまない。繋いでおいたんだが──」

 シンは両腕でその身体を引き留めている。少しでも力を抜けば、また飛びかかって来そうだった。

「ここの探索はここまでにしておこう。…闇の気配はない」

 アルドルが見たという闇の気配はそこになかった。建物の石壁と、茂った草木があるばかり。


 闇に呑まれる人間を見たと言ったが。


 残り香はない。僅かな痕でもあれば辿る事が出来るのだが。

 その後、シンと共に二日かけて屋敷の隅々、敷地内まで確認したが、これといって闇の気配は感じられなかった。

 唯一、探索できなかった主人の部屋も、後日、主人が不在中なるため、その時に確認していいと許可が下りた。


 俺に探られても何もでてこない、と言う事だな。


 明日までが期限だ。それで何も見つからなければ、一旦、引き上げた方がいいだろう。

 アルドルが見たのは、敷地内で渦巻く竜巻のような闇だったという。

 まるでつむじ風の様に、闇がうごめいたとか。なぜ、そんな場面に出くわしたのか。闇の神子は何をしていたのか。


 何かその欠片でも見つける事が出来れば…。


 何も発見出来なければ、上も判断を下せない。もし、闇の痕跡を見つけられなければ、みすみす見逃す事に成りかねないのだ。

 ルークスは唇を噛んだ。


+++


 次の日は、朝から主人が不在との事で、室内の調査が許可された。

 朝食は広い部屋にたったひとりだった。

 この館にいる間、ルークスはデセーオに用がない限り、朝と夕食、必ず主人のデセーオと共にしていた。

 そこに同席するものはいない。

 ここには主人とその配下の者以外、いないようだった。デセーオには伴侶もいなければ、親族といったものも見られない。客が訪れる事もなかった。

 朝食後、デセーオの部屋を探索する。

 今までと同じ、立会人としてシンが傍についた。彼の視線を感じながら、デセーオの部屋を見て回る。

 落ち着いた調度品に、ぎっしりと壁の棚へ並べられた蔵書の数々。しかし、これといって、変わった趣味はないようだった。

 ごく有り触れた書斎に過ぎない。


 まあ、見つかるはずもない。


 形ばかりの探索になる。

 ふと、デセーオの寝所の床にシミを見つけ足を止めた。

 木の床にほんの僅か、五ミリにも満たない黒いシミがあった。ベッドの下を探るふりをして、その痕に触れる。

「っ…!」


 これは──。


 一瞬、人の断末魔の叫びを聞いた気がした。

「どうかしたのか?」

「…いや。何も」

 すぐに立ち上がり、周囲を確認する。

 その他には染みは見当たらなかった。敷かれた絨毯も、調度品も綺麗に磨き抜かれている。


 しかし、ここで人が闇の餌食になった…。


 闇の痕跡があれば、触れただけで分かる。その記憶をそこから読み取ることができるのだ。


 やはり、ここで何かが…。


 ルークスは何事も無かった様に振り返ると。

「ありがとう。もういい」

「いいのか?」

「ああ。何も見つからなかった。これで探索も終了だ。館にはそう伝える。デセーオ様にも帰って来たらそう伝える」

「…わかった」

 シンはそれまで組んでいた腕を解くと、立ち去ろうとしたルークスの肩に手を置いて引き留めた。

「シン?」

「もう、ここへは二度と来るな。…わかったな?」

「ああ。だが…」

 ルークスはその肩に置かれた手に自分の手を重ねると。

「君はここを出ることもできるのだろう?」

「主人の用があれば、街にはいく…」

「なら、君とは会うことはできるのだな?」

「ルークス?」

 ルークスは笑んで見せると。

「数日しか一緒にいなかったが、君といるのはとても居心地が良かった。また会えると嬉しい…」

 本音だった。

 本来なら、闇の神子かもしれない彼にそんな言葉を継げるなどあり得ない事だろう。けれど、どうしてもそれを伝えたかった。

 この館にいる間、自分の面倒を何かと見てくれたシンとは、ずいぶんと打ち解けることができた。


 シンからはどうしても闇の気配を感じない。


 それが、自身の警戒を解いていたせいかもしれない。


 友人として、彼と会うことが可能なら──。


「あなたは…」

 シンの目が一瞬、苦し気にゆがめられた気がした。

「シン、ダメか?」

「俺は…」

 何かを言おうとして、しかしその口をつぐんでしまう。そこへ、

「デセーオ様がお帰りです」

 執事の声が響く。それでシンの答えは聞けずじまいに終わった。


+++


「やあ。今晩でさよならとは、寂しい限りですな?」

 主人のデセーオがゆったりとした仕草で、グラスを掲げる。

「いえ。こちらこそ、大変お世話になりました」

 帰って来たデセーオに、先程報告した所だった。

「なんのお構いもせず、済まなかったですね。せめて最後の晩餐を楽しんでいってください」

 今までより、更に豪華な食事が運ばれてくる。酒も次々と注がれ、流石に途中で断りを入れた。

「しかし、あなたはお美しいですな? 光の神子はみな優れた容姿を持つといいますが。こうして見るとやはり普通の人とは違う…」

 デセーオはグラスを傾けながら、ねっとりとした視線を向けてくる。

 それは何か恐怖をも感じさせるのだが、それを表には出さず、

「そんなことは。私など、神子の末席にいるものですから」

「あなたが? …それは謙遜でしょう。あなたが末席なら、この世のもの全てがその下になる…」

「お戯れを。私程度のもの、どこにでもおります。さて、そろそろ、時間が来たようなので──」

 光の館では、これから報告を兼ねた打ち合わせが入っていた。既に時刻は二十一時を回るが、時間など関係ない。

 アルドルらにも連絡を入れてあった。明日にでも顔を出すと。一旦、館に戻ってから再度出直すつもりだった。

「わかりました。残念ですがこの辺でお開きですね? しかし、すっかり飲ませてしまって。少しお部屋で休んでいてください。こちらで足を用意させます。シン、馬の用意を」

「は」

 シンが退出したのを見届けると、デセーオは下僕からワインとグラスを受け取り、立ち上がって自らが注いだ。

「これは私の祖国からわざわざ運んで来た逸品です。最後にどうぞ」

 デセーオ自らこちらに歩みより差し出してくる。流石に断れない。

「では。一口だけ…」

 白ワインだった。琥珀色に近いそれが蝋燭の光を受けて飴色に輝く。

 口に含むと、スッキリとした柑橘の香りが鼻に抜けた。少し舌先に痺れを感じたのは気の所為か。

 デセーオはそれを見て笑むと。

「シンから、聞きませんでしたか?」

「何をですか?」

 グラスをテーブルに置くと、傍らに立つデセーオを見上げる。

「私は美しいものに目が無いのですよ。特に金色に光輝くものには…」

 デセーオの手が、テーブルに置いたままの手の上に重なる。

 不穏な空気を察知し、イスから立ち上がろうとすると、グイと手首を掴まれた。

「っ!?」

「あなたに闇の力を見せれば、抵抗されるのは目に見えています。…ですから、少しワインに仕掛けを」


 闇の? やはり──。


 舌先の痺れが、徐々に身体に広がって行く様だった。デセーオの手を振りほどけない。

「…に、を…?」

「殺しはしません。当分、楽しませていただきます…。貴重な光の神子ですから」

 デセーオの顔が目前に迫った所で記憶が途切れた。

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