第一話 光の神子

「兄さん!」

 光の館、応接の間で待っていると、入口のアーチの向こうに上背のある、偉丈夫な青年が現れた。

 日に焼けた肌に、肩に軽くかかる程度の濃い茶色の髪と深い青の瞳。

 それに比べ、ルークスの肌は病的に白く、一向に日に焼ける気配が無い。髪も薄い金色で目も薄いブルー。身体付きも華奢だ。

 兄弟であるのに、どこも似ていない。健康的な弟が心底羨ましい。

 けれど、親しい者達から見ると、どこか似ているらしい。

「元気そうだな? ライオ。変わりのないようで良かった。二ヶ月ぶりか」

「兄さんも。相変わらず綺麗だ。それに可愛いしね? っとに、何で皆、兄さんを放って置くのかな?」

 ライオはそう言いながら、逞しい腕を伸ばしルークスを抱き上げる。長い髪を編んで片側に垂らしてあるのだが、それごと抱きしめられた。

 まるで子どもにするように持ち上げられ、普通なら嫌だと拒否する所なのだが、ライオにそうされるのは嫌では無かった。

「ライオ…。相変わらずだな? その軽口はいつになったら治るんだ?」

 ルークスは腕に抱えられたまま、ライオを見下ろす。

「軽口なんかじゃないさ。俺は心配なんだ。神に仕える者が住まう館になんていたら、このまま干からびてしまうんじゃないかって。早く兄さんを大切にしてくれる人が現れるといいのに…」

「今の所、そんな相手は必要ない。それよりお前はヴェネレの警備隊長になったのだろう? 領主の信頼も厚いとか。俺も嬉しい。だが、無茶だけはするなよ?」

 この地方はヴェネレと言った。それぞれの土地を領主達が守っている。小さな村が幾つも集まっているそんな地方だった。

 ライオはそのヴェネレでも有数な実力者の領主にその腕と気質を認められ、一兵卒から昇りつめ、晴れて警備隊長となった。

 幼い頃、生き別れた時からは、想像もつかない成長ぶりだ。

 両親は既に他界しており、親族はルークスとライオの二人だけ。

 別れてから初めて会ったのは、互いに大人になってからだった。ルークスの居所を探り、会いに来てくれた日のことは今も忘れられない。

 たったひとりだと思っていた自分にも、こんな頼もしい弟がいるのだと知って、どれ程嬉しかったか。

 ライオはルークスを下ろすと、その腰に腕を回し。

「分かってる。こんな美しい兄さんをひとり残して、とてもじゃないが逝けないよ」

「全く…。その軽口さえなければいい男なのにな? それに軽々しく逝くなど口にするな。そんな調子で領主の娘に飽きられてはいないのか?」

「大丈夫だよ。彼女も兄さんに似て寛大だ」

 そう言って屈託なく笑う。

 領主の娘とは婚約中だ。結婚すれば、その領主の跡を引き継ぐことにもなる。ライオなら、いい領主になれるだろう。

 ライオと会う時間は、これと言って彩りのないルークスの日常に華を添えてくれていた。

「今日も領地巡察の帰りなのだろう? 疲れているだろうに…。済まないな」

「兄さんに会えば、その疲れも吹き飛ぶよ。確かに誰かに兄さんを支えて欲しいってのもあるけれどさ、ちょっと妬けるな。こんな綺麗な兄さんを誰かが独り占めするなんてさ」

 ライオはルークスの垂らした金糸の束を持ち上げ、そこへキスをした。

「そんな事を思うのはライオくらいだ。さあ、そろそろ時間だろう? 隊の休憩時間が終わる頃だ」

「っとうに。十分もないなんて…。昔の方が兄さんとずっと長くいられたのにさ」

 大袈裟なほどため息を漏らすライオにルークスは笑むと。

「立派になった証拠だ。きっと父さんも母さんも喜んでいるはずだ」

「俺は今もちょっと、恨んでいるけどね? 兄さんを売り渡したのをさ。兄さんがいるって話して貰えるまで、ずっとひとりっ子だと思ってんだから。仕方ないってのは分かってはいるけどね…」

「昔の事だ。さあ、もう行け」

 軽く伸びをして、その大きな身体を抱きしめる。ライオからは日向の匂いがした。


+++


「おい、待てよ。ルークス」

 次の日。朝の光が差す館の廊下を歩いていると、涼やかな声に呼び止められた。

 白い長衣を翻し振り返った先には、窓の淵に腰かけ、片腕に薄い水色の長衣を身に着けた見目麗しい女性を抱いた金髪の男が、こちらに目を向けている。

 眩しいばかりの金色。夕闇の迫る空のような紫。着ている長衣は輝く様な純白だった。

 黙っていれば神代の時代を描いた絵画のよう。

 ここ光の館は、光の#神子__みこ__#が集う場所でもあるが、各地から集められた神子の卵の養成も兼ねている。

 神子は皆、揃いの長衣を身に着けていて、それを頭からすっぽり被り、腰を緩くベルトで留めただけの衣装。男女同じだった。

 長衣は足首までかかり、足元は足首までのサンダルを履く。

 ただ、色は違って、頂点に立つもの達だけが白となる。後は上から薄い紫色、水色、グレーとなっていた。

 その集められた光の神子の中でも、稀有な力を持つ者がいた。

 それが今、自分に声をかけてきた者だ。

 声の主はオレオル。ルークスより少し年上の光の神子だ。

 その能力も去ることながら、目下、神子内での軟派さでも抜きんでている男で。

 男女構わず傍らに侍らしている、そちらでも有名な男だった。

 先日、オレオルと共にとある調査をするよう指令が下された。其のことで声をかけてきたのだろうか。

「なんだ。オレオル」

「そんな、嫌そうな顔するなよ。ルークス。闇の神子の調査の件、打ち合わせ、今晩どうだい?」

 ルークスは深々とため息を吐き出すと。

「…なぜ、夜に? 今日の午後なら開いているが」

「夕食がてら…、いいだろ?」

「夜は空いていない」

「それは残念。じゃあ、午後いつでもいい。都合のつく時間、私の部屋で。…待っているよ」

 それだけ言うと、美しい連れとともに、廊下を行こうとする。それを慌てて引き留めた。

「まて、お前の部屋でなくともいいだろう? 打ち合わせなら館の一室で──」

 するとオレオルは立ち止まりもせず。

「うん。半分は私の都合かな? これから自室で彼女とデートでね。その後になるからさ。その方が好都合なんだ」

 暗にこれから彼女と部屋で過ごすのだと匂わせた。それで、なぜなのか理由を理解する。ため息を飲み込むと。

「分かった。あなたの用が済んでから行くようにする…」

「助かる」

 オレオルは微笑むと、そのまま彼女の手を取って廊下の向こうへ消えていった。


 まったく。上もどうして彼を選択したのか。


 しかし、その理由は明白だ。なんと言っても、オレオルは光の使い手としての技量と能力が格段に優れているからだ。

 能力訓練ではいつもダントツの一位。

 ルークス自身も引けを取らないつもりでは居るが、やはり彼には一目置く。


 しかし。素行と力量は関係ないのだな。


 今回の調査は闇の力の復活に関してだった。

 今までも幾度か取り沙汰されていたが、決定的な証拠がなく、その復活は認められていなかった。

 だが、ある筋の情報で、はっきりと復活の兆しを認めたのだと言う。

 この地方の森深くの館で、それは発見された。

 見つけたのは地元に住む、炎を司る種族の若者。狩りの為、いつもより森深くに入り込んだ際、廃屋の様な館で、怪しい人影を見た。

 そこはもうずいぶん前から人の住む気配のなかった館。持ち主はとうに亡くなり、崩れるの任せていたらしいのだが、その建物の一角に、ひとの気配があったのだという。

 若者は不審に思い物陰に隠れ見ていると、黒尽くめの衣装を身に着けた人の足元に、うごめく闇を見た。

 その闇の間から、助けを求めるように伸びた人の手を見たのだとか。

 すぐに引き返し、それを部族の首長へ報告した。それが巡り巡ってこちらにもたらされたのだった。

「闇の力、か」


 光があればまた闇もある。いつかは復活するだろうと言われてはいたが。

 やはり光の神子に優れたものが現れたと言う事は、そういう事なのだろうな。


 オレオルは人格はともあれ、逸材だった。彼のような力を持つものが、単に生まれただけで済まされるはずがない。


 なんとしても、闇がはびこる前に叩かなければ。


 調査は早い方がいいと思った。


+++


「で、すぐにでもそこを訪れたいって?」

 オレオルはけだる気に、額に垂れてくる金糸をかき上げながら、一方の手で空いたグラスにワインを注ぐ。

 その豊潤な香りが部屋に漂った。

 オレオルが座るのはシーツの乱れたベッドの上。その傍らのサイドボードにあるグラスにはもう一つ、飲みかけのグラスが置いてあった。

 先ほどまでそこにいた女性の気配が残る。むっとする人いきれに、窓を開けたくなった。

「そうだ。話はついている。発見したと言う部族の若者に道案内を頼んだ。明日にでも行く予定だ」

「生憎私は予定がはいっててね。見てくるだけなんだろ? だったら他の者に任せればいいのに…」

「直接、この目で確かめたい。あなたは残ってくれていい」

 もとより、そのつもりだった。

 だいたい、この男と道中一緒なのは気が重かったのだ。引いてくれてホッとしたくらいだった。

「ふふ。君は仕事熱心だね? まじめで堅物。落とそうとしても決して落ちないって有名だよ?」

 ワイングラスから口を離すと、こちらに掲げて見せた。

「飲む?」

「いや。まだ仕事中だ。それに、ここは職場だ。落とす落とさないの話は関係ない」


 そんな話が出回っているとは。


 確かにたまに何かの会合や催しで、声をかけてくる男女はいた。しかし、世間話程度でこれと言って迫られた記憶は無い。

 オレオルは笑う。

「君、気付いてないんだね? 相手が必死にアプローチしてもさ。それに、人生は楽しまないと。いつ終わるかわからないんだし、ね」

 グラスをサイドボードへ置いたオレオルは、こちらに歩み寄ってくる。足取りがふらついて見えるのは気のせいか。

「オレオル、飲みすぎだ。話は終わったのなら俺これで。ゆっくり休んで──」

 くれ、そう言いかけた所で、オレオルの身体がふらりとよろめいた。

「危ない!」

 ルークスは腕を差し出し、その身体を咄嗟に支えた。思ったより筋肉質な身体に驚く。

 一見、白くひ弱そうに見えたその容姿からは想像もつかないほど、しっかりとした体躯だった。

「ごめん。やっぱり飲みすぎたみたいだね。ちょっとベッドまで支えてくれるかい?」

「ああ…」

 肩を貸し、ベッドサイドまで来ると、オレオルを座らせようとする。

 しかし、突然強い力で腕を引かれ、気がつけばベッドにうつ伏せにされていた。

「?!」

 ぐっと、背に重みがかかる。シーツに頬が押し付けられ、両腕を背中で拘束された。

「ルークス。君は少し迂闊だね…」

 言いながら、緩く結んだだけの腰のベルトにオレオルの手がかかった。

 何をしようとしているのか気づき、慌てて身を引こうとする。

「なにをするつもりだ! 止めろ。オレオル!」

「ねぇ…。私が君を好いてるって言ったら、この行為を認めてくれるかい?」

「嘘だ。単なる興味本位とはけ口だろう? 誰かを真剣に好いているなど、信じられない。お前の遊びに付き合ってる暇はない! 手を放せ!」

 普段の様子からも、それは窺えた。誰に対しても遊びで本気になったことなどないはずだ。

 この神子の館に住むようになってから、ずっとオレオルを見てきたが、そんな話は聞いたことがない。

「そんな風に思われていたなんて、心外だな…」

 オレオルはすっかりベルトを外すと、着ていた長衣を脱がしにかかる。頭から被っただけのそれは、容易に脱がすことが出来た。

「馬鹿なことはやめろ!」

 身体を捻って起こそうと藻掻く。しかし、オレオルの抑え込む力はそれを上回っていた。あっという間に素肌が晒される。

「馬鹿じゃないさ。奥の手も使って、やっと君と二人きりになるきっかけを作れたのに、生かさないわけないだろう?」

「…奥の手?」

「そうだよ。今回の件、どうしても私に頼みたいと言うから、条件をだしたんだ。君をパートナーにできるなら、とね。何人か候補はいたみたいだけれど。勿論、即受け入れてくれたよ。そうして、君はいまここにいる…」

 その言葉にルークスは思わず頭が真っ白になった。自分は能力を買われてこの役を仰せつかったのだと思っていた。


 それなのに、こんな男に利用されていただけとは──。


「放せ! お前の顔など、見たくもない!」

「無理だよ。どんなに叫んだって、誰も来ない」

 言う間に、背中にある両手首を解いたベルトで縛り上げてしまう。無理な姿勢に腕に痛みが走った。

「っ…!」

「大人しくなったら解いてあげるよ」

 オレオルが晒された背中へ口づける。思わず鳥肌が立った。

「大丈夫。怖いことは何もない。私に任せて──」

「っ…!」

 次に首筋にキスが落とされ、それが背中へと再び下りて行く。行為は優しいのに、オレオルの腕を掴む力は緩まない。

 先ほど支えた身体は到底、遊んでばかりいるもののそれではなかった。武人としてかなりの腕も立つのだろう。

 自分が敵う相手ではないことは分かっていた。

「…無理やりこんなことをして、俺が受け入れるとでも?」

「どうだろう? 君は優しいだろう? 私がどれだけ君を愛しているか知れば、これもいつか受け入れてくれるんじゃないかな?」

 キスが背中の敏感な場所を何度も往復した。其のたびに身体が震え、オレオルが笑う。

「…いいね。とても」

「なぜ? 俺を? いつ…」

「さて。ここで初めて見かけた時から、かな? 一目で気に入った。美しい容姿。その上、綺麗な心を持ってるって、すぐにわかったよ。私だけのものにしたいと思った…」

「この程度の容姿の者ならいくらでもいるっ! 綺麗など、ろくに知りもしないのに、そんな理由で…!」

 すると、オレオルは笑う。

「私はね、大抵の人の心が読めるんだ。どれくらいどす黒い心を持っているか、それとも真っ白な心をもっているか。どんなに嘘をついても分かる。君はとても高貴で汚れを知らない。私がどんなに汚しても、君はきっと綺麗なままだ…」

 オレオルのキスが背中からもっと下部へと移っていく。さすがに声を荒げた。

「やめろ! そんな──」

「ふふ。かわいいね。照れてるの? 恥ずかしがらなくていいよ。そんな事、忘れられる位、良くしてあげるから…」

 ぐいと腰を掴まれ引き上げられる。腕が自由にならない今、これでは為す術もない。

「ふざけるな! 離せ!」

「悪いけど、君を逃すつもりはないんだ…」

 残酷な宣言だった。

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